2 謎の少年

 いつになくせわしなかった朝に反して、その後はいつも通りの日常がホムラを待っていた。

 

 朝から夕方までつづく退屈な学校の授業。

 同級生たちとのたわいない会話。

 待ち遠しい昼の給食。


 ゆったりと、ただおだやかに過ぎていく平穏な時間が過ぎ去り——。

 気がつけばあっという間に放課後の時間を迎えていた。


「……あ、やっべ」


 蹴った小石が急カーブを描き、そのまま道端の側溝にころりと落ちた。


「ハイ、オレの勝ちぃ。バリバリ君、ホムラのおごりぃ!」


「うぇーマジかよー」


 はしゃぐ芳樹の横で、ホムラはがっくりとうなだれた。


 三人の下校途中、唐突に始まる「バリバリ君石蹴り勝負」——。

 多くの子供達を虜にした棒アイス、バリバリ君をかけた芳樹とホムラの熱い真剣勝負の一つである。

 交互に石を蹴って、最後まで道の上に石を転がし続けたものが勝者となるが、言わずもがな側溝に石を落としたホムラは敗者である。


「アイス! アイスぅ!」


 小躍りしながらホムラの側で騒ぐ芳樹だったが「でもでもぉ。ヨシキもバリバリ君、ホムラにおごらなきゃ、だよ?」と笑花がすかさず言った。


「ウッソつけ」


「おとといのバリバリ君指相撲。ヨシキの負け」


 バリバリ君指相撲と聞いてホムラは、「あっ」と思い出した。

 おとといの同時刻。今日と同じように真剣な指相撲を繰り広げた結果、見事ホムラが勝利を収めていた。


「そーじゃん。オレのバリバリ君! おごれよ!」


「ウェー!! ヤダぁー!! オレは金欠だァーッ!!」


 奇声を上げて走り出したヨシキに「アッ、こら逃げんなぁ!」とホムラがすかさず追いかける。

 ホムラと芳樹、そして笑花。

 三人が横に並び、時にはしゃぎながら学校の帰り道を歩く。


 四年前——小学二年生の夏、初めて青葉ヶ山にやって来た頃から何一つ変わらない光景だった。


「そーいえばぁ、明日、交流生がくるんだってぇ」


 ホムラに軽くヘッドロックをかけられ「ギブ、ギブぅ!」と叫んでいた芳樹が驚いた様子で「エッ、マジ?」と笑花を見た。


「うんー。職員室で聞いちゃった。めずらしーよねぇ」


「あの、交流生ってなに?」


 聞き慣れない言葉に思わず尋ねると、笑花が「そっかぁ。ホムラは知らない、よね」と言った。


「ウチのガッコ、一応分校じゃん? で、交流ってコトでたまーに本校のヤツがウチにくるんだよ。そいつらが交流生。前にウチ来たの小二の春だったよな」


 いつの間にヘッドロックから抜け出したらしい芳樹が得意顔で言う。


「そうそうー。ホムラがウチに来るちょっと前だったかなぁ。でも同級生じゃなかったし、一週間ぐらいですぐ帰っちゃったから、ほとんどおぼえてないかも」


「つかよぉ、わざわざド田舎に何用? 人いねーし、都会のアッチの方がぜってーよくねェ?」


「えぇー。私は青葉ヶ山の方がすき、だけどなぁ」


 ワイワイ盛り上がっている二人の話を、ホムラは頭の中で軽く整理する。


 ホムラ達の通っている千代五星せんだいごせい小学校は、この杜の宮原市で最も栄えている五星ごせい地区にある本校、そして市内の四つの地区にそれぞれ建設された分校からなっており、青葉ヶ山分校はその一つである。

 分校は本来、居住区の関係で本校への通学が難しい児童が通うのだが、この交流生というのは、わざわざ親交を深めに学内留学生のような形で各分校にやってくるらしい。


 とは言うものの、笑花の話を聞くに交流生は長期間いるわけでもない。

 同級生じゃない限り自分にはほとんど関係がないだろう。


 そう自分の中で結論づけ、しばらくたわいもない話を続けていると、三人は道の十字路に出ていた。

 この先、芳樹と笑花の家は左、ホムラの家は右の方角にある。


「んじゃ、オレ、じーちゃんの手伝いあるから今日はウチ帰るわ」


「うんー。バイバイ、ホムラ。また明日ねぇ」


「明日チコクすんなよ! くまっちに殺されんぞーっ!」


「うっせ! じゃーな!」


 意地悪く笑う芳樹、隣で柔らかく笑う笑花に手を振り、ホムラは一人、家までの道を歩き出した。

 時間にしてたった十分足らずの道だ。だのに、ホムラはこの帰路がふと、寂しいと感じる。


 転校する前、都会に住んでいたホムラにとって一人で居る事は当たり前だった。

 ありふれた日常に寂しいとか悲しいとか、何かの感情を抱くこともなかった。

 それなのになぜ、自分は今さらそんな事を思うのだろう。


 青葉ヶ山に来て自分は弱くなってしまったのだろうか、と考えることもある。

 最近の自分は、自分でもよく、分からない。


「おい」


 不意に呼び止められ、俯いていた顔が自然と上がる。


 ホムラの前で傲然と仁王立ちをする子供――。

 自分と同い年ぐらいの少年、だろうか。


 襟首まで綺麗に揃えられた黒髪。

 黒縁の大きなメガネ。

 シャツとベスト、ハーフパンツの上品なセットアップ。

 一点の汚れもない磨かれた革靴。


 この少年の容姿を一言でいうなら『都会のお坊ちゃん』だろう。青葉ヶ山ではおおよそ見かけない身のこなしに、ホムラは一瞬でこの少年が他所から来た事を悟った。


「お前、白狐沼の場所、分かるか?」


 ホムラが声をかける前に少年が続け様に尋ねる。


 初めましての相手にお前呼びかよ。


 高慢ちきな態度をとる少年に「……あー、まあ、いちおう」と、少し言葉を濁して答える。

 わずか一言しか言葉を交わしていないが、なるべく関わり合いにならない方がいいタイプだとホムラの直感が告げていた。

 それでなくても、この日暮れ時に青葉ヶ山付近——特に白狐沼にはあまり近づきたくは無い。

 しかし、そんなホムラの思いを知ってか知らずか、この偉そうな少年は「俺をそこまで案内しろ」とのたまった。


「は? いやオレ、すぐウチ帰んねーと……」


「モタモタするな。暗くなる前に、早く」


 ホムラの言い訳も虚しく、少年は「さっさと先に行け」と顎をしゃくった。

 この少年がどれ程の時間ここで彷徨っていたかは謎だが、何せこんな田舎道だ。ホムラも登下校以外で通る事はほとんどなく、誰かとすれ違う事は稀だ。

 つまり、ここで無視をして置き去りにしても、あの高慢ちきな少年はしつこく追いかけてくるだろう。


 こりゃ、逃げられねぇーな。


 少年から逃げる事を諦め、ホムラは少年の先に立って白狐沼までの道を歩き始めた。

 幸いにも白狐沼はホムラの通学路から少し外れた場所にある。最短経路で少年を案内すれば、いつもとそれ程変わらない時間に帰宅できるだろう。


「なあ、君、名前は?」


 黙ってホムラの後ろをついて行く少年に話しかける。

 しかし、返事はない。


「なんで白狐沼なんだよ」


 質問を変えて尋ねると、今度は「お前には関係ない」と素っ気ない返事が返ってきた。


 いけすかねーヤツ!


 心の内で悪態をつくのと同時に、自分の直感が正しかった事をまざまざと思い知る。しかし、一度案内役を引き受けてしまったのだ。ここで逃げ出す程人手なしではない。


「そんじゃ、名無しの権兵衛。お狐様は知ってんの」


 駄目元でまた尋ねてみる。

 どうせまた無視されるんだろうと半ば諦めていたが、少年は「毒槍で死んだ青葉ヶ山の山神」とまた素っ気なく答えた。


「へぇー。よく知ってんのな」


「別に。そのぐらいだ」


 意外だった。

 まるでぶっきらぼうなこの少年が話に応じる事もそうだったが、こんな田舎の、しかも古い言い伝えを知っているなんて——。

 それとも青葉ヶ山の言い伝えは、外の地区でも案外有名なのだろうか。


「なら分かってんだろうけど日が落ちたら白狐沼には近づくなよ」


「は? 何で?」


「何でって、沼の呪いだよ。知らねーの?」


「呪い?」


 顎に手を当て、考えるそぶりをする少年だったが思い当たる節はなさそうだった。

 そう言うことか。

 この少年についてはまるで分からない事だらけだが、ようやく一つだけ合点がいった。なぜこんな日暮れ時に、平然と白狐沼に向かおうとしているのか。

 気づかれないぐらい小さく息を吐いて「白狐沼は、お狐様が残した呪いなんだってよ」と続けた。


「昔っから村のばーちゃん達にウゼーぐらい言われんだよ。沼の彼岸花には絶対触るな。日が暮れたら足を踏み入れるな。お狐様に呪われて魂と身体をもっていかれるぞ、ってさ。まあ、ただの古いしきたりみてーなもんだろうけど……っと」


 視界に古びた木製の看板が目に入り、足を止める。

『白狐沼入り口』——そう手書きで書かれた看板の奥には、草木が生い茂る細い道が続いていた。


「ほら、ついたぞ白狐沼」


 ホムラがそう教えると、少年の顔はたちまち険しくなった。

 ホムラの問いかけにすら答えるのも億劫そうだった様子が、一変して殺気立った気に染まっていく。 まるでこの道の奥先におぞましいものがあるかのように、少年は何かを睨んでいるようにホムラには思えた。


「じゃ、オレ帰るから……。せーぜー気をつけろよ」


 ただならない雰囲気の少年から逃げるように、ホムラはそろりとその場から立ち去った。

 妙に気になって最後にちらりと振り返り少年の姿を見やる。相変わらず少年はそこで立ち止まっている。


 もう二度と会わねーだろうし……。


 前に向き直り、ホムラは今度こそ自分の家路についた。

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