第33話 岩壁の魔物

 グレッグたちの偽物が上がってきたのは、ほぼ崖に近い岩壁だった。


「ここを降りていくが、みんなは大丈夫か?」

「はい、大丈夫だと思います。僕はほとんど取っ掛かりがない壁でも登れますし」

「私も大丈夫です、身のこなしは軽い方ですから」

「私も問題はないが……このままの格好では邪魔になりそうだな」


 アールは外套を脱ぐかと思いきや、フード以外を外した――軽装状態になったアールを見て、リィズは服の裾を捲り上げる。


「…………」

「おおっ……セティ、どうした?」


 セティが無言で目の前にやってきて俺の目を塞いでくる。これは見るなということだろうか。


「セティ殿、そのようなことは……ファレル殿の目には一切の雑念がないのでな」

「ああ、こんなはしたない格好を……神よ、お赦しください」


 自分からやっておいてそれなりに恥ずかしいのか、リィズはすらりと伸びた白い足を気にしている――細いことは細いが、僧侶にしては引き締まり、しなやかさを感じさせる筋肉をしている。


「すみません、大根のような足を見せてしまいまして……」

「いや、大根どころか……さっきの動きも驚いたが、かなり格闘戦に慣れてるな」

「私の故郷では僧侶は武器を取り、隣人を守るために戦うものですから」

「魔法も使えてあんな動きができるのは凄いです」

「セティも魔法剣士になれば魔法は使えるぞ。習得できる魔法には個人差があるけどな」

「私は魔法剣士ではないが、精霊魔法を使うことができる。先程は水の精霊の力を借りた技を使ったが、有効な属性とは違うようだな」


 先ほどアールが剣を振るったときの水飛沫はそういうことか――彼女も敵の弱点を模索してくれていたようだ。


「リィズの魔法は敵の再生を封じられるから、それがあると無いとでは大きく変わる。あと何回使える?」

「ええと……す、すみません。感覚的なことしか分からないのですが、あと3回ほどかと」

「使用回数を回復するには、祈れば良いのだったか……」

「はい、まず冷たい水を張ったお風呂を用意しまして、水を被りながら携帯用の女神像に向かって祈りを捧げるんです。それ以外ですと、祭壇に供物を捧げるなどですね。あとは一晩休むだけでも少し回復はします」

「そいつは大変だな……」


 冬場は辛いだろうとか、そういう脱線は控えることにする。とにかく、リィズの魔法を全員にかけることはもう出来ないし、使用する場面はよく考えなければならない。


「セティ、ここは俺が先に行こうか」

「いえ、大丈夫です。僕、リィズさん、アールさん、ファレル様という順番で進むのはどうでしょうか。僕とファレル様がいざというときに二人を助けられますし」

「なんという労りと友愛なのでしょう……ですが私も簡単にご迷惑はかけませんわ。こう見えても誇り高き……っ」

「……?」

「い、いえ、ファレル様たちのような誇り高き人たちとご一緒できて嬉しいです、と言いたかったのです」

「多少無理があるような……まあいい。私もファレル殿に迷惑をかけぬようにしよう」


 まずセティが崖を降りていく――リィズもその後に続く。


 岩壁を少し降りたところに、壁際に細い足場がある。道といえるものではないが、壁に張り付いてひたすら降りていくよりは安全だろう。


「すごい……とても広い空洞ですね」

「ああっ、岩にぬるっとした部分が……かぶれたりはしないようですが、何なのでしょう」

「そう言われると私もあまりいい心地はしないのだが……ん……?」


 すぐ前を進んでいるアールが立ち止まる――彼女の右手が触れている壁、その上に何かいる。


「……洞窟蟲どうくつちゅう……!」

「っ……ひぁぁぁっ……!!」


 アールが何気なく頭上を払おうとして、壁に張り付いていた大きなダンゴムシのようなものに触れてしまう――いきなり壁からポロリと落ちて、アールの首元に張り付く。


「とっ、ととっ、取っ……ひゃぁぁぁっ……!」

「っ……ア、アール。取れたぞ」


 後ろにいる俺に抱きついてきたので、首の後ろに手を回して蟲を剥がす。わさわさと足を動かす洞窟蟲だが、攻撃の意思はないようなので逃してやる。


「はぁっ、はぁっ……あ、足の多い虫だけは駄目だ……ぬめぬめも、硬いのも、猛獣でも怖くはないが……」

「こんな足場であれが出てくると驚くよな……大丈夫か?」

「う、うん、大丈夫……はっ……!」


 俺に抱きついていることに気づくと、アールは足場の問題もあってそろそろと離れ、無言で先に進み始めた。


「大丈夫ですかーっ、もうすぐ広い足場がありますよーっ」

「セ、セティさん、そのように大きな声を出しては……っ」

「あっ……そ、そうですよね。魔物に気づかれてしまいますし……」


 そんな会話が聞こえるが、さすがに考えすぎだろう――と思った矢先。


 バサバサッ、と羽音が聞こえてくる。数日前に依頼を受けたとき、嫌というほどに聞いた――バンパイアバットの羽音。


「こんな所で……っ、みんなとにかく進め! ここで戦うのはまずい!」

「わ、私の血なんて美味しくありませんわ……っ、ああっ、やめてくださいませっ……!」

「ファレル様っ、横穴がありますっ!」


 セティが見つけてくれた横穴に飛び込む――最後に入った俺は、飛びこもうとするバンパイアバット数匹を掴んで止め、闇の中へと放り投げた。


「……セティさん、今何かおっしゃいましたか?」

「いえ、僕は何も……」

「穴の奥から聞こえてくる……ような……」


 アールが振り向いた先には――穴の奥に鎮座する、巨大なカエルの姿があった。


「ゲコォッ!」

「きゃぁぁっ……ヌ、ヌメヌメは駄目……っ」


 カエルの伸ばしてきた舌に絡め取られ、リィズが一口で飲み込まれる。それだけで飽き足らずセティにも舌を伸ばしてくる――だが。


「はぁぁっ!」


 ショートソードでカエルの舌を斬る――同時に俺はカエルに駆け寄り、その腹に向かって魔力を込めた掌底を叩き込んだ。


「ゲロォッ……ゲロゲロッ、ゲロッ……」


 吹き飛びざまにリィズを吐き出したカエルは、穴の奥に逃げていく。


「……なんという……リィズ殿、おいたわしい」


 アールでも言葉を無くす状況――カエルの口に入ってしまったリィズは、粘液まみれになって気絶している。


「私が水の魔法でなんとかしてみよう。セティ殿たちは、穴の奥を調べてみてほしい」

「穴の奥……あの魔物を倒した方がいいってことですか?」

「いや、この穴を通って下に降りられるかと思ったのだが……それは都合が良い考えか」

「……そうでもないぞ。さっきのカエルに魔力を込めた打撃を入れたから、ある程度離れるまでは気配が分かる。どんどん下に降りていってる」

「では、この穴を通っていけば安全に降りられるかもしれないですね……あの足場でコウモリと戦うのは難しいですし」


 まずはリィズの粘液まみれの状態をなんとかすることだ――彼女の魔法が必要である以上、気絶したままというわけにもいかない。

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