第6話 峠

 ――エルバトス外郭北区 十二番街外れ―


 鳥竜を借りて移動し、大迷宮からエルバトスに戻る。エルバトスを囲う城郭には東西南北に門があるが、非常時以外は夜でも常に開いている。


 この都市が大陸の他の街よりも明るいのは、大迷宮で産出される『蛍光石』が明かりとして利用されているためである。夜になると昼に蓄えた光を放つその石は、かつては採掘によって一財を成せる価値があったが、今では普及して安価となった。


 『眠らない都市』とも言われるエルバトスでも、夜間の傷病者を受け入れてくれる医者は少ない――俺がいつも世話になっている医院を除いては。


 酒場などが並んでいる賑やかな通りから裏路地に入り、『夜間診療応相談』というプレートが出ている扉をノックする。


 しばらく待っていると扉が開く――姿を見せたのは、この医院の主である男性だった。


「やあ、こんな時間に来るなんて久しぶりだね」


 髪を後ろで一つに結び、頬に縫い傷のあるその男――エドガーは、俺を見るなり柔和に笑った。


「夜分にすまない、すぐに見て欲しい患者がいるんだ」

「っ……分かった、とりあえず中に。リベルタ、緊急手術の準備だ」

「かしこまりました」


 エドガーは一目見るなり、患者の容態を察してくれた。助手の少女はすでに服を着替えていて、治療室に入っていく。患者を運んで手術台に寝かせ、あとをエドガーに託す――その前に。


「何か俺にできることはあるか?」

「まだ少し見ただけだが、君らしい丁寧な手当てだ。患者自身もある程度自己回復力があるようだが……できればメネアさんを呼んできてもらえないか、使えそうな薬を検討したい」

「わかった、行ってくる」


 エドガーは頷き、消毒を済ませて治療室に入っていく。


『――あぁぁぁっ……!!』


 医院を出る時に、後ろから叫び声が聞こえてくる――エドガーが手術を始めたのだ。


 エドガーは腕のいい医者だ。しかし麻酔が効く場合とそうでない場合があり、効かない場合の手術は俺でも地獄を見ることになる。


 傷の状態次第では、全く手を出せないこともありうる。今は何も考えず、俺にできることをやるしかない。


   ◆◇◆


 エドガーの医院から、メネアさんの店は走って五分ほどの距離にある。


 すでにベッドに入っていたメネアさんだが、呼びかけに応じて出てきてくれた。寝間着の上に一枚羽織っただけで、走ってついてきてくれる。


「こういう予感がしてたのよね……っ、ファレル君が依頼を受けて、すぐに出発したって聞いて……っ」

「すみません、メネアさん……っ、依頼を受けたあと、挨拶に行くべきでしたが……っ」

「いいのよ、急いでたのなら……それにしても久しぶりね、こんなふうに走ったりするのは……っ」


 俺より年下にも見えるメネアさんに敬語を使うのは、彼女がハーフエルフであり、実際は俺の倍以上も生きているからだ。


 彼女にとって薬品の調合は趣味と実益を兼ねている。だが進んで宣伝をしないこともあって、メネア薬品店は知る人ぞ知る隠れた名店となっている。


 医院に戻ってくると、待合室はシンと静まり返っている――いや、耳を澄ますと治療室の方から音と話し声が聞こえてくる。


「もう手術は始まってるのね……」

「はい、エドガーたちが治療室に入っています」


 メネアさんも慣れたもので、髪をまとめて手を消毒し、治療室に入っていく。


 しばらく待つと、メネアさんが出てくる。出会ってから初めて見るような、深刻な顔をして。


「……今の状態について話させてもらっていい?」

「はい」


 彼がどんな状態なのか。俺の素人目で見ても、普通ならとても助からないと思うほどの傷を負っていた。


 それでも生きているのは、エドガーが言う通りの自己回復力によるものだ。全身を見たわけじゃないが、おそらく人間とは違う種族だろう。


「失血状態は回復に向かっているけど、意識は戻っていないわ。合計で十箇所以上の骨折があって、左手は元のように動かせるようにするのは難しい……右手の矢傷は処置が正しかったのも良かったし、自己再生して傷がもう塞がっていたわ」


 分かってはいたことだが、彼の苦痛を想像して胸が詰まる。


 そして矢傷が塞がるほどの再生能力とは――獣のような耳は生えていないので獣人ではないと思うが、ならばその能力はどこから来るのか。俺が知らない種族だということか。


「……他の箇所は?」

「右目に傷を負っていて、これは外科的な処置では限界がある。広範囲に渡って火傷があるけど、これは私が持っている薬を使えば治療できる……呼吸器官に胞子の侵食があるけど、これも治療できるわ」


 聞いているうちに分かってくる。彼を治療するには大きな費用がかかる――顔なじみだからといって、甘えることはできない。


「俺はあいつを治してやりたい。もう奴隷として縛られることも無くなったんだ、あいつには自由に生きる権利がある」


 俺が行くまで生き残っていたことが奇跡だとして、その続きがなければ意味がない。


「費用は必ず払う。どんな治療をしてもいい、あいつを助けてやってください……!」


 頭を下げる。必ず助けられるようなものではない、それでも頼まずにいられない。


「……ファレル君に深層で採取してもらったもので治療できるっていう話なんだけど。あなたがコツコツ仕事をしてくれたおかげよ」

「え……い、いいんですか? あれはメネアさんの研究に使ったんじゃ……」

「私が研究をしてるのは、こういう時のためよ。あなたにとっても有用な薬だけど、それをあの子のために使う……そうしてもいい?」

「勿論です。素材なら、俺はまた取ってこられますから」


 メネアさんは微笑む――そっと俺の手に彼女の手が重ねられる。


「こんなにファレル君が必死なんだから、私もできる限りのことはしてみるわね」

「ありがとうございます……!」


 手を放すと、メネアさんが医院から出ていこうとする。おそらく必要な薬を取りに行くのだろう。


「夜道は危ないんで、俺も一緒に行きます」

「迷宮から帰ってきたばかりだから、あなたも休んだ方がいいのに……律儀ね」


 呆れたように言いつつも彼女は同行を断らなかった。


 自覚はあるとは思うのだが、バタバタしていたので服が乱れている――こんな状態の彼女を一人で歩かせるわけにはいかない。


   ◆◇◆


 ――どうして出て行くんですか? この騎士団では、先生は……。



 夢を見るのは久しぶりだった。


 医院とメネアさんの店を往復して、治療室の外で待っているうちに、眠りに落ちた。


 そう分かっていても、すぐに夢は覚めてはくれない。



 ――満足できないわけじゃない。満ち足りてるから、出ていくんだ。


 ――そんな……分かりません。私達は……私は、まだ先生に……。


 ――十分に強くなったさ。俺がやっていたことも、今なら任せられる。



 七年前。俺は冒険者になる前、王国の聖騎士団に属していた。


 騎士団に入って十年ほどで副騎士団長となり、若い騎士団員を見出す立場にもなった。


 特に優秀な教え子たち、その中でも彼女は抜きん出た剣才を持っていた。


 今はもっと強くなっているだろうか。俺自身は、あの時と比べてどう変化しただろう。



 ――私は必ず、先生を……副騎士団長を迎えに行きます。


 ――それまで、私はあなたの居場所に仮に立たせてもらうだけです。


 ――あなたから一本を取れたら、その時は……。



 その時は訪れないまま、時間は流れて。


 今になって思い出したのは、何がきっかけか――分からない。


 朝焼けが窓から差し込んでいる。裏通りの医院にも、太陽の光は届く。


 治療室の扉が開き、エドガーが出てくる。俺は長椅子の上で身体を起こす――すると、エドガーが横に座った。


「……峠は越えた。今できる全ての治療を施した」

「っ……あいつは……」

「ああ。まだ安静が必要だが、いずれ目を覚ますだろう。詳しい話は後にして、私も休ませてもらうよ……」

「ありがとう。ゆっくり休んでくれ」


 エドガーは立ち上がり、医院の二階に上がっていく。二階部分が住居になっているので、自室で休むのだろう。


 続いて治療室から出てきたリベルタがやってくる。彼女はいつも無表情だ――エドガーとの関係性は今でも聞かされていないが、優秀な助手だとだけ聞いている。


「ファレル様の治療をするようにと、あるじから承っております」

「いや、俺は大丈夫だ。傷はもう治ってる」

「……消毒だけはしておきましょう。魔獣の爪や牙による傷を放置してはいけません」


 いつも蒸留した酒を吹いて消毒するくらいだが、リベルタに手当てされる――手の冷たさが気にはなるが、丁寧で手際がいい。


「メネアさんにも手術を手伝っていただきましたので、疲れて休んでいらっしゃいます」

「治療室の中でか……俺も入って大丈夫か?」

「はい、胞子などは落としましたし問題ありません」


 リベルタの許可を得て治療室に入る。


 頭に包帯を巻かれ、片目と口元だけが見えている姿で、彼は静かに眠っていた。


「……っ、お、起きたのか?」


 睫毛が震えて、薄く目が開く。横に立っている俺が見えているのかいないのか、その目はすぐに閉じられる。


「…………」

「……何か、おっしゃったようですが。今は、声が出せないのでしょう」

「そうか……状態が落ち着くまで、ここで預かっていてもらえるか?」

「勿論です。今は絶対安静ですので、退院については回復した後にご相談させてください」


 大迷宮で何が起きたのか――それを証言してもらい、『黎明の宝剣』のしたことを糾弾すべきか、それとも。


 まずは世話になっているギルドに話を通しておかなければならない。イレーヌが考えていた通りに、『黎明の宝剣』は奴隷を迷宮で見捨てていた。それを報告したとしても、特級パーティは中級冒険者の意見など簡単に潰せてしまうだろう。


「……それでも、やらないとな」


 腹を括り、医院を出る。朝の光を眩しく感じながら、俺は八番街のギルドに向かった。

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