第4話



 ジュリとの奇妙な同居生活がそろそろ一ヵ月を迎えようとしていた。


「なぁ。進級課題は大丈夫か?」


 三月も後半に入った祝日の夜。俺はクローゼットの中で本と睨めっこをするジュリに声をかけた。


「キラさん」と目に涙を溜めて、ジュリが顔を上げる。見るからに思い詰めた様子だ。



「はぁ? 明日?」


 無意識に表情が固まった。例の締め切りを明日と聞かされ、当の本人でもない俺がうろたえる。


 夏休み最終日になっても宿題が終わらない、当時の自分を見ているようだ。


「さすがにまずいんじゃないのか?」


 ジュリは無言で魔術書をめくりながらはなをすすった。


「今日と明日は俺も休みだし、一緒に探してやりたいけど……この文字じゃ読めないしな」


 彼女に聞いたところ、魔術書に使われているのはエノク文字というらしい。


 それなら、と呟き、ジュリが本に人差し指を当てた。英単語を発するように呪文を唱えると、解読不可能な文字はたちまち日本語になった。


「……すげぇ」


 もはや脱帽の思いだ。


 ジュリから分厚い本を受け取り、表紙をめくった。


 目次を見るときちんと分類されていて、物を操って生活に活かす魔法や、思い込みを利用する催眠的な魔法、透明になるものや、攻撃と防御のものまで載っていた。


 例の課題は人の気持ちを操るのだから、催眠だろうと思い、その項目に一通り目を通す。


「その当たり大体やったんですけど、どれもうまくいかなくて」


 ああ、そうなのか。


 ガックリと肩を落とす彼女を見て、いったん本を閉じた。


「そういや魔女って飛ぶんじゃなかったっけ?」


 ふと某アニメを思い出し、別の話題を振ってみた。ジュリの不安を緩和する気持ちからだった。


「飛びますよ」と言って、ジュリが小さく微笑む。

ほうきに乗って?」

「ふわふわと」


 ジュリが本に手を翳し、呪文を唱える。黄色い光と共に長い物体を引き抜いた。


 俺は言うまでもなく絶句する。ジュリ曰く、彼女の私物一切はこの本に仕舞ってあるらしい。


「キラさん」


 今しがた取り出したほうきを手に、ジュリが楽しそうに笑った。


「夜空のお散歩しませんか?」



 *


「おぉ、すげぇ……っ」


 足元に広がる夜の街並みを見つめ、思わず感嘆の声を上げた。キラキラと瞬くネオンの粒が、暗い海の中を泳ぐ魚みたいだ。


 初めての体験に、気持ちが昂っていた。


 ……それにしても妙な安定感だな。


 小柄な彼女の肩を持ち、箒にまたがる感覚に早くも慣れている。空を飛ぶというのは、もっと怖いものだと思っていた。


 一本の箒は不安定にしか見えないのに、不思議な安定感がある。


「俺、箒ってもっとぐらつくもんかと思ってたよ」


 ジュリは赤いリボンを風に揺らし、「それはアレですよ」と言って笑う。


「安定感を得られるように、箒に魔法をかけてありますから」

「あ、そうなんだ」


 見習いとはいえ、さすが魔女だ。


 小一時間、空中散歩を楽しみ、また部屋に戻った。


 俺たちは眠るのを我慢し、夜中まで本と格闘した。


 翌朝。腹に重みを感じて目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。


 布団も敷かずにあのまま寝てしまい、俺の腹を枕にジュリが寝息を立てていた。


 ……またヨダレ垂らしてるし。


 彼女の頭に手を添えて、クローゼットに横たえた。毛布をかけて一度トイレに立つ。


 課題の締め切りは今日だ。


 最後に何かひとつ、強力そうな魔法を試すしか方法みちはないのかもしれない。


 眠りこけるジュリの代わりに、俺は粘り強くページをめくった。


「っおい、ジュリ、起きろ」

「ん〜……」


 毛布にくるまった彼女の肩に触れ、揺り起こす。ジュリは眠気まなこを擦りながらムク、と上体を起こした。


 攻撃の魔法の中に、どんな命令にも従うという内容を見つけ出した。ジュリはハッと目を見張り、「やってみます」と続けると、杖を手にした。


 ジュリと向かい合って立つ。彼女は書かれた呪文を口にしてから、俺の目を見つめ一息に言った。


「私に恋をしなさい」


 それから数秒。微妙な間があき、俺は首を捻った。


 魔法にかかっているかどうかの判断がつかない。


「キラさん」と効果を確かめるように、ジュリが眉を寄せる。


「よく分からないけど。ジュリのことは好きだよ?」

「ほ、本当に?」

「ああ」


 彼女は頬を緩め、満面の笑みを浮かべた。固く閉じた蕾がぱっと花を咲かせるような、明るい笑顔だ。


「それじゃあ、私の学園に行きましょう!」


 ジュリが俺の両手を取り、今までで一番長い呪文を唱えた。


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