第27話 鋼鉄と火の魔術①

 曇天の第三校庭に、異様な沈黙が降りていた。

 周囲は見学の学生でいっぱいだが、誰一人として声を発さない。挨拶の声も、しわぶきひとつさえも憚られる雰囲気だ。

 理由は明白。

 陽炎が揺らめくほどの魔力を漲らせた、大杖〈熔鉄炉フォルナクス〉の威容。それを無造作に支えるアイリーネ様の張り詰めた雰囲気が、周囲を圧倒しているのだ。狼の前では、羊たちは沈黙する他ない。

 例外は二人。


「双方、準備は良いか?」


 いつも通り真っ直ぐに背筋を伸ばしたドロテ先生。


「アイリーネ様、今日もお美しい……」


 そして、アイリーネ様に見惚れている私だ。


「恙なく」

「準備、できています」

「よろしい。宣誓を」


 ドロテ先生に促されて、杖を握り直す。

 新調した七竈ローワンの杖は、複雑な文様が刻まれた薄い鉄を纏い、以前のものよりも僅かに長く重い。その握り心地にもようやく慣れたところだ。

 ついでに決闘装束ドレスにも少し手を加えた。こちらは新調する時間はなかったので、流行りだというレースのリボンを袖などに取り入れてみた。


「魔力は――」


 魔力は、青き血に宿るという。

 貴族の貴きとは、積んだ歴史の貴きだ。親から子へ受け継がれる血にこそ魔力は宿り、重なり、強くなっていく。

 アイリーネ様を見ていれば、それは全くの真実だとわかる。強大な魔力、磨き上げられた術式、自信と誇りに満ちた振る舞い。アイリーネ様こそ、青き血の結晶だった。


(でも)


 でも、それでは、と胸のうちで私が叫ぶ。

 それでは、決して、アイリーネ様に勝てない。


(……本当に?)


 短杖を握る手に力が入りすぎて、震えが先端に伝わる。魔力が青き血に宿るというなら、私を衝き動かすこの力は、この熱はなんだ?

 この、高鳴る鼓動から出でて全身を巡る、抗えないほど強い不可思議な力こそが、魔力ではないのか?

 アイリーネ様に勝ちたい。隣にいたい。そばにいて、手を繋いで、話して、笑い合い、髪を梳らせてもらって、ずっと一緒に――。


 温度で言えば熱であり、音で言えば鼓動であり、色で言うならば――


「魔力は、に宿る!!!」


 ヒステリックな声で叫んだ言葉は、鉄に刻むようにして覚えた口上とは違っていた。ドロテ先生の目が見開かれる。流石にざわつく観客席。アイリーネ様は、静かに微笑んで見つめてくれている。


「恩寵たる魔術を究めることこそ我が願い!」


 使命ではなく、したくてするのだと叫ぶ。

 全身が熱い。同時に、首筋に刃を当てられたような冷たさ。この言葉を口にすれば、私は……たった今たどり着いたばかりの想いと共に、死ぬことになる。

 怖い。

 ああ、怖い、嬉しい。

 私はようやく、アイリーネ様と同じ舞台に上がる。

 慕っている? そうだ。

 勝ちたい? そうだ。

 ――愛している? そうとも!


「熱くて熱くて制御できない、貴女への想いを杖に賭す!!」


 しん、と降りる沈黙。私の悲鳴に似た叫びの残響が消えるまで待って、アイリーネ様が頷く。細い指が、少女の体躯よりも大きな杖を握り直す。


「フォニカ。……いいのね?」

「はい」

「そう。――残念だわ。私はアイリーネである前にイオカヴ家の娘。青き血を、魔術を、次代に継ぐ責務がある」


 幼い頃から友として、侍従として共にあった人の言葉だ。

 本気で残念だと思ってくれていることも、――だからといって甘い言葉など許さないことも、わかる。


「決闘でなければ、受け入れたかもしれないけれど。杖を交わす以上、私は……」


 大杖〈熔鉄炉〉が掲げられる。赤の決闘装束ドレス、流れる黄金のような髪が艶やかに揺れる。

 感情のまま叫んだ私とは違う、凛と張りのある声が響く。


「魔力は青き血に宿る」


 それは拒絶であり。


「恩寵たる魔術を究めることこそ我が使命」


 それは否定であり。


「――我が術式の熱きを以て、貴女の想いをぐちゃぐちゃに踏み躙ることを杖に賭す!」


 それは、愉悦だ。

 アイリーネ様の言葉は正しい。想いを杖に賭けたならば、ということになる。

 決闘に勝つことを想いの証明とするならば。

 決闘に敗北することは、想いが足りぬことの証明だ。

 勝負を決するのは、本来、実力である。感情で結果が左右されないから、決闘には意味と名誉があるのだ。

 それでも、私は想いを賭けベットした。

 アイリーネ様の本気にこそ、ぶつけたかったからだ。


「――始めよ」


 立会人の無慈悲な声が、決闘の始まりを告げた。

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