第19話
婚約披露のパーティーを目前に控えて、私は公爵家主催で十五歳の誕生日を迎える事のお祝いとしてパーティーを開いてもらう事になった。
当日は華やかにお祝いする事になるそうで、屋敷の中も活気づいているわ。
その流れを断ち切るように、ある夜の晩餐でダリアが切り出した。
「お父様、私はガネーシャお姉様へのお祝いとして、公爵家で働く全ての者に栄養豊富なスープを振る舞いたいと思うのです」
お父様はダリアが珍しく可愛げのある事を言うから、頷きながら顎髭を撫でているわ。
「ああ、下働きの者でもスープに与れるようにしてやりなさい」
「ええ、お父様。皆の喜ぶ姿は何よりのお姉様への贈り物に出来ますわ」
「まあ、ありがとう。ダリアがそんなに私を思ってくれているだなんて、本当に愛しい妹ね。あなたの優しさと思いやりを誇りに思うわ」
私は内心では、どうせ何か企んでいるでしょうけど全て潰してやるわと嘲笑いながら、表ではなごやかに微笑んで晩餐を済ませた。
それから事業についての書類を部屋で片付けて、その夜は何かと慌ただしく過ごした。
その後、遅めの入浴を済ませてベッドに入り、眠ってしまったけれど……どうもダリアの発言に気が立っていたようで、翌朝は早めに目が覚めてしまった。
それを待っていたかのように、ベリテが語りかけてきたわ。
「ガネーシャ、多分そこには血が一滴仕込まれている。対策を考えよう」
──仕込まれるのが一滴のみだと、なぜ分かるの?
「お茶会での失敗を、ダリアは繰り返したくないだろうからね。何より、悪魔の力を借りた血は一滴でも大量でも、効果は同じはずだよ」
──なるほどね。でも、全員が飲むスープに一滴で効くのかしら?
「そこは仕方ないと思ってるだろうね。何しろ全員分のスープが入った大鍋に混ぜるから、効果は強くならない。まあ、味がおかしくなるほど鍋に入れても結果は変わらないから、つまりは少しでも自分を良く思わせたいだけだろう」
──そうなのね。でも、これは血で中和したとても、ダリアがスープを振る舞った事実は消せないでしょう。そこが問題よ。スープを屋敷の厨房で働く者達に作らせるつもりなら、こちらは更なるうわ手に打って出るしかないわね。
「それなら食事を振る舞えばいいよ、ガネーシャの涙が混ざった食事をね」
──涙?血ではなくて?
「ガネーシャの場合、血よりも涙の方が効果的なんだ。聖女の涙は万能薬になる程だよ。まだ覚醒していなくとも、ダリアのスープを飲んだ者の洗脳くらい解けるし、君への忠誠心も生まれる」
──なるほどね。ベリテが居てくれて良かったわ。ありがとう。
「ガネーシャお嬢様、お目覚めでしょうか?」
そこで朝の支度にメリナとミーナがやって来たので、私達の会話は一段落つける事にした。
「ねえ、メリナにミーナ。いつも使用人の人達は頑張って働いてくれているもの、決めたわ。屋敷の使用人全員にお祝いへの感謝をこめて食事を振る舞う事にするわね」
目覚めの紅茶を頂きながら話すと、メリナが少し心配そうに言った。
「お屋敷で働く全ての使用人に食事を下さるのですか?それは大変な量のお料理になるのではないでしょうか……」
もちろん、そこも考えがあるのよ。私は朗らかに笑んで答えたわ。
「屋敷の厨房に勤める人達は、私のお祝いの料理の他に、ダリアが振る舞うスープまで作らなければならないのですもの、これ以上仕事を増やせないわ。取引先の者から食事を提供出来るレストランを紹介して頂く事にしたいの。お料理は当日届けられるから楽しみにしていてちょうだい」
すると、メリナは感心して喜色満面になり、声を弾ませたわ。
「さすがはガネーシャお嬢様です、ダリアお嬢様に仕事を増やされて、厨房の者達は悲鳴を上げてましたから」
「まあ、それは大変そうね……特別に労いたいわ。厨房の人達にはワインも追加しましょう。メリナ、取引先の人を呼ぶ手はずを整えてくれるかしら?」
「はい、かしこまりました。お祝いの日は迫っておりますからね、本日の午前中には来て頂けるように申し伝えさせます」
「ありがとう、助かるわ」
「ガネーシャお嬢様、お茶が済みましたらお支度をお手伝いさせて頂きます」
「頼むわ、ミーナ。あなたの髪をセットするセンスは素敵だもの。メリナはお化粧をお願いするわね、身支度も二人に任せれば間違いないから助かるわ」
──あとは料理が届いたら、ベリテの力を借りて私の涙を混ぜられる隙を作ってもらえばいいわ。出来るかしら?ベリテ。
「任せて、ガネーシャ。空白の時は十五分程度なら作れるよ。全員が口にする料理の鍋に落とせばいい。ビーフシチュー辺りがお勧めかな。使用人は普段口に出来ないからね」
──それは妙案だわ、ぜひそうしましょう。
何しろ私にはダリアにない財力があるのよ。この程度の事は可能にしてみせるわ。
それに、屋敷の者を働かせて苦しめるなら、レストランのスタッフに仕事を与えて報酬を十分に支払った方が互いに良い事となるし。
──そうそう、レストランは仕事量を思えば一軒では大変でしょうから、複数繋いでもらうといいわね。
「良く考えたね、ガネーシャ。儲かる仕事をもらえるレストランは多い方が喜ぶ人も増える」
──ビーフシチューに涙を仕込むなら、お料理はレストランごとに分けて担当してもらいましょうか。その方が効率的だし、レストランのスタッフも作業が単純で済むわ。
「それがいいよ、そうしよう」
そして私はさっそく行動に出て、取引先の人に相談し、いくつかの美味しいと評判のレストランに、話を通じさせてもらえる事が決まった。こうした人は商談や接待のおかげで良いお店を知っているものなのよね。助かったわ。
こうして根回しを済ませて、ダリアにこちらの手の内を読ませないようにしながらパーティー当日を迎えた私は、屋敷の全員と来客者達から祝福を受ける準備を整えられたわ。
「ガネーシャ、涙を仕込むのに苦労してたね」
ベリテが笑いながら言って、私は苦笑いした。
──幼い頃に死に別れた愛犬との最期を思い出して涙を流すのも、なかなか大変だったわよ。お母様との別れを思い出すのは悲しすぎて、パーティーどころの気分ではなくなってしまうしね。
その愛犬との別れは、物心つくかどうかの頃だったから、記憶があまり無い。
それでも泣けたのは、本当に良く懐いてくれていた賢い犬だったからよ。姉兄のいない私を常に守ろうとしてくれていたと、亡くなったお母様から聞かされていた事も泣けた理由にあるわね。
「ガネーシャ様、お誕生日おめでとうございます。お招き下さり心より感謝致しますわ。ガネーシャ様の慈しみ深い活動は、どこの集まりでも有名ですのよ」
「まあ、ありがとうございます。でも、恥ずかしいわ。殿方に混ざって事業を進めているのですもの。はしたなくはないかしら?」
「そのようなご心配は無用ですわ、皆さまガネーシャ様の心遣いを貴族の鑑だと話しておりますのよ」
「そうですわ、ガネーシャ嬢の働きは国益に通じるものばかりですもの。貧民に広まりかけた病が国を覆う事なく済みましたのも、ガネーシャ嬢による早期の対処が素晴らしかったからだと、どなたでも存じ上げておりますのよ」
「まあ……皆さまにお褒め頂けて嬉しいですわ。けれど、私はただ夢中で人々を守りたく思っただけですのよ」
「その思いを行動に変える事の尊さは計り知れないですわよ。ね、あなた」
「そうですとも、ガネーシャ嬢は己を誇って良いでしょう。私のような年寄りでは考えつかない程の迅速な対応には、本当に関心しましたからね」
「そうですわ、ガネーシャ様。ガネーシャ様が王太子殿下とご成婚なされましたら、きっと国の未来もより一層明るくなりますわね」
「王太子殿下が羨ましい程の優れた令嬢にお育ちになられて、世の令息達からもガネーシャ嬢に恋い焦がれる声を聞きますよ」
「そうですわよね、美しさと賢さだけでなく、気品にも優れて優しさまで兼ね備えておられるのですもの」
「皆さま……ありがとうございます。褒めすぎですわ、身に余る程のお言葉です。今後も家名を穢さぬよう慎んで努力を重ねたく存じます」
パーティーは老若男女を問わない貴族達の来訪がとても多くて、私の慈善事業などでの働きについて、その素晴らしさを皆が褒め称えてくれたわ。
そして将来はどれだけ期待出来る事かを口々に言われ、私が立つべき未来の地位の輝かしさを讃える言葉で終わったのよ。
ダリアのスープを飲んだ者達にはダリアの影響が及んだけれど、その後すぐ私の食事を口にして我に返ってくれたわ。なぜ私の事を快く思わなかった記憶があるのだろうと不思議がっていたようね。
「何でだろう、ダリアお嬢様を素敵だと思った気がするし、ガネーシャお嬢様を出しゃばりなお嬢様だとも思ってしまった気がする」
「ダリアお嬢様のスープは、厨房の奴らが仕事を増やされて、徹夜までして苦労して作った物なのに、それと比べてガネーシャお嬢様のお料理には、厨房にも負担をかけずに……俺達皆への配慮がこめられているよな」
「そうよ、こんなに美味しい物は初めて食べたわ。おかげで力が漲るようよ。さすがガネーシャお嬢様は人となりが違うわね」
皆が皆、口々に語り合っていたようで、食事を用意した甲斐があったわ。
メリナやミーナをはじめとして、父親の傍で働く立場の強い者達には、初めからスープを飲まずに下々の者達に譲るよう言っておいていて、それはそれで正解だったわ。代わりに食事とお酒を振る舞うと告げておいた事もね。
おかげでダリアは自室で癇癪を起こしているのが白い世界から見て分かる。
「何なのよ、あの女!私の考えをことごとく台無しにして!ベリタだって出し抜かれて悔しいんじゃないの?!腹立たしいのは私だけじゃないでしょ!何か考えてよ!今すぐガネーシャを陥れて!」
これにはベリタもうんざりした様子だわ。
「そりゃ、ガネーシャの動きには腹立たしさもあるさ。だけど、問題はこれからだろ」
「問題?何よそれ?」
「忘れるなよ。何しろ、アクアマリンの力があるんだからさ」
「……そう……そうね、あのアクアマリンがあれば、ガネーシャものほほんとしてる内に名誉も何も失うのよね……」
ダリアの部屋の中、二人で頷き交わす姿は陰残で、気色が悪い程だったわ。
そして、日が過ぎて、いよいよ婚約披露パーティーの前夜になった。
ダリアはアクアマリンと王太子の瞳の色に合わせて、淡いスカイブルーのドレスを作らせたと聞いた。
まだ細い胸元は三段のフリルでボリュームを出し、スカート部分の両サイドには白色の太く長いリボンをあしらったという。
宝石もアクアマリンが映えるように小粒の真珠をふんだんに使ったアクセサリーを揃えたようね。
私は対照的に攻めたわ。深い真紅のドレスも華やかさがありながら、赤の持つ派手派手しさは出さない上品な仕上がりになった。
落ち着いた印象に見せる為、パニエやドロワースは使わず、ペチコートをスカートの内側に着けて、上半身はコルセットでウエストをきつく締める。
アクセサリーも敢えて高価なルビーは用いず、代わりに上質なレッドスピネルをメインにし、こうして宝飾品も揃えられた。
他にも、私のはからいで洗髪粉と石鹸の売り上げから、国民に炊き出しを行なう事も決まっている。
アロエエキスの飲む美容液も初めこそ髪や肌に使う物を口にするとはと敬遠されがちだったけど、お茶会でフルーツティーにアロエエキスを混ぜてみたら好評だったし、私自体の評判が上がってゆく事で売り上げは好調になった。
そのおかげで炊き出しも、貧民街にまで行き渡らせる事が可能になったのよ。これは喜ばしいわ。
世間では、こんなに優しくて賢く、善良な令嬢と結婚出来る王太子は幸せ者だと評判が立っている。
でも、王太子殿下はそれも気に入らないようね。婚約の主役は自分だと考えているから仕方ないわ。
何しろ立太子された事を公にするのだから、もっと持て囃されるべきなのだと思っているのよ。
王太子殿下は王子時代から、身分と見た目で言い寄ってくる人間に事欠かなかったものね。
太鼓持ちのような人達に囲まれてきたから、空虚な自尊心は人一倍強いわ。
「あんな子供のくせに商売をするような下品な令嬢が褒めそやされて、これでは私が添え物みたいではないか!先になって、国を率いてゆくのは私だろうが!おい、ブランデーのボトルがからだぞ、代わりを早く持たないか!」
「王太子殿下、祝いの前日でございます……お酒はどうか控えめに……」
「うるさい、私に指図する気か?!私を誰と心得る!」
こんなふうに荒れる王太子をよそに、ウィンリット第三王子殿下は、王太子の婚約者──私の事が可哀想に思えていたらしい。せめて自分は新しい家族として温かく迎えようと思って下さっていたそうなの。
その婚約者である私が、街で会った不思議な令嬢だとは、まだ知らない。
私は砂糖菓子の力を借りて、女神様の導きでベリテと共に白い世界にいて、全てを見ていたわ。
王太子殿下をアクアマリンで虜にしようと考えながら、薄気味悪くほくそ笑むダリアの事はもちろんだけれど……。
翌日に己が果たすべき務めを考えもせずに、深夜になっても構わずブランデーを呑んで、お酒で鬱憤を晴らそうとする王太子殿下の事も、溜め息をつきながら全て見ていた。
それらを把握して、改めて翌日に臨むと心に決めたのよ。
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