第57話 風の獣
『風切り』が少年を追ってきたというのが事実として、洞窟の入口を見張っているとしたら、このまま出ていけば必ずどこかで仕掛けてくる。
問題は初手の奇襲に対する対応だ。反応できずに深手を負うのはまずい――いつの間にか負傷していたという少年の話とその二つ名から、『風切り』は風の刃の魔法を使うと思われる。光の魔法以外で速度において優れているのが風魔法だ。
(……振りの速さをできるだけ上げて対応するしかないか)
包丁なんかで戦うわけにもいかないし、長剣を持ってきた方が良かったか――と、アールがこちらをじっと見ている。
「……そうだ。アール、君の剣を貸してくれないか?」
「っ……私の剣を……?」
「ご、ごめん……剣は剣士の魂だし、簡単に貸してもらおうってのは軽率だったな」
「い、いえ……ファレル殿、剣速を上げられるおつもりですか?」
「ああ、そうだ。アールに任せるのもいいが、初手が奇襲と分かっている以上は、一番頑丈な俺が行くのが結果的に安全だろう」
「……ファレル様は確かにきれいなお背中をしていらっしゃいますが、奇襲が危ないのはみんな同じです。最初に敵を引き付けるのは僕の役目です」
頑丈というのは普通に筋肉質だとかそういう話なのだが、セティは目のつけどころが少し想定外だ――そういえば、背中にあまり傷がないことを褒めてくれていた。と、それはいい。
「セティ殿のおっしゃることにも一理ありますね……ファレル殿、では公正な方法で、敵を最初に引き付ける役目を決めましょう」
「なるほど、コインか。表が出たらセティ、裏が出たら俺でいいか?」
「はい。本当は私も出たいのですが、それと同じくらいに……」
「アールさん、どうかいたしましたの? マスクをしていても、顔が赤くなっているのが分かるのですが……」
「っ……そ、そんなことはない。戦いを前にして不謹慎なことなど考えるものか」
それはちょっと考えていると言っているようなものだが、この場合での不謹慎とは一体なんだろう――アールは真面目なので、俺の想像もつかないことで自分を律していそうだ。
「では、この金貨の表裏どちらが出るかで、最初に洞窟から出る者を決める……早速始めてもよろしいか?」
俺たちが頷くと、アールは金貨を取り出し、親指で真上に弾く。
――ファレル先生、さっきやっていたのを私にも教えてください。
――金貨をこんなことに使うと、君はいけないことだって言いそうだけどな。
――い、いえ。私もどうしても決められないことがあったら、いつかそれを……。
「――殿。ファレル殿?」
「っ……」
アールが金貨を飛ばす仕草を見て、ふと昔のことを思い出した。
「……表と裏、どちらだった?」
「考えごとをなさっていましたか。よそ見をなさってはいけませんよ」
アールは手の甲に乗っている金貨を見せてくれる――裏。すなわち、先行するのは俺だ。
「どうか、お気をつけて……『風切り』は、すごく危険な魔物です」
少年が声をかけてくる。リィズの魔法で傷は塞がっているが少し熱が出ている――やはり早めに医者に見せた方がいい。
そんな状況だというのに、少年は悔しそうに歯を食いしばっている。できるなら自分も戦いたい、そんな想いが伝わってくる。
「ここは俺たちに任せてくれ。必ず……ええと、村でいいんだよな。君をそこに帰すから」
「……はい。どうか、ご武運を……」
「アール、剣を貸してくれるか。今回は後衛を頼む……ってことでいいのかな」
「はい、私には魔法の心得もございますので」
「セティは様子を見て参戦してくれ。火と雷のどちらが通るか分からないが、魔獣の類は火に弱いことが多いな」
「かしこまりました。相手の様子をちゃんと見て援護します」
アールの体格に対しては大剣といえる大きさの剣も、俺にとっては少し重量のある長剣となる。いつも使っている大剣よりはずっと軽い。
深く息を吸って、吐く。魔力による身体能力の強化を行い、走り出す。
「――おぉぉっ!」
洞窟の外に出た瞬間に、右後方に殺気を感じて剣を繰り出す――まるで金属の剣と打ち合うような手応え、だがそこには誰もいない。
(これが『風切り』の風の刃か……!)
滝壺をぐるりと囲う岩壁、そこに張り付くようにしてこちらを見ている
足場は細く、このまま戦っていれば滝壺に落ちかねない――初手を弾き返したことを確認すると、『風切り』は再び擬態して風景に溶け込む。
「――うぉぉぉぉっ!」
今それをやられると困るという攻撃を、『風切り』は的確に繰り出してくる。広い足場まで走り抜ける間、次々に風の刃が飛んでくる――とても全てを受けてはいられない。
後方で岩壁が削られる音を聞きながら、ひたすら走る。足場が広い場所まで出たところで、振り返りざまに風の刃が飛んでくる。
「――直剣一刀、『逆十字』……!」
下から上に斬り上げると同時に、魔力による加速を入れて横に薙ぎ払う技――風の刃をなんとか凌ぎきるが、タイミングを間違えればこちらが切り裂かれていただろう。
「チチ……チチチ……」
威嚇音だろうか、小さな鳴き声を発しながら『風切り』が姿を現す。決して距離を詰めようとしないのは、自分の間合いを心得ているからだろう。
胴体が長く、尾の先にも刃がついている。獰猛な攻撃性に対して毛並みは美しく、その佇まいには気品さえ感じさせる。
(……襲ってくる以上は戦うしかない。だが、攻撃してくることに理由があるんだとしたら……)
しかし少年はすでに重傷を負わされている。迷いは禁物だ――今はただ、『風切り』を仕留めることに集中する。
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