ジェンダーを変えるということ
一宮 沙耶
第1章 悪魔のささやき
第1話 公園のベンチから見る夜空
「女性の体になってる。あの話しは本当だったんだ。」
僕は、昔から、この体が嫌いだった。1人で部屋にいるときは、シリコンパットをブラに入れてバストを作り、スカートを履いている。女装、特にバストができると落ち着くんだ。でも、やっぱり男だから、限界がある。しゃべると、やっぱり男性なんだって思い知らされる。
でも、男性が好きなわけでもない。男性とキスをするとかは気持ち悪くてだめだ。でも、女性を抱きたいわけでもない。そう、昔、何か変わるかもと思い、女性と寝たこともあったが、立たなかった。
男性とか女性とか関係ないし、そもそも人と一緒にいたいとも思わない。1人でいるのが楽でいい。そう、誰かに見せたいとか、同性が好きだとかじゃなくて、自分の中だけで、体の性に違和感があるだけなんだ。
手術することも考えたけど、失敗したりすると怖いし、男性の声は治らないみたいで、結局、完全な女性になるのは無理って聞いて、やめた。バストを作るだけだったら、簡単そうだけど、そうすると、温泉とか海とかに行けなくなるし、会社でも、ごまかせなくなる。
戸籍の法律が変わって、手術して精巣を取ったりすれば法律上も女性になれるって聞いたけど、今更、女性として生活する勇気はない。人間関係を1から作り直さなくちゃいけないって、できないよ。会社では、変人って思われるし。
そんな中、僕は、おじさんに人生をやり直せると言われ、渡された薬を飲んで、目が覚めたら、あの部屋で目の前に座っていた女性と体が入れ替わっていることに気づいた。
その女性の部屋で起きたんだけど、バックには、家の鍵とか、スマホとか、銀行カードとかがあって、手帳には、PWとかも書いてあったから、何不自由なく、あの女性として人生をやり直すことができたんだ。
完全に女性の体になったことに、安心感と喜びを噛みしめた。これで、なんの後ろめたさもなく、正々堂々と女性として過ごすことができる。
一方で、生活している最中に、いきなり元に戻るなんてことがあると目も当てられないけど、おじさんは、元には戻れないと言っていたから大丈夫か。
もともと、自分の部屋では、昔から女性の服装で過ごしていて、メークもしていたから、生活については特に困ることはなかった。1つ困ったのは、女装して外出したことはなかったから、ハイヒールを履いて外を歩くことだったかな。
それは別として、一応、クローゼットの服とか確認して、ひととおりの服を着てみた。でも、シリコンパットのバストと違い、本物は一体感が全く違っていて感激に浸った。
部屋は、思ったよりもシンプル、というより殺風景だった。翌日は土曜日なので、可愛らしいぬいぐるみや、コップとかを買いに行って、部屋を少しでも女性らしいように変えてみよう。
日曜日の朝に起きたけど、バストはしっかりあるし、下半身に変なものついてないし、夢じゃなかったんだ。これから、女性としての人生を楽しむんだと、ワクワクしていた。
月曜日には、会社に出社した。仕事に馴染めるか不安はあったけど、IT業界という意味では同じで、それなりのスキルがあるから、仕様書などもほぼ理解でき、それほど問題となることはなかった。これなら、やっていける。そして、横に座っている女性に声をかけた。
「お昼休みになったから一緒にランチに行こうよ。」
「そうね。疲れた。でも、瑞希から声をかけてくれるなんて珍しいわね。」
「そうかな。」
「そうよ。いつも、1人が好きだって言っているじゃない。」
「そうなんだけど、いいことがあって、今日は気分がいいから。」
「そういう時もあるよね。じゃあ、行こう。」
食堂に一緒に行ったが、メニューも値段も、前の会社とほぼ同じぐらいだった。
「瑞希のラーメン、美味しそうだけど、カロリー大丈夫?」
「ついつい美味しそうに見えて選んじゃった。そういえば、カロリー高そうだものね。今日の夕食は抜きかしら。」
「その方がいいと思う。ところで、紗希がさぁ、社内恋愛しているって知ってた?」
「そうなんだ。知らなかった。どんな人と付き合っているの?」
「同期の営業にいる坂本くんだって。優秀だと聞いているし、紗希もやり手ね。」
「そうよね。私たちもがんばんないと。」
ランチの時間、ずっと、恋バナの話しで疲れたけど、今の部署のこと、いろいろ聞けて良かった。そして、今日は、新卒社員の配属が決まって、部署で歓迎会があることも知った。
でも、こんな感じで、女性どうしで笑いながら仲良く話せるって、とっても楽しい。前は、何かあるとすぐに自分の部屋に戻り、ずっと1人でいたから、人と一緒にいる楽しみなんてなかった。
男性と話すことはもちろんあったけど、お前の話しにはオチがないとか、つまらないとか、なんか話す気がなくなることばかりだったんだ。でも、女性の笑顔を見てるだけで落ち着くし、こちらも自然に笑顔になる。
そうだよな。話しオチなんてなくてもいいだろう。目の前の女性は、何気ない日常の話しをしてる。特に女性の話しを聞いてると、内容というよりは、一緒に話してるという時間を楽しんでいるようだ。
ただ、思ったことを言って、相手の言うことに共感を示す。それだけで、一緒の共有空間と共有の時間を持てる。本当に女性になれてよかった。おじさんの言う通り、人生をやり直すことができるんだって、喜びが溢れてきた。
午後の仕事が始まり、上司に、午前中やっていた仕事の進め方を効率的に進めるための方策を提案してみたが、いきなり怒鳴られた。
「うるさい女だな。黙って、言われたとおり仕事していればいいんだよ。大体、お前は、いつも、仕事が遅いじゃないか。まず、自分のことをしっかりしてくれよ。」
その後、ふてくされてデスクに戻り、仕事を続けていたら、横の同僚が話しかけてきた。
「瑞稀、いつも言っているけど、この会社、女性が何を言っても聞いてくれないんだから、そろそろ学びなよ。それよりも、いい結婚相手見つけて、寿退社をすればいいんだって。」
「男性も女性も関係なく、会社をよくする方向を一緒に考えるべきなのに。」
「そんなこと言っているから、上司から嫌われるのよ。そろそろ、大人になって、笑顔でハイハイって言っていればいいの。」
それは間違っているよ。そんなことを言ってるから、日本は変われないだよ。知ってるかい。1人当たりのGDPは、日本はシンガポールよりも低いし、アメリカの一風堂のラーメンは1杯2,500円だよ。日本人には、そんなラーメン食べられないと思うだろ。日本は貧しいんだ。
気づかないうちに、日本は貧しい国になってるんだから、変わらなくちゃいけない。変わるには、目の前のことから一歩一歩変える必要があるんだ。だから提案しているのに、なんで、わからないんだ。
人事部に行って、上司が提案を聞いてくれないと相談してみたが、それがすぐに上司に伝わり、個室に呼び出され、さっきの小言に加えて30分もずっと大声で叱られてしまった。
「何か、俺がお前にしたのか。お前のせいで、人事部から嫌味を言われたじゃないか。お前は本当に疫病神だ。会社やめてくれないか。顔だけ良くて、仕事の邪魔をする女は嫌いなんだよ。そもそも、女っていうのは、男のサポートをする生き物なんだから、まず、その辺から学んで出直してこい。」
まだ、この会社に来て5時間ぐらいだが、男性の間で、見えない強いネットワークがあり、女性は、長時間労働で女性と知り合えない男性のための福利厚生として存在しているという感じがした。そういえば、課長クラスの人って、みんな男性だし。
女性は、男性の福利厚生じゃない。男性は女性に尽くすべきとまでは言わないけど、女性だって1人の人間なんだよ。たまたま女性とか男性に生まれてきてしまっただけ。
僕は、望んで女性になったんだけど、こんなに女性というだけで見下されるのには憤った。怒りが抑えられなかった。おかしいだろう。
夕方になり、新卒の歓迎会が始まった。今回、この部署に配属された新人は全て男性で、私たち女性は、先輩なのに、上司や新卒の社員にビールを注いで回るよう強要された。トイレで、ランチを一緒に食べた同僚に愚痴った。
「この会社、女性に対する対応、酷くない。私たち、ホステスじゃないし。」
「また、そんなこと言っている。本当にクビになっちゃうよ。愛想よく笑っていれば、楽に過ごせるんだから。瑞稀は可愛いんだから、上手くやれるのに。不器用なんだよね。あ、上司が呼んでるよ。早く行って、お料理を取り分けてあげなさいよ。」
なんか、とても不満いっぱいの飲み会で、怒りが顔に出てたと思う。上司からは、酔っ払ったのか、私に向かって、お前なんて顔はいいけど、心は醜いと言い放ち、出てけと叫ばれた。周りの部下たちが、まあまあと抑え、大ごとになることはなかったけど。
どうして、こんな扱いを受けるんだろう。この上司、いやこの会社は、本当に間違ってる。女性は男性のためにいるんじゃない。
でも、少しは飲んだせいか、帰りは、やっぱり女性の体はほっとするなと嬉しい気持ちに戻れた。そこで、都内としては広い公園の中央にある池の横のベンチに座って、星を見上げ、幸福に浸った。
月はなく真っ暗だったので、星がとても綺麗に見えた。都内でも、こんなに星が綺麗なんだって、改めて思ったし、これはやっぱり、僕の気持ちが爽やかだからそう見えるんだとも思った。
その時だった。誰もいないと思っていた公園で、後ろから2人の男性が僕の体を押さえた。そして、ベンチに座ったまま足を上げられ、ナイフでパンツ、ブラウス、ブラは切り裂かれ、いきなり下半身に自分の固いものを入れてきた。
大声を出そうと思ったけど、ナイフで脅されたのと、あまりの強い力で怖くなって、声が出なかった。
「痛い。やめて。」
「こいつ、処女じゃねぇ。燃えるな。」
「痛い。」
屈辱的な状況なのに、入るたびに声が出てしまい、自分が汚い存在だと感じていた。
恐怖と、痛さで涙が流れていたが、1人が終わると、次の男性がまた入れてきた。ブラもパンツも引き裂かれ、下半身からは、いきなりだったので血が出ていた。
私の体は、あなたたちの欲求を満たすためにあるんじゃない。ずっと、そんなこと考えていたけど、抵抗することはできなかった。
「今日のことは黙っておけ。喋ったら、殺すからな。」
そう言い放って2人は去っていった。そうだった。僕は女性なんだから、こんな誰もいない、真っ暗な公園に1人でいるのは不用心だったんだ。しかも、2人の男から中出しをされて、子供とかできたら、どうしよう。本当に失敗だった。
涙が止まらず、ボロボロの格好で、誰かに見られないように走って家に戻ることにした。走ってる時にも、下半身は痛い。でも、こんな姿、他の人に見せたくない。
部屋に戻った私は、汚れてしまった体をシャワーで流した。でも、いくら流しても、自分の体が汚れてしまったという気持ちを流すことはできなかった。
それから、数ヶ月後、妊娠していることが判明し、強姦されたと病院に伝えることで私だけでの手続きで中絶手術を受けることにした。本当に不用心なせいで、せっかくの体を傷つけてしまったことに心が病んだ。
せっかく美しい体をもらえたのに、僕がそれを汚してしまった。悪いのは、あいつらだとはわかっているけど、だからと言って、元に戻せない。
ついさっきまで、バラ色の将来を描いていた体だったけど、こんなに汚してしまった。なんてこと、しちゃったんだろう。
さらに、会社では、上司から、毎日のように怒鳴られた。そして、他の人と違って重要な情報も連絡を受けなくなり、仕事も与えられずに、その結果として成果が出ない状況になった。
人事部からは、ワガママで仕事を放棄したとして、出勤停止の処分があって、給料も下げられた。そんなこともあって、会社では、誰も僕に話しかけなくなっていった。
もう、何もやる気力が起きず、上司に意見を言うこともなくなった。そして、ヘラヘラ笑いながら、そうですねなんて雑用ばかりすることに逃げていった。そうしていれば、怒られることないし。
そんな中、僕が中絶手術を受けたってことが社内に出回って、水商売をやっているって、みんなが噂するようになった。金をもらって寝た時に、妊娠しちゃったって。そんな汚い女性なんだって。
もう、誰も僕に話しかけてこないし、陰で指差して、僕を責めてる。みんなが敵に見えた。僕は何も悪くないんだ。でも、みんなの僕を見下す声は、布団の中で耳を押さえても、消えることがなかった。
そんな日々は僕の思い描いていた生活とは違い、その違いが、また僕の心を蝕んでいったんだ。そのうち、笑顔もできなくなって、無理に笑顔を作ろうとすると、顔が痙攣するようになってしまった。
日に日に、肌も荒れ、髪も乱れ、ボロボロになっていく僕を見た周りの人たちは、僕が病気だと言い始め、精神科に行くべきと言い始めた。でも、僕は、そんなアドバイスも耳に入らず、いつの間にか重い鬱になり、自分の家に閉じこもるようになったんだ。
僕は、体を交換して、女性になったことはよかったんだろうか。この生活は、あのおじさんが、人生をやり直せると言われ、あの部屋に行った日から始まった。人生をやり直さないかと。
そう、おじさんはチャンスをくれただけ。どうやり直すかは、自分の責任だ・・・。
そして、会社は、病気休暇の期限がきたので休職に入るかの連絡をしたけど、返事はなかったので、人事部社員が僕の家を訪問してきた。そして、その社員は、部屋で、ロープに首を吊って、揺れてる僕を見つけた。
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