偶然と必然

@totukou

第1話


偶然と必然


 夏の夜のことだった。雨が降っていて、クーラーをかけるほど暑くはないけれど、とても寝苦しかった。夜中にぼくは何度か目を覚ました。

 何度目かのとき、ぼくは、バスが濡れた道を近づいてくる音を聞いた。時計を見ると、午前2時だった。

 こんな夜中に、バスが?

 バスは、ぼくの家の前の停留所に停車した。ドアが開き、中のアナウンスが微かに聞こえてきた。

「ドアが閉まります。お気をつけください」

 ああ、あれは、ときどき、お父さんが終電車が終わったときに乗って帰って来る深夜バスというやつだろう。きっと、そうだ。安心したぼくは、再び眠りについた。


 翌朝。ぼくはお父さんに、深夜バスの音を聞いたと話した。ところが、お父さんは、不思議そうな顔をして言った。

「おかしいな。深夜バスは、駅前を通るからね。うちの前のバス停には止まらないはずだけどな」

 ぼくは家を飛び出し、バス停の時刻表を調べてみた。最後のバスは、10時27分だった。

 きっと、ぼくは寝ぼけて、時計を見間違えたのだろう。ぼくは、そのまま夏休みの塾へ向かった。


 ところが、次の夜も、寝苦しさにぼくが目を覚ますと、あのバスの停車音とアナウンスが聞こえてきた。

 それで、ぼくは決心した。あのバスは何なのか、確かめてみよう、と。

次の日、ぼくは、目覚まし時計を1時半に合わせ、パジャマに着替えずに、夜の7時に寝床に入った。

 ジリリリリ。

 時間通りにベルが鳴った。ぼくは、枕元に用意してあった懐中電灯をつけて、そっと外へ出た。

 しばらくすると、遠くから小さな揺れるような光が見えてきた。バスのヘッドライトだ。バスはどんどんこちらに近づいてくる。ぼくは怖くなった。だけど、足が動かなかった。バスは、もう目の前だ。

 静かにバスは停車し、ドアが開いた。中に何人かの人が乗っているのが見えた。運転手は、ぼくが乗るのを待っているのか、いつまでもドアを閉めなかった。ぼくは「乗りません」と言おうとしたとき、バスの中に、中島さんが乗っていることにぼくは気がついた。

「中島さん!」

声をかけると、中島さんもぼくに気がつき、ホッとしたように微笑んだ。それで、ぼくは思いきってバスに乗り込んだ。

「ドアが閉まります。お気をつけ下さい」

バスは動き出した。

 席の半分くらいが埋まっていた。みんな、窓から外を眺め、ぼくの方を見なかった。ぼくは中島さんの隣に腰を降ろした。彼女は随分青白い顔をしていて、あまり元気がないようだった。

中島さんは近所の文房具屋の娘で、ぼくとは、幼稚園からずっとクラスが同じだった。今年、六年生になったとき、初めて別のクラスになったのだった。それから後は、一度も話したことがなかった。なんだか随分寂しい気持ちになったが、わざわざ中島さんの教室に行って何か話すというのは、気が引けた。

「関根くん、久しぶりね」と、中島さんが言った。

「そうだね。夏休みは、どこかへ行った?」

中島さんは首を振った。

「どこにも、ずっと家にいたよ」

「ぼくもさ。塾に通い詰め。中島さんはどこの塾に行ってるの?」

中島さんは答えずに、少し寂しそうに笑った。それで、ぼくたちは話すことが見つからなくなって、黙って窓の外を見た。


 バスが病院の前の停留所で停まると、2人が乗り込んできた。ひとりは歳を取ったおばあさんで、もうひとりは、ぼくのお父さんくらいの歳の男の人だった。眉間にしわを寄せ、随分苦しそうな顔だ。だったら、まだ病院にいればいいのにと、ぼくは思った。

 バスは、それから何件かの家を回った。ある家の前を通ると、おじいさんが乗り込んできた。

「いやぁ、昨日のバスに乗り遅れてしまってね」

 そう言うとおじいさんは、さっきのおばあさんの隣に腰掛けた。

 ぼくは中島さんに聞いてみた。

「このバスはどこまで行くか、知っている?」

「関根くん、バスの表示板を見なかったの?」

「えっ、うん」

「このバスは市営霊園行きよ」


 バスは霊園に到着した。

 乗客たちはみんな、墓地の方へ歩いていった。中島さんも、そうだった。ぼくは彼女の少し後ろをついていった。

 しばらく行くと、中島さんは立ち止まった。彼女が立った墓には"中島家之墓"と刻まれていた。

「それじゃ、さようなら。って、最後に挨拶するのが、関根くんだっていうのは、少し変な気がする」

「ぼくが、中島さんのことが好きだからかな」

「本当に?」

「うん」

 次の瞬間、中島さんの姿は消えていた。他の乗客たちもみな。

 朝靄が漂う夜明けの街をぼくは歩き始めた。途中で、中島さんの家の前を通った。門柱には「忌」と書かれた提灯が掲げられていた。

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