Side: エミリオ

 縄がかれるのは、食事など限られた時間だけだった。拘束されている間、エミリオは無礼者たちが罰を受ける想像をして過ごすしかなかった。

 味方がいない今、すぐに逃げ出すのは得策ではないことくらい、分かっている。

 王都が近くなるまで、エミリオは機会を待った。

 そして、そのチャンスは巡ってきた。


「……王都の騎士がそこまで来ているらしいぞ」

「姫様をお守りしなければ」

 

 兵士の話す声が聞こえ、エミリオは脱出するタイミングだと悟った。

 見張りが動いた隙を狙って体当たりする。


「そこをどけっ、無礼者!」

 

 縛られたまま、斜面を走り出した。

 なんと間抜けな格好だろう。王族ともあろう者が、後ろ手に縛られたまま、衣服も汚れ髪を振り乱して疾走しているのだ。威厳の欠片かけらもないどころか、子供が指を指して笑うくらい無様な姿だった。

 しかし、格好を気にしている場合ではない。

 フォレスタ王家の鷹の紋章のはたが見える。

 あそこまで行けばきっと。


「……殿下!」

 

 鉄鎧を身にまとった騎士は、エミリオに気付いた。

 すぐさまこちらに駆けよってくる。

 複数人の騎士が周囲を取り囲み、エミリオはようやく解放されると安堵した。


「この縄を解いてくれ」

 

 そして、反逆者ネーヴェを捕らえるのだと、エミリオは命令を口にする。

 しかし、騎士たちは顔を見合わせた。

 誰も、縄を解こうとしない。


「何をしている?! 縄を解け!」

「殿下、聖堂にお連れします。陛下もそこでお待ちです」

「は?!」

「我々は、殿下の命をお受けできません。あなたを連行するように言われていますので」

 

 縛られているのは好都合だ、と誰かが言った。

 まるで悪夢のようだ。

 エミリオは現実を受け入れられず、怨嗟えんさの声を上げた。

 

「これもお前の策略か、ネーヴェ?!」

「黙って下さい、殿下」

 

 乱暴に、馬に引き上げられる。

 王家の騎士の駿馬は、いとも迅速に道を駆け抜け、エミリオを目的地まで連れて行った。

 そこは、王都にある聖堂。王城は縦に高さのある建物だが、聖堂は横に広さがあり、庭園に囲まれた静かな佇まいだ。そこに喧騒を伴い、馬が乗り入れられる。

 エミリオは訳が分からないまま、騎士に連れられて聖堂の奥へ進んだ。

 最高司祭が祈りを捧げる聖壇と、参列者が座る椅子が置かれた広大な空間。その脇にある階段を登ると、天窓に囲まれた小部屋が現れる。王族と最高司祭しか入れない、天にもっとも近い場所。

 

「来たか」

 

 淡い金髪を肩甲骨まで伸ばした男が、振り返る。

 男は、白い長袖アルバの上に、銀糸の刺繍が施された蒼空色の司祭衣カズラを羽織り、金色の肩布ストラを肩に掛けている。

 白い翼が無くても、一目で聖堂の主と分かる格好だ。

 男と少し離れた場所で、国王であるエミリオの父親が所在なさそうに立っている。

 さすがにエミリオも、これが尋常な事態ではないと気付いた。

 

「て、天使様。これは一体」

「エミリオ、俺は待った。待ちくたびれて、とうとう、お前をここに呼ぶ羽目になった」

 

 男が尊大に言う。


「お前の選定は終わった。失格だ。俺の権限で、お前から王位継承権を剥奪はくだつする」


 一瞬、何を言われたか分からなかった。

 国王の長子である自分は、次期国王になる権利を当然持っているはずだ。それを剥奪はくだつするなんて。


「勘違いしているようだが、王位は世襲制ではない。フォレスタ公の血筋以外から王を選ぶと国政が揺らぎやすいから、安定させるために仕方なく血族から選んでいただけだ」

 

 天使は、エミリオの内心を察したように説明する。


「変化は痛みを伴うからな。フォレスタは小さな国で、成立したばかりの頃は、順当に王の子供を選ぶしかなかった」

「……私が礼拝しに来なかったからか」

 

 最初の衝撃が去り、エミリオは何故、王位継承権を剥奪はくだつされるのか、理由が聞きたいと思った。

 理由として考えられるのは、王族として課せられていた責務の一つ、天使への礼拝をさぼっていたことだ。


「いいや、それは別に構わん。こっちも話していて楽しくもない子供と会いたくないからな」

 

 しかし、天使はあっさりと否定した。


「なら何故」

「簡単な理由だ。お前は、魔物の災害を前に、何もしなかった。お前の父親がお前に課した仕事を達成できなかった」

「私は聖女を導いた!」

「お前の聖女は何もしていない」


 そんなことはないと、エミリオは必死に言いつのる。


「リグリス州は、聖女ミヤビの奇跡で救われた!」

「お前は、天地の意思である俺の言葉を疑うのか。だいたい、他ならぬリグリスの民がお前に感謝していないだろう。証明したいなら、感謝する民の一人でも連れて来い」

 

 天使の言葉に、咄嗟に言い返せなかった。

 路地裏で見た演劇を思い出す。

 彼らは、聖女ミヤビではなく、氷薔薇姫に救われたと考えている。


「もう良い。お前は、全て他人任せにし、自分では何一つ考えず、何一つ自らの手で為そうとしなかった。お前の言葉には何の価値もない」


 天使の言葉は淡々としているが、簡単には反論できない重みに満ちていた。言い訳は聞かないと一刀両断され、エミリオは何をしても無駄だと悟らざるを得なかった。

 まるで奈落の底に落ちていくような心地だ。

 しかし、現実は皮肉で、日光は天井のステンドグラスから、さんさんと降り注いでいる。


「連れて行け」

 

 天使が命じると、司祭と騎士が両脇に立ち、エミリオをその場から引き立てる。茫然自失したエミリオは、白昼夢の中のように、ふらふら歩いた。罪人のように連れ出され、一歩進むごとに、彼が当然のように持っていた矜持や名誉が剥落はくらくするのを感じる。

 友だったラニエリはどこにいるだろう。彼はエミリオを助けに現れなかった。誰のことも直接助けなかったエミリオは、誰にも助けられることはない。そのことを知るためには、しばらく時間が必要だった。

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