第64話 今から救出に行きましょう

 シエロの正体を考えると、古城に何かあるのは確実だ。

 最初に会った葡萄畑と言い、シエロは直接自分の目で見て判断する性格なのだなと、ネーヴェは思う。

 好きだという気持ちを自覚してから、改めてシエロを見ると甘いような切ないような感情が沸き上がる。しかし、今は愛だ恋だと浮かれている場合ではない。

 先頭で馬を進めるグラートが、無造作に魔物を切り落とした。魔物は子供の頭ほどあり、ぞっとする程大きい昆虫の姿をしている。剣で斬られると果実のように割れたが、まだ脚を動かしていて気味が悪い。

 確かに普通の虫より大きかったが、あんなサイズだっただろうかと、ネーヴェは疑問に思う。


「どうやら、集まって大きくなったようですわね」

 

 アイーダが言った。彼女は、普通の令嬢なら眼を背ける虫の死骸にも動揺していない。


「虫が小さかった時は感じなかったですが、魔術の気配がしますわ」

「分かりますの?」

「ふふっ。お姉さま、私が魔女と呼ばれるのは、単なる噂ではなくてよ」

 

 蝶の模様が描かれた漆黒の扇をばさっと広げ、アイーダは思わせぶりに答える。彼女は今日も黒づくめのドレス姿だ。

 ちなみにこの世界では、魔術は一般的な力ではない。生活を便利にする技術として一部利用されている面もあるが、魔術の基礎知識を持っていて自由に扱える人間は、ごく僅かである。


烏合うごうの衆も、ここまで集まれば脅威ですわね。百匹も二百匹も押し寄せてくれば、人間も喰われる勢いですわ……あそこに呼び寄せられているようです」


 アイーダが指差す先には、目的地である古城が見えた。

 小高い丘の上、岩の上に乗り掛かるように、壮麗な城が立っている。

 古城は、元はこの地の領主の城だったそうだが、不幸な出来事が立て続けに起きて放棄されたらしい。普段から幽霊が出そうな雰囲気だが、今は城の上空に奇妙な暗雲が垂れ込め、非常におどろおどろしい空気を発していた。

 その黒雲は、どうやら虫の大群であるらしい。


「こりゃあ、大勢の兵で取り囲んで全滅させるしかねえな。今連れてる兵だと、手が足りん」

 

 グラートは険しい表情だ。

 お忍びとはいえ、侯爵家のアイーダとグラートが同行しているので、それぞれ護衛の騎士や兵士が数人いる。ネーヴェの護衛も含め全員で十人ちょっとだ。


「おい、サボル侯の娘。魔術でパパッと片付けられねえのか?」

「無理ですわね。これらの虫は、フォレスタ全土から集まってきたもの。数年掛けて増えた大群ですわ。人の領分を越えています。天使様にご降臨願った方がよろしいかと存じますわ」

「天使様?」


 アイーダの「天使様」という言葉に、思わずネーヴェは反応する。

 しかし、アイーダはネーヴェが天使と親しいことを知らない。


「この数十年、平穏だったから忘れられがちですが、我らがフォレスタの守護天使は、大国の侵略を退けた実績のある、とても力の強い天使様ですわよ。帝国の守護天使よりも強いのです。でなければ、フォレスタはとっくに帝国に併呑されています」


 一緒に掃除したり農作業したりの印象が強過ぎて、ネーヴェは今いち天使のシエロがイメージできない。白い翼があるという噂だが、翼の生えているシエロはまだ見たことがないのだ。

 横目で見ると、話題に上がったにも関わらず、シエロは素知らぬ表情をしている。であれば、ネーヴェも知らぬ存ぜぬで通すしかない。


「……天使様に祈るかはともかく、一旦引き返しましょう」

「まあ、ネーヴェお姉さまは現実的ですわね」


 淡々と答えると、アイーダは妙に感心してくれる。

 ネーヴェは古城の姿を目に焼き付けると「戻って対策を練りましょう」と一行に撤退を促した。

 背を向けようとしたその時。


「おおい、待ってくれ~~!」


 今にも壊れそうな跳ね橋を転げ落ちるように、誰かが城の中から飛び出してきた。

 よく見れば幼い少女を抱えた父親とおぼしき男性だ。その背後から、虫が数匹襲いかかっている。

 ネーヴェは、弓に矢をつがえて虫を射った。

 剣を携えたグラートとカルメラが斬り込み、襲われている男性と少女を保護する。城から離れると、虫は襲ってこないようだ。一行は城から離れた森に待避した。


「助けて頂きありがとうございます」

 

 幼い少女を抱えた男性は、ネーヴェたちに向かい頭を下げる。虫にたかられたのか、衣服はボロボロで血がにじんでいる。少女の方も似たような様子で、青白い顔で憔悴していた。

 ネーヴェたちの護衛として付いてきた兵士が水筒を差し出すと、やっと一息ついたようだ。


「あの城には、まだ妻が取り残されております。無理なお願いと分かっておりますが、どうか妻を……!」

「中で何があったか、話を聞かせてください」


 男性は近隣の村人で、森に入って戻ってこなかった妻と娘を探して古城まで来たと言う。そして、妻と娘と同じように古城の中に囚われてしまった。

 他にも何人か、同じ境遇の者が古城に囚われているらしい。

  

「私が娘を連れて逃げ出せたのは、どこかの貴族の若君が助けてくださったからです。立派な剣を持った金髪の方でした。私に、これを持っていくようにと……」

 

 男が差し出したのは、精緻なこしらえの鞘だ。

 ネーヴェは見覚えのある剣の鞘に目を見張った。


「……これは、エミリオ殿下の剣の鞘」

「なんですって?!」

「どうして殿下が、こんなところに」

「殿下、剣を振る男気があったのですね。見直しましたわ」

 

 ネーヴェがそう言うと、周囲の人々が微妙な顔になった。

 皆思ってはいるが口に出さないからだ。ただ、今のネーヴェは王子の婚約者ではない自由な身なので、遠慮なく発言する。もう面倒くさい男を選んだり、嫁入り先に悩むつもりは毛頭ない。

 なんならシエロ様をさらって国外逃亡するのも良いと、半ば本気で思っていた。


「まあ……良い大義名分じぇねえか。殿下が囚われの身になってるとあれば、マントヴァ公の土地だろうと好きに出来る」

 

 グラートが仕切り直すように言った。

 しかし、内容はネーヴェと同じで不敬極まりない。

 グラートの言う通り、王子がどんなつもりで古城に来たか分からないが、この鞘だけでも、マントヴァ公の領地に強引に踏み込む理由たりえる。


「そうですね。虫退治は後回しでもよろしいですが、救出が遅れて犠牲者が出れば、目も当てられませんわ」

「……待て。今から救出に行く気か」

 

 シエロが頭痛をこらえるよう手を額に当てている。

 大胆過ぎただろうか。しかし、善は急げという格言もある。ネーヴェは声を潜め「シエロ様の予定が狂いますか?」と聞いてみた。

 彼は眉間にシワを寄せている。


「予定はとうに狂っている。おおっぴらに手を出すのもな……」

「?」

「もう良い。お前の好きにしろ」

 

 途中で投げてきた。本当にシエロの邪魔になるなら引いた方が良いか?と悩むネーヴェに「なんとでもなるから、俺のことは気にするな」とシエロは言う。そこまで言われたら、腹をくくるしかない。


「では、用意でき次第、すぐに救出に参りましょう」

 

 そう言うと、グラートがやたら嬉しそうにガッツポーズした。

 

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