第68話 魔法使いと地竜
「クルル……」
思ったよりも高い声だが、地竜の眼光は鋭くこちらを射抜いている。ロザリナは迷宮で一番恐ろしいというが、その言葉の意味を肌で感じ取れる。
「――クォォォ……ォォ……」
「っ……!」
地竜の呼吸の様子が変わり、急に空気が『重く』なる。全身に
(重さを操る魔法……それも、対象を限定しているのか……!)
中型の竜とはいえ、その重量は相当なものがある――相当堅牢な建物でなければ、少し暴れたら床が抜けてしまうだろう。そうならないのは、地竜が自重を軽減する術を持っているから。対峙した時点ですぐに気づくべきだった。
地竜は重さを操作して速度を上げられるが、逆に俺は下げられる。まして重量のある大剣がさらに重さを増せばどうなるか――現時点でも倍の重さになっている。
「もう立っているのも辛いくらいでしょう? 痩せ我慢しなくていいのよ」
ロザリナはナコトの頬を撫でながら言う。地竜もナコトもロザリナにとっては同じで、愛玩動物のようなものなのだろう。
そしてその中には俺も含まれている――だが。
「……何の話だ? 少し身体が重く感じるくらいだが……」
「強がっちゃって……もういいわ。そのつまらない男を潰してあげて」
「……っ」
今まで全く動かなかったナコトが、一瞬だけロザリナに抵抗してみせた――しかし六芒眼が妖しく輝き、ナコトは再び操られて笛を吹いてしまう。
「――シャァァッ!!」
笛に呼応して地竜が飛びかかってくる――剣のように鋭い爪が繰り出される。
ロザリナは笑っている。俺が首を飛ばされるものだとでも思っているのか、その顔にあるのは暗い愉悦だ――しかし。
「――おぉぉぉっ!」
大剣の腹で地竜の爪を受ける――重さが増しても動けなくなるほどではない。
「グォッ……クァァァッ!」
爪を弾かれても、そのまま大剣に食らいついてくる――そこで大剣を捨て、攻撃の勢いを後ろに受け流す。
「やっぱりそんなものよね。武器を捨てて、どうやってこの子に――」
「おしゃべりしてていいのか? 俺にその眼は使わないのか」
「っ……!」
地竜がこちらに振り返る――ロザリナと同様に、俺が武器を手放したとみなしているのだろう。
「――シャァァァッ!」
再び飛びかかってくる地竜――だが、大剣を手放したことで身は軽くなっている。
それでも俺に地竜の爪を受ける手段はない。そう見なしたロザリナが再び笑う――しかし。
「――ふっ!」
「ッ……クォォォォッ……!!」
一閃、そして金属音。切り離された地竜の爪は空中を舞い、回転しながら天井に突き立った。
「……一体、何を……」
俺が手にしているのは、素材解体用のナイフ――片手で扱える大きさの短刀だった。
「地竜の爪と鱗の硬度は、鋼の武器では傷もつかないほどなのに……そんなちっぽけな刃物でなんて、斬れるはずが……っ」
「素材を解体するためのナイフは、相応の素材で作らないとな」
「っ……地竜がいる層よりも深いところでなければ、そんな素材は採れないって言っているのよ……っ!」
ロザリナは声を荒げたあと、そして気付いたようだった。
俺の最高到達深度は、深層と呼ばれる5層よりも深い。このナイフに使われている金属もまた、その深さから持ち帰った材料ということだ。
「まさか……あんた、そんな見すぼらしい格好しておいて……」
「誰彼構わず装備の説明をする趣味はないからな」
「くっ……!」
ナイフを構えた俺を前に、地竜が一歩下がる――全身に荷重をかける魔法は継続しているが、もう慣れてきている。
「グル……クルルルル……」
「……それくらいのことで、優位に立ったと思ってるの? ナコト、思い知らせてあげなさい」
「……っ……」
ロザリナに指示されてもナコトは動かない――小さく反応はするが、笛を持ち上げない。
「なるほどな。少しでも動揺すると、魅了がブレるくらいには拮抗しているわけだ」
「っ……誰が……ああ、もういい」
反論しようとしたロザリナを見やると、瞳が妖しく輝く――そこに浮かび上がった六芒星が、彼女の『魅了』を『支配』にまで増強している。
「面白い見世物になると思ったけど、もう飽きたわ。そろそろ終わりにしましょう」
ロザリナが微笑む――彼女はいつでもそうすることができたが、今の今まで待っていた。地竜と戦って足掻く俺を見たかったのだろう。
視線を惹きつけられる。地竜から注意を逸らすことは致命的だが、それでもどうしようもなく誘引される――ロザリナの姿を目に映さなければならない、そんな衝動が思考を塗りつぶそうとする。
「あ……ぁぁ……」
ナコトが苦しそうにうめく――ロザリナの支配による強制力が強められていて、それに抗うことには苦痛が伴うようだった。
「私を見つめたまま死になさい。最後に見るのが、手の届かないような相手で良かったでしょ?」
どこまでも自信に溢れている。これほどの力があれば、世界の全てを手にできると思っても無理はない。
――だがそれは、ここで俺に出会わなければの話だ。
「さあ、地竜よ! この男を引き裂いて……っ」
笛の音が始まった直後、俺はぐるん、と後ろに振り向く。
背後からブレスを吐こうとしていた地竜の懐に入り、甲殻の隙間の一点を突く――四足歩行の竜には共通した弱点があるが、地竜もそれは例外ではなかった。
「クァァァッ……!」
地竜が怯み、瞬間、身体を重くする魔法が解ける。しかしロザリナはこちらに杖を向け、攻撃魔法の詠唱を終えていた――繰り出されたのは光球の魔法。
「どうして動いてるの……っ、私の眼で支配されないものなんてないのに……私がこの世界で一番なのにっ……!」
「――おぉぉぉっ!」
床に突き刺さった大剣を引き抜き、魔力を込めて薙ぎ払う――光球の魔法はかき消え、それでもロザリナは続けて詠唱を始める。
「近づけるものなら近づいてみれば……? ただの戦士ふぜいが、調子に乗らないで……!」
「っ……負けん気の強さは流石だな……!」
「うるさいっ!」
六芒眼によって強化された光弾が、切れ間なく俺に向けて放たれる――光弾は火炎と同じく、むやみに撒き散らせば延焼を起こすので、一発一発魔力を込めた攻撃で散らさなくてはならない。
「お前が言う迷宮で最も恐ろしい魔物は、もう戦えない。俺もお前の思う通りにはならない……」
「こんなのは何かの間違いよ……ただの戦士が私の魔法に抵抗するなんて、ありえないことなのよ……っ!」
ロザリナが地面に触れて詠唱を完成させる――地面を伝うように次々と氷柱が立ち上がり、こちらに向かってくる。
距離さえ詰められなければそれでいいと思っている、そんな魔法――大剣で薙ぎ払って氷柱を砕くが、このままでは確かに近づけない。
「そのままそこに居なさい……あなたは私には触れられない。私に支配されるまで、ずっとそうして……」
執念じみたものを込めてロザリナは言う。
シーマよりも強力なロザリナの支配魔法なら、俺にかけられた呪いに割り込むことはできるのだろうか――可能性はゼロではないのかもしれない、だが。
俺の耳にはもう、息を吸い込むような音が聞こえていた――頼りになる相棒が来てくれた。
「――はぁぁぁっ!」
氷柱の合間を縫って、雷撃が走る――俺に攻撃する術がないと思っていたロザリナが一瞬だけ防御魔法を緩めた瞬間、そこを的確に突いたセティの一撃だった。
「あぁぁぁっ……ぁぁ……」
戦いながら薄々と感じていた。ロザリナは接近戦の役割を地竜に与え、同時に地竜を盾としていた――その地竜が倒れた時点で、彼女は既に追い詰められていたのだ。
「シ、シーマ……いえ、誰でも……誰でもいいから、回復を……っ」
他人を虐げることをしながら、自分の痛みには慣れていない。俺は氷柱を拳で砕くと、膝を突いたまま動けないロザリナの前までやってくる。
「嘘……嘘よ……私があんたなんかに……っ」
最後の賭けということか、ロザリナがセティに目を向けようとする――その前に、首筋を打って昏倒させる。
「っ……ぁ……」
「まったく……その才能を、もっと真っ当に活かせばいいものを」
「ファレル様、ロザリナを一人で倒してしまうなんて……それに地竜も……」
「あ、ああ……セティ、まずはナコトの解放だ。それとあの地竜だが、気絶してるだけだから」
「は、はい、そうですよね、今はやるべきことがありますから」
おそらく俺を褒めようとしてくれたのだと思うが、この戦いの決め手になったのはセティだ――指示もなく加勢してくれて、最適な戦術を選んでくれた。
これで『黎明の宝剣』のメンバーを五人倒した。ジュノスとの戦いもおそらく避けられないだろう――ジュノスとロザリナが一緒にいたら、より苦戦を強いられていたのだろうが。
「ファレル殿、お見事でした……私も出る機会をうかがっていたのですが、私よりもセティ殿がよく戦況を察知していましたね」
「この人が中層街の顔役さんですわね……衰弱なさっていますから、まず回復魔法をかけますわね」
「ああ、頼む。それと誰か、布を持ってるか? 目隠しができるようなやつがいいんだが」
六芒眼は放置できない――魔法を封じる措置ができれば一番いいが、ひとまず脅威となるロザリナの眼を封じておくことにした。
元聖騎士団、今は中級冒険者。迷宮で捨てられた奴隷にご飯を食べさせたら懐かれました とーわ @akatowa
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