第12話・不死の王、ガル・ハンあらわる

「ルイには申しつけておけ、セイトンは決して殺してはならんと」

 四天王時代、今から数年前。リムが大賢者ではなくまだ一介の賢者だった頃。リムは一瞬の油断から、戦闘で左腕を失う。厳密には肘から先を消失した。


 倒したはずのヴァンパイア、戦闘に「はず」は禁物だ。不死のスキルを持つヴァンパイアならなおのこと。瀕死のヴァンパイアが詠唱していたのは【死の誘惑クライレイド】、即死率50%の魔法攻撃だった。


 残り少ない魔力を最大限に振り絞るヴァンパイア。遠い昔ガル・ハンと呼ばれたその男は不死の誓いを交わした。失ったものは人間としての誇りと理性。手に入れたものは滅することのない命。死しても、七日でよみがえるこの悪魔の討伐に四天王たちが駆り出されたのは当然だった。


「痛い、痛い!だが、この程度で私が死ぬことはありません。ヴァンパイアですよ。四天王リム・ウェル、あなたこそ死すべし」

 

 魔力の急激な増大に気づいたリム。通常ならなんなくレジストできるものの、不意打ちなら話は違う。

ガル・ハンの詠唱が終わる。二枚の舌を持つガル・ハンは通常の詠唱速度を凌駕りょうがしていた。


「さぁ、堕ちろ、地獄の底へ。四天王を全滅してくれる」

 ガルの【死の誘惑クライレイド】が放たれる。パーティー全体への効果、これほどの【死の誘惑クライレイド】はバルスでさえも体験したことがなかった。


 リムはパーティーを護るため、振り向きざま反射的に左手一本でレジストを試みた。それは素手で火山のマグマに手を突っ込むようなものだった。

「あぁッ」

 リムの声にならない叫びが聞こえる。


 テイト・ゴード・セイトンとリム自身、パーティーの全滅は阻止した。だが、失ったものもあった。リムの左腕、肘から先だった。腕から先を失うことは、致命的だった。術印じゅついんを結ぶことができない。右手一本で杖を使うこともできるが、リムの戦闘スタイルからはかけ離れている。


「ぐぅぅ」

 リムは痛みで膝から崩れ落ちる。ゴードがヴァンパイア、ガル・ハンにとどめを刺す。ガル・ハンは無数の虫へと姿を変え、散り散りになった。七日もすれば復活するかもしれない。


 だが失った魔力を取り戻すには二百年はかかるだろう。ひとまず勅命は果たしたと言える。

苦しむリムにテイトとゴードが駆け寄る。

 右手で回復、補助印・左手で攻撃印を戦闘スタイルとしていたリムには、どちらか一方の腕を失うということは賢者の引退を意味していた。


 ガル・ハンが拠点にしていた暗黒教会に火が放たれる。たちまちガラスが割れる。建物からの熱風に包まれながらも、テイトもゴードもリムの近くから離れようとしなかった。

 セイトンは、ただリムを見つめていた。そして、次の瞬間セイトンはためらいなく自身の左腕を斬り落とした。吹き出る血を回復魔法で抑えた。


「くぅ」

 セイトンの声が小さく、燃え盛る炎の音にかき消される。

「セイトン!何を!」

 バルスはセイトンの方に視線をやった。セイトンは満足気な表情だ。口角が上がってすらいた。ゴードは状況が飲み込めていない。唯一リムは、セイトンがこれから何をしようとしているのかわかった。


 セイトンが腕を、自分に移植しようとしている、リムにはセイトンの考えがわかった。

セイトンとリム、目が合う。これまで女同士、パーティーではそりの合わないこともあった。だが、二人の絆は深かった。それだけにセイトンの行動に、リムは自分で自分を恨み呪った。自分が賢者でなければ、誓聖印プレージの使い手でなければと。


セイトンはリムを抱き起した。

「ルルド・ルルガ。永続する精霊よ、その御霊、我に。ルルド・ルルーシュ」

セイトンが詠唱する【高回復の誉ルル・レタブリス】は発音が美しい。もともとはエルフの詠唱呪文である【高回復の誉ルル・レタブリス】。人間であるセイトンの発する詠唱には、芯があり華がある。一定のリズムで丁寧に唱えたことで、効果も変わってくる。


 リムの肘から先はセイトンの腕がつなぎ合わされた。セイトンは武闘家の前は高僧でもあった。

「ありがとう、セイトン。ごめん」

 リムは涙が止まらない。

「いいのよ、私とあなたはこれで一つになれたから」

 セイトンの言葉がリムを貫いた。この日のことをリムは一日たりとも忘れたことはない。


 あれから三年、リムにとって恩人セイトン。リムのセイトンを想う気持ちは深く深く募る。そしてそれは恩義や親愛から、叶わぬ愛情へと姿を変えていった。

 だがセイトンは同じ仲間の勇者、バルス・テイトを愛していた。

 オーギュスター公国三代目の王に就任するために婚約者セイトンを捨てたバルス。


 リムにいつしか芽生えていたバルスへの嫉妬心。それはやがて、憎しみに変わっていった。

 リムは愛するセイトンを捨てたバルスはもとより、オーギュスター公国を滅ぼすことそれがすべての行動原理となっていったのだった。




「前方から、屍馬の大群、その数十万!最前線、あれは…」

 やぐらから戦況を報告していた衛兵が言葉に詰まった。両手の力が抜け、遠眼鏡を落とした。

 勢いよく地を蹴り、土埃を舞い上がらせる黒い塊。十万の大群最前線を務めるのは、ルイ・ドゥマゲッティだった。

 この戦い、ウッドバルト王国の民をはじめ多くの生者が死者に変えられた。元凶はネクロマンサーのルイ。

「死者たちよ、壮大なる地の、かの地の盟約を。バルゴに葬られし、我が兄弟・姉妹、その御霊みたま…」

 ルイが先陣を切ってくること、ゴード、セイトンの二人はわかっていた。ルイを包む魔力の塊を察知していた。


「ありゃぁ、やっちゃうのか」

「ルイは手ごわいわよ」

 セイトンは聖水を再び振りかける。

「それ、俺にもかけてくれ」

 ゴードは宗派の異なる聖水を毛嫌いしていたはずだったが、よっぽど万全を喫したいのだろう、とセイトンは察した。

 ゴードに聖水を振りかけるセイトン。

「うぉぉ、これはくっせーな」

「でしょ」

 

その時だった。最後の火柱がオーギュスター公国方面から上がる。

「詠唱開始します!」

 ジャンヌは汗ばんだ手を上着でぬぐう。ここが正念場、自分の詠唱速度が一番遅いことを気にしていた。

 最前線にいた父ラルフォン、その後方支援をしていた団長ギャザリン、ジャンヌ三人は示し合わせたように【エイム・リバウム】蘇生の呪文を詠唱し始めた。三人は完全にシンクロしていた。


「おい、セイトン、【エイム・リバウム】の完全詠唱ってのはどれくらいかかるんだ?」

「うーん、一詠唱につき、五分程度かな」

「じゃぁ五分でこのアンデッドどもは、蘇生するってことか?」

 セイトンは首を横に振る。

「この規模じゃぁ、五詠唱は必要かもね」

「【エイム・リバウム】を五回も詠唱するなんて、聞いたことないぞ」


 ルイの軍勢があと五百メートル先まで迫って来た。ルイの詠唱がまもなく終わる。【死の誘惑】だ。

「…魅入られし、我が神と子。父なるものを、母なるものをその手に」

 ルイの完全詠唱が終わった。あとは、放つだけだ。練り込んだ魔力の大きさは、術者の能力で変わる。ルイはリム・ウェルの側近中の側近。魔力だけではリムを凌ぐともいわれている。底なしの魔力保持者だ。


「ジャンヌが五回も【エイム・リバウム】を詠唱できるかも重要だけど、私たち今すっごいピンチってわかってる?ゴード」

 土埃つちぼこりにまみれた風に、セイトンの美しい髪がなびく。そこだけ時間の流れが緩やかに見える。スローモーションのように。

 金髪の髪がはらっと、空を舞う。ゴードの心拍数が上がる。両腕の爪も呼吸するかのようにシンクロし始めていた。


 ゴードが前に出る。ルイまであと十メートル。接近しなければダメージは与えられない。接近しすぎれば、【死の誘惑クライレイド】を一身に受けてしまう。

ゴードの爪が空を割く。両腕で【阿吽攻撃シンクロニシティ】を試みる。わずかに左腕の動きが遅い。

 それでも元四天王。左右の爪が引き裂く空気から真空波が生まれる。いくつもの小さな竜巻が、ルイをめがける。


 屍馬デスホースを二匹つないだ戦馬車。ルイが左手をクイッと上げると、三体の大型スケルトンが前に出てきた。巨人のスケルトンだった。ルイの代わりに竜巻を受け止め、粉々に砕け散る。

 ルイは戦馬車チャリオットの操術をやめ、鞍のない屍馬の上に立つ。バランスを崩すこともなく。

 ゴードは砕けたスケルトンの骨埃に隠れてルイの背後を盗る。盗賊王のスキル【忍ぶ蓑歩ステルス・ハグ】がオートで発動している。姿そのものが消えているゴードにルイは気づかない、はずだった。


 セイトンがスキル【神速の連鎖フライング・コンボ】を発動した。踏み出した右足、蹴る左足、瞬きひとつしない間に、百メートルは移動できる。セイトンもルイの背後に回り込んだ。ルイを攻撃するかに見えた、その瞬間。


 セイトンはゴードの右腕をつかみ、後方に放り投げた。

「おぉお、何するんだ!セイトン」

 宙を舞うゴード。

「レジスト準備して!」

 セイトンの声が城壁の上、やぐらにいるファルにまで聞こえる。

 ルイが両手で印を組んでいた。簡易詠唱だ。

「【天地葬礼ダーズ・ヒュネラル】」

 一瞬の出来事だった。空と地面の距離が縮まる。押しつぶされそうになる錯覚。夕暮れの空と夜の空がグラデーションになり美しい。迫る空。気圧が上がる。耐えられないスケルトンは粉々に、デュラハンたちは鎧が裂け、死霊たちは空気の摩擦で焼けていく。


魔狼ワーグ屍馬デス・ホースは本能から身をかがめるも、気圧に耐え切れず眼球がむき出しになり、腹が裂け臓物が飛び出る。ルイの戦馬車を曳いていた屍馬は、流石といったところだった。無傷で持ちこたえている。


「ククッ。やりすぎたか、リム様に叱られてしまうな。まぁ、あの程度で死ぬ四天王でもあるまい」

 余裕の笑みを浮かべるルイの頬に一筋の風が当たる。それは、頬をなでるような優しい風だった。

 その瞬間、セイトンが戦馬車の屍馬二体の四肢を切断する。左腕、【僥倖ぎょうこうの腕】は血にまみれていた。馬上から落ちるも、体勢を崩さないルイ。そのまま、まっすぐに地面を踏む。


「流石、リム様のご友人。セイトン様」

 表情を変えない強気のルイ。息が切れるセイトン。

「あ、あんた、術ストックできるのね」

「ええ、もちろん。【死の誘惑クライレイド】は確実な距離感で使うモノですから」


 術ストックとは、完全詠唱した呪文を術者の中で保持できる能力だ。これは器と呼ばれるものに近く、魔力の大きさがそれぞれ異なるように術をためておける器の大きさも皆違う。レベルに依存するものでもなく、単に術者の先天的な資質によるものだ。

 理論的には無限にストックできるものもいる。ただし、ストック時間は一時間程度が基本だ。時間が経つと、自然と詠唱は無効になるが、魔力は消費してしまう。


 ゴードが両腕を振っている、【阿吽攻撃シンクロニシティ】を幾度と試している。真空の小さい竜巻が巻き起こるだけで、シンクロできていない。


「セイトン!下がれ、そいつは【死の誘惑クライレイド】を放つぞ!」

 ゴードの声が戦場に響く。陽はすっかり落ちた。


 セイトンはゴードのアドバイスに耳を貸さなかった。一切下がらなかった。ルイへの攻撃を繰り出す。【僥倖ぎょうこうの腕】がさえわたる。だが振りが大きい。振り切った腕が振れるものは、粉々に砕ける。ルイの背後から巨人のスケルトンが大型のつちをセイトンめがけて振りぬく。


 セイトンはここでも下がってかわさない。むしろ前に出る。城門を一撃で破壊できるほどの槌の攻撃を生身の方の右腕一本で受け止める。

 柔らかな肉をナイフで切るように、すうぅっと槌が真っ二つになる。【金色の夜叉ゴールデンウィーク】の肉体強化により、セイトンに物理攻撃は通用しない。


「聞きなさい、アンデッドたちよ!その魂を奪われた王国の民よ。これからあなたたちを蘇生します。戦意を納めなさい。戦うのです、自らの理性をもって」

 セイトンがアンデッドの大群たちに向かって気を吐いた。


「無駄よ。こいつらは意思のない塊。私に操術されるだけの存在」

 ルイはストックしておいた【死の誘惑クライレイド】を放つ準備を始めていた。距離が近すぎれば、セイトンを消し去ってしまう。それでは、リムの怒りを買ってしまう。リムの愛するセイトンを殺してはいけない。


 ルイの嫉妬心が高まる。ルイもまた叶わぬ愛を持って、戦場に立っている。リムを愛しているのだ。だからこそ命を投げうつ覚悟で、この戦いに身を置いているのだ。リムに褒められたい一心で。


 セイトンが体制を立て直すためにゴードと合流する。セイトンとの距離は七メートルとルイは目視した。セイトンがルイに背を向けたのは一秒にも満たなかった。が、ルイはその瞬間を見逃さなかった。【死の誘惑クライレイド】を放った。


 直線に放たれる魔力の塊。それは魑魅魍魎ちみもうりょうが具現化したような、禍々まがまがしいものだった。

「死ぬことはない。だが、今度は右腕ごと消滅はするだろうな。フフフ」

 ルイから勝利の笑みがこぼれる。操術ネクロマンシーをしているアンデッド隊をさらに前に推し進め、ルイ自身は後方へ下がる。


死の誘惑クライレイド】がセイトンとゴードに直撃する。陽が落ちたウッドバルト王国城壁前がさらに暗く闇に包まれた。


 セイトンはゴードのスキル【月面の歩みムーンスライド】により、分身にガードされた。かつ、自身のレジスト能力により【死の誘惑クライレイド】をはじき返そうとしていた。が、そこはルイ。魔力の大きさが術の力にも影響する。思ったよりも、その効果とっさに出した右手、指の二、三本は失う覚悟だった。


「アァアッ。暗闇大好きです。私ッ」


 大きなマントでセイトンとゴードは包まれていた。

 セイトンはマントを払った。覚えのある怪しい香り。甘ったるい香りが鼻につく。暗闇のなか、うっすらと灯る月明り。逆光で顔が見えない。立ち上がったゴードが言った。


「お、おまえは、ヴァンパイア野郎!ガル・ハン」

右手を天に突き上げる、ヴァンパイア、ガル・ハン。かつて四天王に倒されたその男は、再び二人の前に現れた。


「チィッ。あれは、ガルか。一体どういうことだ」

 ルイが爪を噛む。暗闇の戦場に現れた不死の王。その身体は失ったはずの魔力であふれかえっていた。魔力の量なら、ルイにも匹敵するほどだった。

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