第57話 髪を結ばせて下さい
反乱を起こしそうなフェラーラ侯を宥めてほしいと、国王に頼まれた。しかし、ネーヴェは素直に従うつもりはなかった。前に商人アントニオに相談を受けた件もあったので、引き受けただけだ。国王の依頼など、ついでである。
「まずは先代フェラーラ侯バルド様に会いに行きましょう。何か手土産に菓子を持っていかなければ」
バルドは甘味に目がないのだ。
考えた末に、ネーヴェは葡萄のスキアッチャータを手作りすることにした。
スキアッチャータとは、パン生地を押しつぶして焼いた食べ物で、秋の収穫期の黒葡萄を挟んで焼くと、とても美味しい菓子ができあがる。葡萄は種ありの小粒をふんだんに使うので、口に入れた時に種を噛み締めると独特のざくりとした食感が味わえる。
「それ、シエロの旦那の畑の葡萄じゃない。旦那にお裾分けしなくて良いの?」
「……」
カルメラに言われ、ネーヴェは悩んだ。
聖堂は途中にあるから、ちょっと寄るくらい構わないだろう。
「お裾分けですわよ。そんな深い意味はなくて」
「はいはい、分かってるよ、姫」
何やら言い訳しながら、馬車に乗って聖堂へ向かった。
門番に、菓子の入った箱を渡そうとすると「私では判断できかねます!」と言われた。門番は奥に引っ込んで、何やら司祭と話し合っている。
「なんの騒ぎだ」
騒動の気配を感じたのか、当のシエロが出てきてしまった。
今日は豪勢な高位司祭の衣装ではなく、動きやすそうな私服の上に簡易の司祭用上着を羽織った姿だ。
「シエロ様、お裾分けですわ」
ネーヴェが菓子の入った箱を手渡すと、彼は視線を逸らさず手だけ動かし、右往左往している司祭に「皆で分けろ」と横流しした。
「どこへ行く? 先代フェラーラ侯バルドのところか? 俺も同行する」
「シエロ様?!」
司祭たちが慌てているのに構わず、シエロは無理やりネーヴェの馬車に同乗する。ネーヴェの美貌を隠すため、馬車は貴族用に内部が見えないよう覆いがかかったものだ。この男のきらきらしさも、馬車の中なら衆目にさらされない。
「よろしいのですか?」
「息抜きくらいさせろ」
隣に座ったシエロが仏頂面でそう言ったので、ネーヴェはそれならと御者に「馬車を出してください」とお願いする。
外の司祭たちは諦めたらしく、追って来なかった。
馬車が動き出すと、密室で距離が近いことを今更ながらに感じる。
シエロは膝を組み、ついでに腕組みをして、視線をネーヴェから逸らしている。彼の淡い癖の少ない金髪が、肩を伝って胸元に流れ落ちており、ネーヴェからはその髪と形の良い横顔が見えた。
じっと髪を見る。
女子垂涎のさらさら艶々の髪だ。手入れせずにこれなら、大変羨ましい。
モンタルチーノで別れた時、再会したら髪を結わせてくれる約束だが、まだ有効なのだろうか。
「……」
「……三つ編みでも、なんにでも好きにしろ」
ネーヴェの視線に耐えかねたのか、先にシエロが白旗を上げた。
この男は妙に察しが良い。
「ありがとうございます」
ネーヴェは氷の美貌をゆるませて、荷物からいそいそリボンや飾り紐を取り出した。何種類もあるそれらを横目で見て、シエロがぎょっとした顔になる。
「じっとしていて下さいね」
それからバルドの屋敷に着くまでの間、ネーヴェにとっては天国の時間が訪れた。なお、シエロにとって天国だったかは、分からない。
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