第51話 天使の羽

「姫、大丈夫だった?」

 

 聖堂を出ると、待っていたカルメラがすっ飛んで来た。

 

「大丈夫です。シエロ様に会いました」

「ああ、あの旦那、やっぱり聖堂勤務だったの。聖堂の司祭は、天翼教会の超エリートだ。顔がきくのも納得だね」


 カルメラの言う通り、シエロが聖堂の司祭なら、やたら広い人脈にも説明が付く。しかし、聖堂の司祭は、聖堂の裏庭に住むものだろうか。

 ネーヴェは、別れ際にシエロに渡されたものを目の前にかざす。

 聖堂の通行証だと言ってシエロが寄越してきたのは、羽飾りの付いたペンダントだった。

 ペンダントはシンプルな作りで、主役は白い羽毛だ。翼の内側から取ったと思われる羽毛は、小さくて柔らかい。

 素材は、水鳥の羽だろうか。

 いや、違う気がする。

 陽光を反射する白い鳥の羽は、銀の粉を振りかけたような光沢を放っている。こんな輝きを放つ鳥の羽は、見たことがない。


「姫、もしかして、それ天使様の羽じゃないかい」

「まさか」

 

 尊い天使の羽をむしって、首飾りにするなんて考えられない。

 そう一蹴したネーヴェだったが、羽が普通ではない輝きを放っているので、カルメラの言うことも当たりかもしれないと思った。

 

「……」

 

 他の場所なら、いざ知らず。天使のお膝元である聖堂で、天使の羽を通行証だと言って渡すなど、普通の司祭であれば考えられない。部外者のネーヴェにだって、それが不敬な行為だと分かる。

 それが許されるのは……天使本人だけだ。


「ありえないですわ。そうでしょう?」

 

 シエロは翼も生えていない普通の人間だ。

 ネーヴェは不意に浮かんだ推測を、頭を振って追い出した。




 国王から謁見の許可は、まだ降りていない。

 シエロの件は、時間をつぶすのにもってこいだ。翌日ネーヴェは掃除用具を持参して、聖堂へ向かった。

 入り口でシエロの名前を伝えると、前回も案内してくれた、初老の司祭が現れた。


「お待ちしていました。私はトマスと申します。聖堂付き司祭の一人で、裏庭の管理をしております」

 

 シエロ本人は受付に出て来ない。彼は聖堂勤務の司祭の中でも、高位なのだろうか。

 案内の司祭トマスを追って歩きながら、ネーヴェは話しかけた。


「女人禁制と仰っていましたが、私を通して大丈夫なのですか」

 

 あの時は初回だったから、そこまで気にしなかった。

 しかし、本当に女人禁制なら何回も訪れるのは、まずいだろうと思う。

 ネーヴェの懸念を聞いたトマスは「構いませんよ」と穏やかに返した。


「その規則を作ったのは、先代の司教なのです。天使様ではありません。この聖堂の主は、天使様です。人間が勝手に作った規則は、あってなきようなもの」

「でも、理由もなく規則は出来ないものでしょう。いったい、何故、女性の立ち入りを禁じたのでしょうか」

 

 司祭は大丈夫と言っていても、ネーヴェは本当に問題にならないか、気になっていた。念のため、規則が作られた背景を聞こうとする。

 すると、トマスは深い溜め息を吐いた。


「天使様の恵みは、万人に平等に与えられるもの。天使様の愛も、同様であるべきだと、先代の司教は考えたのです」

「というと……?」

「簡単に言えば、天使様がただ一人を愛することが無いようにしたかったのです。女にうつつを抜かすような事があってはならぬと……本当にお恥ずかしい話です。凡庸な人間ならともかく、あの高潔な天使様が道を誤るはずがないのに。しかし、気持ちは分かります」

 

 戸惑っているネーヴェに、トマスは分かりやすく、シンプルな答えをくれた。


「私たちは、天使様を一人占めしたかったのかもしれません」

 

 伝説の天使様にお仕えできる名誉を、少人数で独占したいと考えた、ということなのだろう。

 トマスは、さらに続ける。


「天使様は、我々の想いを理解した上で、規則についても、何も仰らなかった。しかし、あの方は鳥かごの鳥ではない。居心地が悪くなったのか、この十数年、聖堂に戻って来られることが少なくなりました」

 

 だから、天使が聖堂にいないのかと、ネーヴェはに落ちる。人の気配がまるでない理由がようやく理解できた。

 司祭でもないネーヴェが、聖堂の裏を歩き回っても、何も言われないのは、主不在だからかもしれない。


「本来なら、我ら司祭がきちんと清掃し、居心地よくなるよう整えるべきだったのです。氷薔薇姫様にそれを行っていただくのに、感謝こそすれ、反対するなど、とんでもない」

「私の行為が聖堂の規律を乱すのではと懸念しましたが、そうではないと知り、安心いたしました」

 

 先日訪れた、聖堂の裏庭にある屋敷に近付くと、シエロが出迎えに立っているのが見えた。

 その姿を見て、トマスが慌てる。


「シエロ様、何も御自らいらっしゃらなくても」

「俺も掃除を手伝う。お前一人では、この広大な屋敷の掃除は時間が掛かるだろう、ネーヴェ」


 台詞の後半は、ネーヴェに向けたものだった。

 帝国への旅やリグリス州での宿屋経営でも、シエロは当然のように掃除を手伝ってくれていた。よく考えてみれば、尊い身分で掃除に忌避感が無いのは珍しい。


「そうですね。それでは、お願いします」

「氷薔薇姫様?!」

 

 二人の間で、何故かトマス司祭が、おろおろした。

 一体何が問題なのだろうか。

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