第49話 交渉成立ですわね
帰ってきたラニエリは、他人の家で自宅のようにくつろいでいるネーヴェに仰天した。
「お帰りなさいませ」
「……」
にっこり微笑んで言ってやれば、無言でこちらを
どうやら論破した一件で、すっかり嫌われたようだ。
「殿下を追い落としたついでに、私の顔を見に来たのですか。殿下の言った性悪女というのも、嘘ではないようだ」
「その追い落とした、と言うのは何ですの? 殿下が王位継承権を剥奪された話を聞いて、びっくりしましたのよ」
ラニエリは苛立っていたが、ネーヴェと話す気があるようだ。対面する椅子に腰掛けた。
「あなたの策略、という訳ではないようですね。ですが確かに、王位に関する権限は、天使にしかない。考え過ぎでしたか」
「……もしかして、天使様が?」
「そうです。天使は、次代の王を選び直すと宣言しました。高位貴族は大混乱の真っ最中です。あわよくば、王位を手に入れられるかもしれない。そう考える者も多い」
状況は分かった。
たまたまエミリオの王位継承権剥奪と、ネーヴェの王都帰還のタイミングが重なったらしい。……本当に偶然だろうか。
「さっさと王都に帰ってきて良かった。殿下の
「あら。ラニエリ様は、殿下を支持しているのかと思っていましたわ」
「都合が良かったから、持ち上げていただけですよ。愚かでも良かったが、さすがに殿下は愚か過ぎた」
しれっと言うラニエリに、ネーヴェは「臣下として道を正すのも役割なのでは」と思った。しかし、彼らの関係をよく知らないのに、余計なお世話だろう。
気を取り直して本題に入った。
「私はクラヴィーアの代表として、陛下に謁見するつもりなのですが、謁見が叶うまでの間、クラヴィーアの兵士たちを養わなければなりません。ラニエリ様に支援をお願いしたく」
「なぜ私が」
「リグリス州を救った方法を、教えて差し上げたでしょう」
既に情報を渡してしまった後なので、交渉のカードとして弱い。
しかし、ラニエリは乗ってくる可能性があると、ネーヴェは踏んでいた。仕事優先の薄情な男だが、成果を上げることに熱心という点においては、エミリオより評価できる。
「それに、私が調べている、魔物の虫の発生した地域や被害状況などの情報、そこから導き出された根本原因の推測なども、整理でき次第お送りしましょう。いかがですか」
「……」
ラニエリは無言で眉間にシワを寄せ、考えていたようだが、少しして溜め息を吐き、腕を上げて執事を呼んだ。
執事に「クラヴィーアの兵士が泊まれるところを用意してやれ」と言い付ける。
ネーヴェは、ほっと安堵した。
「感謝いたしますわ」
「ふん。クラヴィーアの兵士の面倒に掛ける費用を、あなたの持ってくる情報の価値から引き算して、利益が出ると分かっただけです。それに、あなたに味方すれば殿下の風評に巻き込まれないでしょう」
今や罪人のように扱われているエミリオを支持するよりも、ネーヴェの弁護をした方が、世間的な評価を落とさずに済む。実に狡猾な方針転換だった。
ラニエリは「用件が終わりなら、さっさと帰って下さい」と言う。
そして、愚痴を漏らした。
「私は忙しいのに、どいつもこいつも……天使様が二十代以下の若者の中から、次代の王を選ぶと言っているせいで、父が私に天使様の顔を見に行けとうるさい。私は数字だけを見ていたいのに」
天使ということは、聖堂に行くのだろうか。
もしかすると、シエロがそこにいるかもしれないと、ネーヴェは思った。聖堂は基本的に関係者以外立ち入り禁止で、今の立場が曖昧なネーヴェでは、入ることができない場所だ。
「ラニエリ様、私もご一緒してよろしいですか」
「は?」
「大丈夫です。荷物持ちの侍女に
ラニエリは「何言ってるんだこの女」という驚愕の表情になっているが、ネーヴェは気にしない。
ばれてもさほど問題になると思えないし、困るのはラニエリだけで、ネーヴェは全く困らないからだ。
聖堂に同伴させろと無茶を言われたラニエリは、断るだろうと思われた。
しかし、彼は眉間にシワを寄せながら「分かりました」と頷くではないか。
「よろしいのですか」
「構わないですよ。私は、あれから考えたのです。生意気なあなたを、どうやって
ラニエリは暗い笑みを浮かべた。
「あなたが嫌がること、それは、あなたの意にそぐわぬ婚姻をすることでしょう。でしたら、私はそれを達成してみせます」
「は……?!」
「心など要らぬと言っているのです。あなたの言う通り、私は
それは遠回しで、かつ、大層ひねくれた告白だった。
いまだかつて、このように迂遠な求婚は、受けたことがない。どうやらネーヴェの指摘はこの男の心を地味に傷付け、想定外の方向に
ネーヴェの意表を突かれた顔を見て、ラニエリは満足そうにした。
「私を利用しようとしたことを、後悔させてあげましょう」
「……受けて立ちますわ」
ネーヴェは我に返り、けして彼の思い通りにはならないと胸を張る。
空中で、二人の間に目に見えない火花が散った。
寒々とした応接室で、ただ一人ラニエリの執事だけは「坊っちゃんが女性と仲良くするなんて……!」と感動している。しかし、彼の勘違いを誰も正せない。
聖堂の手前で待ち合わせすると決めた後、ネーヴェは足早にラニエリの屋敷を辞した。
「大丈夫かい? 姫」
「カルメラ」
ここまで付いて来てくれた、女傭兵カルメラが、心配そうにネーヴェを見る。彼女は本当の姉のように、ネーヴェに親身になってくれる。
「姫の護衛としては、反対だよ。聖堂の中まで付いていけない」
「聖堂の中では、争いや殺傷は禁じられています。この国で一番、安全な場所ですわよ」
天使のいるという噂の聖堂は、一種の中立地帯として知られる。
厳重に警護され、関係者以外は立ち入れない聖堂だが、真に助けを求める者は
確かに安全なのだが、同行するのがラニエリというのが問題だった。
「姫の相手としては、シエロの旦那を推すんだけどねぇ」
あのシエロという男は、ネーヴェを気に入っていると思う。しかし、だからといって積極的に会いに来る訳ではない。何か事情があるのだろうと推測しているが、第三者のカルメラとしては歯痒い。
「どうしてか、親切で真面目な良い男ってのは、なかなか手に入らないものだね」
カルメラは、きょとんとするネーヴェの頭を、ぽんぽんと撫でて苦笑する。良い男が余るほど多ければ、自分はこのように一人で流浪の旅をしていない。
そんな複雑な胸中は、ネーヴェには分かるはずも無いのだった。
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