第19話・剣聖リヒトの宿願

 ジャンヌはゴードの故郷、ドワーフの国であるガダルニア王国にようやくたどり着いた。途中、妙な男と小さな生き物との強烈な記憶が頭に刻まれていたが、判然としなかった。


 リグレットたちはログアウト後、ジャンヌのログ内に残っていた自分とガルフのデータにノイズソースを加えて書き足していた。ログを消すことは魁でも難しい。そのため、記憶の上書きを行う。だがこれはプレイアブルなプレイヤーに対して行うことであり、ゲーム内の没入感をできるだけ削がないためである。


 ジャンヌが剣聖リヒトのもとを訪れた理由は、剣術を磨くため。最近はレベルが上がりすぎたため、次のレベルアップまで相当量の経験値が必要になる。【エクスペリエンスの指輪】を装備していても、経験値はなかなかたまらない。それなら、戦闘スキルを鍛え上げなければとなったわけだ。


 もともと僧侶見習いだったジャンヌは、毒を無効化する【隠蔽の毒味シュレッダーヴェノム】と、魔力低減時に偽善の神ウリウスが現れ、問いに正解すれば魔力回復するという、【偽善ウルフスキン天秤ジャッジメント】のスキルしか習得できていない。レベルアップによる基礎体力や基礎魔力の類はアップしているものの、ステータスの割り振りは未完了だ。剣聖リヒトにはその割り振りを含めて教えを乞うつもりだった。


 ジャンヌがたどり着いたのはガダルニア王国のはずれにある隠遁村いんとんむら。理由あって、隠れ住むものたちの村だ。リヒトはそこで剣術を子供たちに教えている。


 ゴードからもらった地図は汗でくしゃくしゃだった。リヒトの居場所は詳細にはわからないが、隠遁村のまでの隠し通路を順に辿ってたどり着いた。ドワーフの国だけあって、地下トンネルが王国、街、村のいたるところに張り巡らされており、それはいくつものダンジョンのようでもあった。

 ジャンヌは誰が見てもよそ者とわかるようないでたちと、キョロキョロとすべての風景が初めてだとわかる様子だった。


「ジャンヌ、だね」

 小柄な青年が声をかけてきた。

「あ、はい」

「私は、リヒト。ゴードから話は聞いている。遠路はるばる、会いに来てくれてありがとう」

「いえ、僕が会いたくて来ただけですから」


 ジャンヌはリヒトの姿をじっと見た。自分の目を疑った。思っていた姿とはまるで違ったからだ。小柄な青年だった。二百五十歳の老人と聞いていた。

 だが違う。リヒトから発せられるオーラ―は強さから来るものだけではなかった。若さそのもの、今芽吹いたばかりの命そのもの。


 しかも、確かにドワーフだけあって背丈は小さい。だが筋骨隆々かといえば、そうでもなく斧や盾を使った戦いは不向きとも思われるほどの貧弱さだった。ジャンヌは本当に剣聖リヒトなのか疑いのまなざしで、じっとリヒトを見つめていた。


 しかも、隠遁村に住むだけあって、リヒトは用心深い男だと街では評判だった。ジャンヌはリヒトにすぐに会えるとは思ってもいなかったが、自ら名乗ることにも違和感があった。

 リヒトは、指を鳴らした。パチンと音がすると、ジャンヌを足元に大きな穴が開いた。ジャンヌは暗闇の中に落ちた。リヒトもジャンヌに続いた。

 ドスン、と音がした。尻から落ちた音だ。思ったほど深くはないと、ジャンヌは自分の身にケガがないか確認した。突然、目の前が明るくなった。剣聖リヒトと名乗る青年は、その姿を老人に変化させた。


「あなたは?」

「ごめんごめん、私はリヒト・スタンウェイ、ちまたでは剣聖と呼ばれている」

「その姿は?」

 ジャンヌは先ほどまで青年だった男が急に老人に変わり、目の前の現実が理解できていない。魔法ではない、何かが行われたということだけわかった。

「これは、【アピアランスの変更】と言って、課金ユーザーだけができる技。まぁ、ゲームの話をしても、ジャンヌにはわからんとは思うが」

「なんとなく、わかります」

「ほう?どこでその知識を」


 リヒトは低い天井の洞穴をジャンヌと歩きながら会話する。

「名前も姿もはっきりとは思い出せませんが、髪の長い男、あとモンスターのような生物、この方たちに、ゲーム、ってことを教わった気がするんです。でもどういう意味か、ゲームって何のことか思い出せないのですが」

 リヒトの顔つきが変わった。

「それはリグレットという男、槍の使い手だな。小さな生き物はガルフ、ミニドラゴンじゃなかったか?」

 ジャンヌはリヒトの落ち着きのある、この先に起こる数歩先のことまで見据えているような眼に、足が震える。


「覚えていません。すみません」

「この世界でゲームという話ができるのは、私とあの男ぐらいだ」

「あの男?」


 リヒトとジャンヌは洞穴ほらあなを抜け、開けた草原、大きな穴から降り注ぐ日差し、果物が実をつけ、鳥が群れを成して空を飛ぶ、やさしい空気。楽園のような場所、見たこともないが、に連れてこられた。

「ここが我が家だ、ジャンヌ」


 リヒトの家は、ドワーフらしいレンガでできた重厚な家だった。外壁は高く、小さな城のようでもあった。外壁の上には人一人分が歩けるほどの幅があり、高さは三メートル強。侵入を防ぐために、矢で優位に攻撃ができた。家の壁には青々しい蔦が絡み、奥の森と一体化して見えるほどカモフラージュ力が高かった。

「リヒトさん、私が来た目的は、剣術を指南していただきたく」

「ジャンヌ、すまない。といっても、NPCに謝ることもないか」


 リヒトはジャンヌの背後に回り込んだ。ストックしていた簡易詠唱【暗証番号ゲートナンバー】を発動。ジャンヌの後頭部に九桁の番号を浮かび上がらせた。ジャンヌは意識があるものの身体が動かない。

「ダダィ、デディ!」


 リヒトが大声で呼びつけた。ダダイ・スタンウェイ、デデイ・スタンウェイ、エルフの双子姉妹。十二聖騎士の二人が現れた。

ダダィとデディは【開錠スキミング】の呪文を完全詠唱した。一糸乱れぬ、呼吸のあった二人の詠唱にジャンヌは意識を失いそうになった。詠唱言語の中に、睡眠系の呪文が含まれているためだった。

「783549621134」ダダィが叫んだ。リヒトはダダィの言う通りにジャンヌの後頭部に浮き出た番号を打ち込む。ジャンヌの後頭部が開き、手のひらサイズほどの小さなモニターが表示されている。

「これだ、レベルアップした経験値だ。多少スキルポイントは使われているみたいだが、一式リセットして、これをいただく」


 リヒトはジャンヌが溜め込んだ経験値を盗み出した。クリスタルのボールにその経験値を移し替えた。クリスタルボールはゆっくりと光り輝いている。

「な、なにを」

「ジャンヌ、すまない。君の経験値がこの世界を救うんだ。そして、君は再びNPCに戻り、死ぬ。NPCにも死ぬ概念はあるからね。君みたいなクエストでフラグ立たなきゃ動けないキャラ風情が、ここまで大きな物語の中心になれたんだ。あの方に感謝こそすれだな。じゃぁ用無しには死んでもらおう」

ダダィとデディは【阿吽攻撃シンクロニシティ】を放った。二人の秘匿ひとく武器同士がシンクロしたのだ。


 ジャンヌはダダィの大剣とデディの短剣で身体を切り刻まれ、いくつもの肉片となった。

「念には念を、跡形もなく殺らないとだね」

リヒトは【炎獄の輪獣ル・ヴィーグ・サハン】により、火に包まれた狼(精霊)を召喚した。炎狼とも呼ばれる、この精霊はあらゆるタンパク質を焼き尽くす。


 肉片と化したジャンヌは炎狼が一歩動くたびに発せられる圧倒的な火の塊に包まれ、蒸発していった。

「これで、一安心っと」

 リヒトはそう言うと、ダダィとデディとともにクリスタルボールを抱えながら、再び隠遁村へと戻って行った。


草原は火の海となった。頭部だけになったジャンヌはなぜかかすかな意識が残っていた。

目から零れるな涙、瞬時に蒸発していく。

スキル【偽善の天秤】が発動していたのだ。


【偽善の天秤】

 魔力が極端に低い値になった場合、偽善の神ウリウスが現れる。欲望の底にあるけがれた心に問いかけられる。問いへの答えに正解すれば、魔力を獲得できる。不正解ならば、命を失う。


 ジャンヌは偽善の神ウリウスによって一命をとりとめていた。というよりも、ウリウスの問いに答えるまでは、死ぬことすらできないのだ。


ウリウスは問うた

「ジャンヌ、君が今一番願うことは何だい?」

「に、二択、じゃぁ、ないんですか?」

頭部だけになり焼き尽くされながらも、ジャンヌは会話ができた。炎狼はウリウスを見てその禍々しさと神々しさに、恐れをなしていた。じっと、二人の会話に聴き入っていた。


「早く答えないと、私の力にも限りはあるよ」

「ね、ねがうことは、この世界を、僕たちの手にとりもどす、こ、と」

「それは、君たちNPCにとっての世界ということかい?」

「NPCがい、いまいち、よくわ、かりませんが、だ、だれかに、あやつられて、いるのならその世界を、ぼくや、セイトン先生、友達のロキやファル、みんなの手に戻す、こ、、、と」


 ジャンヌは意識を失った。頭部の半分は消失している。

「よろしい、今一度、ジャンヌに力を!【エイム・リバウム】」

ウリウスは蘇生魔法、【エイム・リバウム】をジャンヌにかけた。ジャンヌの身体はみるみる復活していく。炎狼はその様子をうっとりと眺めている。


まだ華奢きゃしゃだったジャンヌの肉体は再生とともに厚みを増し、強靭な鎧のように逞しくなっていった。ジャンヌが蘇生したのを確認するとウリウスは、炎狼の体内に取り込まれ、はジャンヌの側に駆け寄った。


「ジャンヌ、申し訳ない。一連の様子を確認せていただいた。リヒトは怪しい男だとわかっていたが、ここまで泳がせてしまい申し訳ない」


 全裸のジャンヌに、炎狼は布でできた軽装着、胸・脛宛てといった装備を瞬時に装着させた。それは魔法とは違う、特殊な何かであった。

「今のジャンヌのレベルは2だから、これくらいがちょうどいいね」

「あなたは?」

「私?あなたのよく知っている人よ」

 聞き覚えのある、優しい声だ。あの声は。

「セイトン・アシュフォードよ」

「セイトン先生!」

「隣にいる男にも代わるわね」

「おぅ、ジャンヌ!すまないな。死にかけたろ」

「その声は、ゴードさん!」

「炎狼をリヒトの召喚精霊にするのに苦労したぜ。まぁ、リヒトはジャンヌの経験値をねらっていたみたいだからな。思った通りになったってことだ」

「ジャンヌ、その炎狼を連れて、一緒にウッドバルトに帰ってきなさい。事情はその時話す」


 セイトンは慌てているようだ、とジャンヌは感じ取った。

「ジャンヌ、こちとら、ちょいと取り込んっじまった。急いで帰って来い、その炎狼は剣に姿を変えるから。使いこなせよ!じゃぁな」


炎狼から聞こえてきたセイトンとゴードの声は、聞こえなくなり炎狼は、細身の剣となった。となりに落ちていた鞘に剣を納め、リヒトと同じく洞穴を戻り隠遁村を抜けていった。


「チッ、一足遅かったか」

「もぉ、リグレットがログイン遅かったからでしょ」

「トイレがさぁ、我慢できなかったんだよ。ゲーム中は行けないだろ。オムツにしろって言われても、なぁ」

「まぁ、気持ちはわかるけどね…」


 リグレットとガルフは、炎で焼き尽くされた草原に痕跡を探していた。


「ダメだな、ジャンヌの生体反応はあるが、レベルが2かよ。どういうことだ」

「リヒトもここにいないみたいだし。リヒトのログはほとんど記録がないんだよねぇ。うまく隠れてきたみたいだし」

ガルフはくるっと焼け野原になった草原を上空から見下ろした。

「ジャンヌはどこに向かってる?」

「うーんと、このままいけば、ウッドバルトだね。戻るってことだよね」

「先回りすっか」


リグレットたちは【転移走術スクレプト】を唱え、ウッドバルト王国へと移動した。

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