赤いドア

かんだ しげる

第1話

     赤いドア


 池田が、声を低くして言った。

「ウソじゃないって。赤いドアの向こうから、子どもの声が聞こえるんだ。」

「ほんとか? なんか、ウソっぽいなあ。」

 木村は、じまんのドクロのキーホルダーを回して、チャラチャラと音をたてていた。

「ほんとほんと、小さい声で『助けて』って言ってるんだってよ。」

「それって、ただのウワサ話でしょ。」

 池田と木村とは、同じ五年生だけど、小学校は別で、学習塾のクラスが同じだ。

 学習塾の裏に、小さな四階建てのビルがある。古いビルで、階段の手すりが所々さびている。夜、塾から帰るころには、ビルにはネオンサインが灯っていた。

 言われてみると、たしかにそのビルには、地下へと下る階段があったような気がする。

 池田が言うには、その階段を下りて行くと、色あせた赤いドアがあるんだそうだ。

「な、行ってみようぜ。」

「えっ、なんで?」

「なんだよ木村、こわいのかよ」

「こわくなんかねえよ。」

「な、小暮も来るだろ?」

 急に、名前を呼ばれてドキッとした。教室のクーラーが効きすぎているのか、もうすぐ夏休みなのに、ちょっと足元が寒かった。

 池田と木村が、じっとこっちを見ている。

「今日は、お母さんが駅のロータリーで、車で待ってるんだ。塾が終わったらすぐに行かないとダメなんだ。」

 お母さんが待っているのは、本当だった。

 でも、ちょっと怖くて行きたくなかったのも、本当だった。


 次の週の塾の日、池田と木村が来ていなかった。

 授業が始まる前に、塾長の永野先生が来た。

「ええっと、この中に、この前の水曜日、帰りに、池田くんと木村くんといっしょだった人はいませんか?」

 誰も手をあげなかった。

 ぼくも、あげなかった。

(いっしょに帰ったわけじゃないから。)

 何も言わずにいた。

 でも、塾の授業の間、ずっと気になってしかたがなかった。

(ひょっとしたら、話していた赤いドアから中に入って、ドアが閉まっちゃって、外に出られなくなっているのかもしれない。)

 そう考えだすと、その考えが頭の中をぐるぐる回り始めた。

 このまま帰ったら、気になって、夜、ねむれないと思った。


 それで、帰りに、一人で、そのビルの前まで来た。

 たしかに、地下へと下る階段があった。

 外の空気はむわっと暑く、じっとりと汗が出てきて、シャツが背中にくっついた。

 なんだか、臭う。

 足元から、生ゴミみたいな臭いがただよってきている気がした。

 とちゅうの踊り場の天井で、蛍光灯がついたり消えたりしている。

 そこから下は、真っ暗で、よく見えない。

 なんだか、うす気味悪い。

(大人の人と来た方がよかったかな。)

 塾長の永野先生にちゃんと話した方が、よかったかもしれない。

(やっぱり、帰ろう。)

 その時だ。

   カンカンカンカン

 階段の上から、ハイヒールを鳴らしながら、赤いレザーの短いスカートに、細く長い足の女の人が下りてきた。

 茶色の長いふわふわの髪に、真っ赤な唇。

 大きな目でぼくをジロッと見た。

 でも、そのまま何も言わず、表通りの方へ行ってしまった。

(もし、二人が本当に閉じこめられてたら…。このまま帰って、ふたりはケガしてて、それで、そのまま死んじゃったら…。)

 それって、ぼくが『見殺した』ことになるんだろうか。

(そんなの、いやだ。)

 ぼくは、蛍光灯がチカチカする階段を、一段ずつ下りて行った。

 すうっと背中の汗が引いていく。

 踊り場までくると、暗い闇の中に浮かんでいるかのように、赤いドアが見えた。

 そうっと、そうっと、階段を一歩ずつおりて、赤いドアの前に立った。

 赤いドアの前で、小さな声で、

「池田? 木村? いる?」

と呼んでみた。

 でも、答えはない。

(やっぱり、ちがうよな。)

 ホッとして、帰ろうとしたその時、

   カタンッ

と、中から小さな音が聞こえた気がした。

「えっ、誰かいるの?」

 でも、答えはない。

 もう音も、しない。

(やっぱり、気のせいだ。)

 でも念のためと思って、ドアのノブを持って、回してみた。

   カチリッ

 ノブが回った。

(あれっ? 鍵がかかってない。)

 そうっとドアをおすと、ギイイッと内がわにドアが開いた。

 中から、光のかわりに、むわっと生ぐさい臭いがもれてきた。

 もう、早く帰りたい。

 ドアのすき間から、真っ暗な闇に向かって言った。

「木村? 池田? いる?」

 やっぱり、答えはない。

(ここになんか、いないよ。)

 そう思って、ドアを閉めて帰ろうとした。

 その時だ。

 いきなり後ろから、シャツのえりをつかまれた。

「うわああっ!」

 グイッと、後ろに引きもどされた。

「何してんの?」

 顔をあげたら、さっきの赤い唇の女の人だった。

「あんた、隣のビルの塾の子でしょ。このあいだも、二人来たわよ。」

「えっ、本当ですか?」

「で? あんたは、何しに来たの? また、いたずら?」

 ぼくは、必死で首を横にふった。

「あの、友達がここに、閉じこめられてるんじゃないかと思って」

「はあ? ここに?」

 女の人が、真っ赤な唇で、ケケケケと笑った。

「このドア、オートロックだから。鍵かけても、中からは開くから。閉じこめられることなんかないの。」

 女の人がドアの横の壁に手を入れて、カチッとスイッチを押した。

 チカチカと、中の天井の蛍光灯がついた。

「ここ、たいしたもの置いてないから、鍵かけてないんだよね。」

 中には空の段ボール箱とか、空き瓶の入ったケースとか、こわれかけたパイプ椅子とかが積まれていた。

「ね、誰もいないでしょ。」

「でも、」

「じゃあ、自分で見て来なよ。」

 そう言われて中に入った。

 積まれた段ボール箱の列の後ろも見た。

 でも、池田も木村も、誰もいない。

(あれっ?)

 段ボールのすきまの床の上に、ドクロのキーホルダーが落ちていた。

(これって、木村の?)

 それに、赤黒いものがついていた。

(えっ、血?)

 なんだか寒いのに、汗がダラダラと、顔の横を流れていく。

「ね、子どもなんて、いないでしょ。」

 声にふり返ると、女の人が中に入ってきて、後ろ手にドアをしめた。

 そして、ニヤッと笑った。

「だって、もう食べちゃったんだから。」

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