第9話 沈黙の奥


 退院の手続きを終え、リベルタと一緒に病室に彼を迎えに行く。


「っ……」

「おっと……まだ歩くのはきついか、無理はするなよ」

「数日寝たきりでしたので、ひとりで歩けるまで少しかかるかもしれません」

「そういうことなら、俺が背負って行くか。背中に乗れるか?」

「……う……」


 かすかに声を出そうとした――しかし声にはならず、代わりに頷く。


「当面は、君の素性は街の人には知られない方がいい。もちろんそのままでは窮屈な暮らしになるから、必ず表を安心して歩けるようにする。それまで、俺の言うことを聞いてくれるか。決して嫌がるようなことはしない」

「…………」


 いきなり話しすぎているかと思ったが、俺の目を見て頷いてくれる――まだ目の焦点が合わないので、俺が勝手にそう思ってるだけじゃないかと不安ではあるが。


「ちゃんと伝わっていると思いますよ、ファレルさんのお考えは」

「そうだといいんだがな。すまない、彼が俺の背中に乗れるように補助を頼めるか」

「……?」


 リベルタはなぜか、不思議そうな顔をする。何か変なことを言っただろうか――背中に乗る補助って一体何なのか、とか。できれば介助をしてほしいということだが。


「……なるほど、そういうこともあるのですね」

「いや、俺だけで背負うこともできるけど、念のためというか」

「ちゃんと理解していますので、ご心配なく。それでは足元に気をつけて……」


 持ち込んだ外套をリベルタに渡し、彼に被せてもらう。朝は少し冷えるということもあるが、そのまま背負って歩くよりは目立たないだろう。


 何しろ、全身に包帯が巻かれている。それでいて人目を惹くような容姿をしているのだから、そのままでは目立つ要素しかない。


「よいしょっと……しっかり掴まってろよ」


 あれだけの強さなら筋肉も相応についているはずだが、運ぶのが何の苦にもならないくらい軽い――そして、思ったより柔らかい。


 竜人族は身体が柔軟ということだろうか。あれだけの運動能力があるのだから、肉食動物のようにしなやかな筋肉を持っているということは別に不思議ではない。


「ファレルの面倒見がいいのは知っていたけど、見ていて微笑ましいね」

「っ……隠れて見てるんじゃない。疲れてるならもう寝ておけ」


 いつの間にか、エドガーが病室の外から見ていた。彼は笑顔のまま引っ込んでいく――何がそんなに楽しいのか。俺が右往左往しているように見えるのだろうか。


「それでは、ご武運……? をお祈りいたします」


 リベルタの言葉に突っ込むことはせず、俺は片手を軽く上げて挨拶して医院を出た。


   ◆◇◆


 人の少ない道を選んで家に向かおうかとも思ったが、聞いてみると大丈夫そうだということで、市場にやってきた。


「お早うファレルさん、今日は冒険は休みかい?」

「ファレルさん、いい果物が入ってるよ。買っていってくれよ」


 市場で食料品を売っている店主たちが声をかけてくる。いつも世話になっている人たちだ。


「何か好きな食べ物ってあるか? 教えておいてもらえるとありがたい」

「…………」


 答えは返ってこない。俺の肩に捕まる手がわずかに動いただけだ。


「ファレルさん、その子は?」

「ちょっとうちで療養することになりまして」

「ああ、エドガー先生の頼みかい。冒険者ってそういう仕事もするんだね」

「まあそんなところです。ちょっと品物を見せてもらっていいですか?」

「どうぞどうぞ、ゆっくり見ていってください」


 とりあえず、俺の判断で療養食の中に上げられているものの材料は買っておく。穀物の粥にも色々あるが、ミルク粥と卵粥の両方を作れるようにして――酸味の少ない果物をすり下ろしたものなど、身体に優しいことを第一に献立を選ぶ。


「…………」

「毎日品揃えは変わるけど、こんな感じで食べ物が売られてる。好きな食べ物は、そのうち気が向いたら教えてくれ。それまでは療養食の献立を参考にして作るからな」

「……ん」


 かすかに声が聞こえた気がする――返事をしようとしてくれているだけでも十分だ。


   ◆◇◆


 家まで帰ってくる――とりあえずダイニングで席に着いてもらい、温かい飲み物を出す。甘く味付けをしたミルクだ。


「…………」

「まだこういうのは早いか。そうなると、ひとまず栄養液になるな……」


 頷きが返ってきたので、医院で貰ってきた栄養液の小瓶を出す。甘苦いようなクセのある味のはずだが、彼は表情を変えずに少しずつ飲んでいた。


「…………」


 俺をじっと見ながら、口を動かそうとする――しかし声にならない。


「ここは俺の家だ。俺はファレル・ブラック……この街で冒険者をやっている。さっきはああ言ったが、仕事で君の世話をするというよりは、自主的にやっていることだ。君を元のパーティに戻すわけにはいかないと思ってな」

「……っ」


 『黎明の宝剣』の名前を出すことを避けても、それでも彼を動揺させてしまった。


 今まで無表情だった彼が明らかに表情を陰らせ、俯いてしまう。


「あいつらのしたことを、糾弾すべきだとは思う。しかしそうするにしても、それは俺の意志でやることだ。君は、君が安心して過ごせる場所で身体を治す。君を従えていたパーティは、もう君に対する強制力を持たない。彼らが何を言ってきても……」


 テーブルの上にぽたぽたと雫が落ちた。泣いている――俺が、泣かせてしまった。


「……すまない、気が急いでいた。何かしたいことがあったら遠慮なく言ってくれ……文字は書けるか?」


 彼は首を振る。文字を教えられれば、意志の疎通はできるようになるか――それにしても、まだ何かをするには早い。


 よく眠り、よく食べること。それさえできれば、きっと回復に向かう。


 彼が口にできるものを、必ず用意する。泣いている彼の頬を手巾ハンカチで拭い、それをそのまま渡す。


 俺はテーブルの向かい側に座り、何も言わず、彼が泣き止むまでそこに居た。

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