エコな男が起こした事故

佐々井 サイジ

事故

 男は首が落ちるような感覚に襲われて顔を上げると、フロントガラスには道路の脇に植わっているはずの細い街路樹が中央に映っていた。


「うわ!」


 反射的にハンドルを右に切ってブレーキペダルを踏みつけるが、大きな衝撃で背中をシートに打ち付けた。固く瞑った目をゆっくり開くと視界がぼやけている。


「やってしまった……」


 一瞬でも居眠りしたことを後悔し、灰の空気がすべて抜けていくようなため息が漏れた。視界の輪郭が統一され始めて、周りを見ると、男の車の横を他の車が難題も通り過ぎている。周りに人が倒れている気配もない。幸い巻き込み事故は起こしていないようだった。


 ただ、細めの街路樹は根元近くからポキリと折れてしまっていた。車は大きくへこみ、タイヤも損傷しているようだった。目頭が熱くなり出した。男が乗っていたのは新型EVで先週納車されたばかりだった。


 車体はグレー、車内のシートは革を基調として全体的にシックなデザインにした。何よりEVを選んだ理由が、地球環境に優しいということだった。


 男は週末、ボランティアでゴミ拾いをしており、他にもエコバッグの常備やゴミの分別、SNSで環境保全についての情報発信など行動を列挙すれば枚挙にいとまがない。というのもマイクロプラスティックを食べた魚を、今度は人間が食べると害が及ぶということを聞いて以来、男はもともと大好物だった魚のことが怖くなってしまい、食べられなくなってしまった。それ以来プラスティック製品の購入を制限し始めてから、環境保全の行動の幅が広がっていった。いつか魚を食べられる日を夢見ていたのである。


 今回、高いお金を出してEVを買ったのも、当然環境を意識してのことだった。それが見るも無残な形でクレーンカーに運ばれていった。


 タクシーでいつもの販売店に向かうと、すでに男のEVは到着していた。客にぼこぼこになったEVを見られて恥ずかしい。いつも担当してくれるディーラーが店から小走りで男の元に向かってきた。心なしかいつもより顔色が悪いように見える。店内を覗くと設置されている席には余すことなく客が座っている。店内の隅に設けられた小さなキッズスペースさえ、小さな子どもが狭そうに遊んでいた。日曜日の昼過ぎは客入りが多いらしくディーラーも大忙しなのだろうと男は合点した。


 ディーラーはどこをぶつけたのかと聞いてきた。男の話を聞きながら、かがみこんで損傷部分を確認している。


「大変でしたね。運転時にタイヤからこすれた音が鳴るようでしたら部品交換が必要ですし、車体の前の部分もけっこう傷が深いので一ヶ月は見ていただいた方が良いかと思います。それまでレンタカーをお貸ししますので……」

「まあ、しゃあないですよね。すみません。お願いします」


 納車されたばかりの車がまた一ヶ月乗れなくなる。残念でならないが自業自得なのでディーラーの言うとおりにするしかなかった。男はディーラーに案内されて、レンタカーを見た。


「すみません。レンタカーはこれしかないんですか?」

「そうですね。今日あるものは他の方にお貸ししましたので」

「すみません。僕、これ乗れません」

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