Side: 聖女ミヤビ
異世界召喚は、彼女の期待を粉々に、完膚なきまでに叩き壊す破壊力だった。お約束の物語を知らなかったと言えば嘘になる。ほんの少しだけ夢も見ていた。指先の爪くらい、本当にちょっとだけ、だけど。
「こちらの言葉が分かるか?」
「……え、ええ」
「お前は、聖女となるべく召喚されたのだ!」
そう言ってこちらを見てきたのは、中年で人相の悪い、絵に描いたような邪悪な魔術師だったので、彼女は早々に自身の不運を悟った。
あ、これ、アカンやつや。
視線を移すと、金髪碧眼の美形がいたので、せめてもの現実逃避に、彼を見つめた。
外国人で体格が良いので年齢が分からないが、自分と同じか、少し上か。服装は、それこそ物語に出てくるようなヨーロッパ貴族で、ここが
というか、地下墓地。後になって彼女は思った。いや、この国の人馬鹿じゃないの。気付こうよ、墓地で聖女を召喚する訳ないでしょ!
聖女と言えば、普通、教会や神殿だ。聞いたところによると、この国の王子様は教会と仲が悪く、召喚の場所に聖堂を選べなかったらしい。その時点で詰んでいると思う。
金髪碧眼の王子様は、こちらに手を差し伸べる。
「君の名前を教えてくれないか……?」
「ミヤビ……」
「そうか。美しい名前だ」
一般家庭で生まれ育った彼女には、顔面も武器の王子様のキラキラした眼差しに敵うはずもなく。
言いなりになって異世界の生活を始めてみたものの、さまざまな出来事に翻弄され、精神をがりがり削られる。
「なんなの?! 言葉は分かるのに、こっちから話せないとか?!」
おそらく異世界は言語が違うのだろう。召喚魔術の恩恵か、王子達の言っていることは理解できるのだが、ミヤビの口から出てくるのは日本語で、意思疎通はままならない。
言語は一方通行。食べ物も服も、とにかく慣れないものばかりで困った。チートはどこにあるの? そんなものない? そうですよねぇ……。
「王子と仲良くなるのだぞ」
自分を召喚した魔術師は、やたら意味深に念押ししてくる。
「お前を召喚したのは、そのためなのだからな」
あれ? 国を救うためじゃないんだ。
王子や周囲の人々は騙されていても、渦中にいるミヤビは、状況がおかしいことに気付いていた。
自分は、邪悪な魔術師の企みに使われそうになっている。
このまま行くと、何かとんでもない災いが起こる。
「ここから、逃げ出さないと……!」
元の世界に戻りたいとか、言ってる場合じゃない。
身の安全の確保が最優先だ。
しかし、周囲は王子が手配した世話係に取り囲まれていて、一挙一動を見張られている。息を抜く暇もない。
鬱になりそうなミヤビを救ったのは、氷薔薇を体現したような麗人だった。
「下がりなさい」
「ネーヴェ様」
「私の言葉が聞けないのですか」
世話係の侍女が恐れをなして逃げ去っていく。
透き通った銀髪の、この世のものと思えない美少女の登場に、ミヤビは息を飲んだ。そして、生まれながらの姫はやっぱり違うと、感嘆した。
「……ミヤビ。ミヤビ!」
「あ」
回想に浸っていた彼女は、エミリオ王子の呼び掛けで現実に戻ってくる。
ここは馬車の中だ。
自分たちは今、王都からリグリス州へ向かっている最中だった。
貴人を乗せる馬車は分厚いカーテンで人目を遮っているため、内部は薄暗い。規則正しい馬車の音や振動、この薄暗さときたら、寝ろと言わんばかりだ。つい、うとうとし物思いに耽っていたらしい。目の前には、王子様の心配そうな顔がある。
「大丈夫か? 体調が悪いか?」
「いえ……」
最近、片言でならスムーズに会話できるようになった。
ぎこちなく微笑んで、王子に返事をする。
エミリオは彼女の返答に満足したのか、視線を外し、カーテンの外を透かし見た。
「楽しみだな」
その言葉に、ミヤビの心は、期待と不安に揺れた。
氷薔薇姫に会いたい。会って礼と、謝罪をしたい。あの時は、満足に言葉が話せなくて伝えられなかった想いを、今度こそ伝えたい。
あの高貴な姫は、ミヤビを赦してくれるだろうか。
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