第18話

それから忙しい日々を過ごしている中でも、時間を取って取引先の者や、慈善事業の協力者を屋敷に呼んだ時の事よ。


石鹸や洗髪粉の事業報告と、慈善事業についての進捗具合の報告を受けている中で、貧民街に感染病が起きていると知らされたの。


「貧民街では医者にもかかれませんし、発熱して衰弱する事を嘆きと諦めで受け入れているようです」


「そんな……貧民街の者達だって国の民なのに」


きっと衛生面に気を遣う余裕のない貧しい人、栄養が行き届かない弱者から病は始まったんだわ。


「それでは、貧民街と救済院宛てに、廉価版の石鹸の他、食糧は穀物だけでなく干し肉や果物も送るようにしてもらえるかしら」


「石鹸は庶民に広めた廉価版と仰られても、香料の製造もアロエベラの仕入れも追いつきませんが……」


「香料とアロエベラは二の次でいいわ。アロエベラは入れずに、香料は廉価版の半分以下、いえ、三割程度に減らしてもらえるかしら。その代わり、庶民が使う廉価版は品質を落とさないで」


「はい、それでしたら可能です。かしこまりました」


「ありがとう、よろしくお願いね。あと、麦が高騰しているわ。関税のかけられていない他国から仕入れて流通させて欲しいの」


何しろ、国の未来が掛かっている働きだもの。


病はぽつぽつと感染が始まったばかりだったのも幸いしたかもしれない。


その甲斐あって、前世では国中に蔓延したと記憶している病だったものの、今生では早めに収束させる事が出来たわ。


「ガネーシャお嬢様は私達貧民を救って下さった、まるで女神様のようなお方だ!」


「本当だよ、こんなに素晴らしいお方が王太子殿下の婚約者様なんだから、国の未来は明るくなるに決まってるね」


「貧民街でも、寄贈された石鹸を使って手や体を洗えたり洗濯に使えたりして、そのおかげで病人が減ったって話を聞いたぞ!」


「石鹸だけじゃないよ、栄養のある食べ物まで下さったそうじゃないか。痩せこけて土気色だった顔が、薔薇色の頬に変わったって話も聞いたからね」


「ガネーシャお嬢様は我々庶民の救世主だ!籠に一杯の麦が銀貨二枚してたのも、銀貨一枚に値下がりしたよ!」


そう言って、私を崇敬をもって讃える民も増えた。


私は前世で、カビ臭い不潔な牢屋に投獄された。その経験から衛生面や栄養面の大切さを知っていて、行動に出られたのだけれど、それは生き直しを知るベリテにしか話せない。


──本当に良かったわ。でも、これも国難に瀕している事実を裏付けるものではなくて?


「君の前世では、国を揺るがす程の流行病だったからね。そうとも言える」


──でも、こうして働きかける事で私の運命は確実に変化していると思っていいのかしら?


「ああ、間違いない。いつか運命は君の味方になる」


その私の評判は貴族や平民の間にも広まって、それまで石鹸や洗髪粉にこだわりを持たなかった者まで「ガネーシャお嬢様の作られたお品なら」と言って買い求めるようになり、商品は飛ぶように売れる事になった。


その為にパーティーの準備の他にも、更に事業に関する仕事が増えて、寝る間も惜しむ状態になったけれど、それは嬉しい悲鳴というもの、望むところよ。


晩餐の席でも、私はお父様から「ガネーシャは見事な王妃になる素養があるだろう」と褒められるようになった。


ダリアはその度に私を睨んできていたものの、ダリアにも毎日の厳しいレッスンがあるし、毎日深夜まで学ばされていたようだから、ありがたい事にダリアには嫌味を言う元気もなかった。


もっとも、アクアマリンで王太子殿下を虜にする楽しみが待ち受けている期待感で、胸を高鳴らせていた事も要因の一つではあったでしょうけどね。


ダリアは自室で一人になると、必ずベリタに向かって「見てなさいよ、ガネーシャ。あんな乙女らしさもない女なんて、可愛げがないと言って王太子殿下から捨てられるんだから。代わりに私が見初められるのよ」と言っては話し相手にさせている。


私は砂糖菓子の力で、白い世界からその様子を眺めて呆れていたわ。


王太子殿下が私を快く思っていない事は知る人ぞ知る事。その陰で、ウィンリット殿下は私の働きを称賛して下さっていたようね。


けれど、貧民街の者を国の民とも思わずにいた王太子殿下は、またしても私に出し抜かれたように思われて、とにかく気に食わない様子だったそうだわ。


「ろくな税も納められない貧民街の者に何の価値があるのか?馬鹿げている。女子供のくせに出しゃばりすぎだ」


そこまで放言した王太子殿下だけど、ウィンリット殿下は違った。


「私は、日々の暮らし、住む家とパンにも困窮しているからこそ守るべき者だと考えていますが、兄上」


そう反発して、兄弟の間には大きな亀裂が走ったようね。元より王太子の座を争わざるを得なかった二人だわ。致し方ないのかもしれない。


一方で、ベリテは私に、「ベリタもやられっぱなしで我慢出来る奴ではない」と警告してくれた。


「アクアマリンに仕込んだ力をダリアに使わせようとしているのが、いい例だよ」


──そうね、確かに私も同感よ。ダリアはパーティーに出られる事になってしまったし。


気をつけてはいたいけれど、婚約披露パーティーでは、貴賓の挨拶を受ける事も必要だし、常に目を光らせておく事は出来ないのよね……。


そこで私は、ダリアが王太子殿下を魅惑する事は敢えて放置しようと考える事にした。


そこには、ダリアを陥れるのには殿下の失態も働けば効果的だという策略があったからよ。


──頑張って十七歳を迎えられれば、ベリテと共にベリタを倒せるはずだし、そうなればベリタの魅惑の力も消えるもの。王太子殿下には、せいぜい愚行を働いて頂くわ。


「王太子はアクアマリンの力が消えても、すぐには自分の思いを心変わりさせてしまうのは、さすがに躊躇うだろうし簡単には心の変化を受け入れないんじゃないかな?」


──まあ、ね。魅惑の余韻は王太子殿下をうろたえさせるでしょうね。それでも、王太子殿下のダリアに対する想いには、培ってきた情くらいなら残るだろうけれど、ダリアの本性や愚かさを目の当たりにしてゆけば冷めるだろうとも踏んでいるのよ。


冷静な私に、ベリテは「それでこそ理想的な悪女だ」と褒めてくれた。


「ガネーシャ、君って子は……どれだけ生き直したら、そこまで徹底して自己と他者の感情を把握しながら、まだ若い人生を歩めるようになるんだろうね?」


──屈辱も後悔も、憎悪も悲哀も、裏切りと絶望を最後にして全て味わってきたのよ。報復をもってして幸福を得るのが今生の目的だもの、今さらだわ。


婚約者の私を生意気と見る王太子殿下からの風当たりは強くなる一方で、これにはさすがに国王夫妻も苦言を呈するまでになったそうだわ。


「あれ程までに評判も良く、人望も厚く、民の為を思って動ける行動力や判断力に優れた令嬢を蔑ろにするのは控えなさい」


「国王陛下の言う通りですよ、ガネーシャ嬢は将来の伴侶となる令嬢であり、昨今の話でも素晴らしい考えをもって働きかけを続けている令嬢。あなたが王位に就いた時、必ずや力になる者ですよ」


そうたしなめたようだけれど、王太子殿下は両親が自分の味方をしない事に、私を僻んで子供のように拗ねたようだった。


「お言葉ですが私には、私を重んじない令嬢などを丁重に扱う義理などありません」


この頑なに私を拒む姿勢には、国王夫妻も頭を抱えたそうよ。


それでも私は気にしないわ。私が王太子殿下の地位に対して求めるものは、気まぐれで薄っぺらい寵愛じゃないのよ。


そんなものは、いずれ出てくる側妃や、お手付きの使用人に任せるわ。


あるいは、そうね、ダリアが無事で済めば任せてやっても構わないくらいよ。


もちろん無事でなんて済ませないけれどね。


彼女には火刑によって、忌まわしい魔女として消えてもらうから。

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