第3話 僕はこの世界では消えていた 

 朝起きたら、俺は昨日の彩のままだった。やっぱり、元の俺には戻らないのか。じゃあ、当面、女性として暮らしていくしかないな。


 今日は、俺が一昨日まで暮らしていた吉祥寺の実家に行ってみることにした。男性としての俺は、そこでまだいるんだろうか? 親はどうなんだろう? 男性としての俺にあったら、2人とも消えてしまったりするんだろうか?


 今日は、少しがんばって、薄手のワンピースで行くことにしたんだ。まだ、トップスとボトムスの組み合わせとかよく分からないから、ワンピースにして、周りの女性をよく観察してみることにした。


 でも、薄手のワンピースって、さすがに、女、女した格好で、恥ずかしいな。鏡に映った自分は自分で見ても可愛いが、これが自分だと思うと、こんな姿で外を歩けるのか不安になった。途中で男性に戻ったりしたら、こんな格好で歩く男性なんて目も当てられない。


 また、昨日もそうだったが、歩く時に少し違和感がある。歩き方とかも勉強した方がいい。また、昨日、思ったんだが、女性独特の話し方があって、声は女性でも、なんか付いていけてない気がする。今夜は、女性の話し方も勉強してみよう。


 大学の寮から、最寄りの広尾駅に行き、恵比寿、渋谷経由で、自分の家にある吉祥寺に向かった。今日も、電車の中で、どうしても、男性の視線が気になる。あの男、ジロジロ見やがって。お前の女じゃないんだよ。睨むと、相手の男は、慌てて自分のスマホに目を向けた。


 電車の中では、女性の服装を観察したんだ。トップスをボトムスに入れるとか、外に出すとか。どういう色合いの組み合わせが一般的なのか。でも、女性の服って、ボタンで前開きになっていない服も多いし、なんか不思議だ。


 服によっては、肩に複雑にラインが出てて、今の俺には絡まって着れないんじゃないかって思える服もあった。


 男性の服よりも、多様性がすごい。男性なんて、シャツとジーパンとかだけって感じだけど、女性は、あまり同じ服装というのを見ない。そうは言っても、流行りなのか、一定の傾向もあるようだ。まずは、それに慣れないと。


 吉祥寺に着いて、外を歩いたが、ブラをしてるものの、歩くたびにバストが揺れて、本当に違和感がある。これはいつになったら慣れるんだろうか。また、大股で歩けないのも気になる。歩く幅は、ワンピースが制限してしまう。

 

 そんなことを考えながら歩いていくと、俺の家があったところに着いた。


 え、家がない。俺の家が、なんか2階建てで1階はラーメン屋になってる。あれ、ここにあった自分の一軒家がなくなっている。どうしてだ? 近所のおばさんが来たから聞いてみることにした。


「あの〜、ここに、昔、清水さんていう人の一軒家があったような記憶があるんですけど、何か覚えていませんか?」

「どなた? 私、ずっとこの辺に住んでるけど、ここはずっと昔からこのラーメン屋ですけど。清水さん? このラーメン屋さんが清水さんなんですかね。よく知りません。急いでいるんで、すみません。」


 どうなっているんだろうか。俺がいた痕跡がなくなっている。俺の家以外は、ほとんどそのままだ。右側の家は里さん。左側の家は武藤さん。そのままだ。どうして俺の家だけ、なくなってるんだ。


 俺は永遠に戻れないのだろうか。ずっと、この体で過ごしていかなくちゃならないのか。何もかも分からない。なんか、この世界から俺がいなくなってしまったようで、頭の中は真っ白になった。もう、俺に戻れないんだ。この体で、ずっと過ごすしかない。


 膵臓がんで死ぬのも嫌だが、男友達で、いい女性と寝たいって大声で騒ぎしたり、女性なんてくだらないなんて笑っていたけど、俺は、その女性になってしまった。


 これから、女性として生きていけるんだろうか。これまで女性とは、母親とか学校の先生とか以外は、ほとんど話したこともないのに、女友達とかできるんだろうか。女性どうしの付き合い方がわからない。


 また、女性として男性を好きになり、男性と結婚して、子供を産む? そんなことができるんだろうか。男性から抱かれるなんて、思っただけでも気持ちが悪い。男性のアレを俺に入れる、そんなことできるわけがないだろう。


 横を歩く男性を見て、一般的にはイケメンと言われるんだろうが、この男性に口づけされるのを想像したら、吐きそうになった。胸が揉まれ、喘ぎ声を出してる自分の姿を想像したら、鳥肌がたった。俺が、そんな女になっちゃうのか?


 そして子供を産む? そもそも、子供なんて、これまで興味もなかったし、可愛いなんて思ったことはない。そんな俺が子供を産むなんて想像ができない。このお腹に赤ちゃんがいて、嬉しそうに笑っている俺なんているんだろうか。


 その前に、そういえば生理とかあるんだったよな。痛いとか聞いたけど、どうなんだろうか。毎月なんだろう。耐えられるだろうか。そもそも、血があそこから出るなんて、気持ちが悪い。これまでそんなことは穢らわしいと思ってきたじゃないか。


 女の体なんて嫌だ。人生をやり直すって言ったって、男性としてやり直すって考えていたんだよ。それなのに、こんなことだったなんて思ってなかった。なんとかならないのか。でも、どうしょうもない。元に戻る方法がわからないんだ。元に戻れないって言ってたし。


 来る時には、活気がある商店街を通り過ぎ、温かい春の陽気に包まれていた気分だったが、帰る時には、風景や、歩く人たちは目に入らず、灰色の世界のように見えた。


 まだ春になりきれない季節で、風が俺のワンピースを揺らし、寒さが体に染みてきた。この体、男性より寒さに弱いみたいだ。でも、気持ちの問題が大きいのかもしれない。


 思考が停止し、気づいたら、学校の寮の入口に佇んでいた。そして、今朝と全く変わらない景色と、陸上部だろうか、女子大生が声を出して一生懸命走ってる姿を見て、もっとポジティブに考えなくてはと自分に言い聞かせた。


 いきなり、陽の光が俺を照らし、明るい将来が待っている気分になってきた。どうしてだろう。なんか、気分の抑揚が激しい気がする。


 部屋で椅子に座って、買ってきたシュークリームを食べたら、なんか今夜のやるべきこととか考えていて、鏡を見ると、笑顔な自分がいた。でも、そういえば、俺って、こんな甘いスイーツを食べたいなんて思ったことなかったが、体が欲しているのだろうか。


 そういえば、春風のせいか、体には砂埃が少し残っている。また、歩いたから、足は少し汚れていて、汗もかいたようだ。まずは、温かいお湯に浸かって、くつろいで考えることにしよう。


 いくら考えても、前に進めないし、答えは出ないんだからって、自分を元気づけた。そして、大きな湯船にゆっくり浸かっている自分を思い浮かべ、なんか、早くお風呂に行きたくなった。


 でも、昨日は時間も早かったし、まだ始業式まで時間があるからか、誰とも会わなかったけど、今日はもう17時だし、誰かと会っちゃうかもしれない。なんか、女性がいるお風呂に入るなんて、すごく悪いことじゃないかと心配になる気持ちもあった。


 共同浴場に行くと、更衣所に1人の着替えがあって、1人は入っている。悲鳴を上げられるとか、大丈夫だろうか。いや、俺も女性の体だから、そんなことはないはず。むしろ、この体で、男風呂に入る方が大騒動になる。俺は、おそるおそるお風呂に入っていった。


 最初は、湯気でよく見えなかったが、先に入っている人が湯船に浸かっているのが見えた。俺は、おじゃましますと小さな声をかけて、浴場に入って、背中を向けて、まず体を洗うことにした。


 なんか、バストを洗うって違和感がある。普通は、どこから洗うのだろうか。髪かな。また、下半身も、何もなくて、洗ってて変。


 しばらくは、髪の毛とか洗っていたが、湯船に浸かっている女性は暑くなったのか、湯船から上がってきて、気づいたら俺の横に座っていた。こんな広いお風呂なのに、どうして、ここだけ人口密度を高くするんだ? 俺を疑ってる?


 俺は、ドギマギしてチラッと横をみると、胸も大きくて、スタイルも良く、あまりの姿に正面から見ることができない。


 女性を裸で見るなんて初めてだ。昨日、自分の体を見たが、それとは全く違う。でも、横にいる女性は、全く動じることなく、私を笑顔で見ている。いや、覗き込んでるという感じだ。


 そりゃ、女性どうしなんだから、当たり前とは思うが、覗き込むのはおかしいだろうって、そう簡単には納得できない自分がいる。


 ただ、昔なら下半身が抑えられない状態だとは思うが、そういうことはなかった。そうは言っても、心臓の鼓動がすごい状態で困った。そして、その女性は、なんにもないように、自然に俺に話しかけてきた。


「私、今年入る1年生ですけど、先輩ですか? 同じ1年生ですか?」

「1年生です。」

「やっぱり、そうなんだ。初々しいものね。よろしく。いつこの寮に入ったの?」

「2日前。」

「私も〜。広尾って、おしゃれなお店とかいっぱいあるから楽しみだよね〜。でも、緊張しているの? それとも人見知り?」

「それほどでもないですけど。なんか、初めてで。」

「あ〜そうなんだ。温泉とか銭湯とか来たことないのね。だから恥ずかしいんだ。でも、そんなにジロジロ見てると、変わってるって思われちゃうよ。あ、ところで、ここって、ムダ毛剃っていいんだよね? 昨日は人がいなかったから剃っちゃったけど、どうなのかな? 知っている?」

「よくわかりません。」

「敬語じゃなくていいよ。そうだよね。共同風呂初めてじゃ、わからないっか。まあ、他で剃れないし、剃っちゃうしかないね。」


 俺が見てるなんて全く気にせず、剃り始めたけど、足とか、脇だけじゃなくて、あそこも剃りはじめた。びっくりして見てると、あそこ、つるつるで毛がないじゃないか。


「そんなに見ないでって、言ったじゃない。あ、そうか、あなたパイパンじゃなくて毛がもじゃもじゃだもんね。ごめん、悪気はなくて、言い方間違えた。毛がない方が清潔だし、結構、そういう人って多いんじゃないかな。それが気になったのね。私は、剃ることを薦めるわ。」

「そうなんですね。今度、やってみます。」

「剃ると、最初の頃は毛が生えてきて、ちくちく痛いから、脱毛とかの方がいいかもよ。」

「アドバイス、ありがとう。」

「かわいい声なんだから、もっと話した方がいいよ。また、今度、レストランとか一緒にいこうね。」


 なんか、初めて聞くことばかりだった。しかも、毛がないと、あんな風になっているなんて知らなかった。なんか、もっと素敵な感じかと思っていたけど、ただ、割れ目があるだけだとは思わなかったんだ。


 でも、なんか、1人、友達ができたみたいだし、近いうちに誘ってみよう。女性って、なんか、みんな仲良さげだし、いつも、みんなで楽しそうに話してる。そんなフワっていう関係も、いいかもしれない。


 女性って、みんな仲良しなんだろうな。笑顔で包み込んでくれるっていうか、みんな優しくて温かいんだと思う。俺も、そんな中に入りたい。


 俺も、女性として、これからずっと過ごすんだったら、そんな楽しい輪に入って、充実した生活をしたい。いや、これからも女性として楽しく過ごせるんじゃないか。将来のことはわからないけど、別に男性に抱かれるとか、嫌なことはしなければいいだけだし。


 でも、今日、会った、あの女性の裸にはドキドキした。こんな毎日が、これから待ってるんだ。それは楽しみだ。あの女性がお風呂を出ていくときに、ずっと、目で追ってしまった。素敵なスタイルだなって。


 自分の体も女性だけど、なんか、自分の体にはドキドキしない。どうしてだろう。なんか、ずっと一緒だから普通だなんて思うのかもしれないな。このバストも、ずっとついているだけだし。


 お風呂から上がったが、思いの外、髪を乾かすのは面倒だった。でも、前髪は長めだけど、後ろ髪はあまりないっていうのは面白い。女性の髪ってあまり見たことなかったけど、これなら、夏でもそんなに暑くなさそうだ。


 でも、乾いたら、櫛でとぐぐらいでいいのかな。ウェーブとかかかってなかったようだったから、それでいいような気もする。でも、そういえば、なんか挟む棒みたいな電化製品がクローゼットにあった。あれで、髪を巻くのかもしれない。部屋に帰って調べてみよう。


 なんか、気持ちがポジティブになってきた。今夜は、女言葉を勉強することにしよう。どんな人が見ているのか、よく分からないが、YouTubeを見ると、女らしい抑揚とかいっぱい出ている。今夜も深夜まで取り組んだ。

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