7-β 青い鳥を探して

 夏休みの間中、私はいろいろなボランティアに参加した。町のイベントだったり、畑の手伝いだったり、何かの調査だったり。大抵は憂ちゃんからの誘いだったけれど、彼女の活動の幅は思っていた以上に広くて、私は本当にさまざまなことを経験した。

 この日に訪れていたのは町外れにある児童養護施設だ。そこで行われるバザーの手伝いをしていた。

 憂ちゃんは別の場所で忙しくしているらしく、今はこの場にはいない。その代わり、傍らにはゴミ拾いのときに知り合った女性――アトリさんがいた。

「理子ちゃんも、ボランティア続いてるんだね。感心感心」

 そういうアトリさんも、ボランティアに参加する度によく姿を見かけていた。趣味である人間観察に余念がないのか、いつ見ても参加者の中では一番力が入っていない感じがする。それでいてトラブルにならないどころか、むしろ小さなトラブルを収めてしまうこともあるから不思議だ。

「理子ちゃんはさあ、将来の夢ってあるの」

 何気ない会話の中で、アトリさんがふいにそうたずねた。突然の話題に私が言葉を詰まらせると、アトリさんは笑って、こうつけ加える。

「ごめんごめん。これはただの興味だから。言うのが嫌なら、無視してくれていいよ」

 これも人間観察の一環ということだろうか。しかし、それほど嫌な感じはしない。とはいえ、今の私にはその問いに気の利いた返答ができるはずもないのだが。

 そもそもの話。私はいまだに自分というものが何なのか、ということについての答えが得られずにいた。

 鳩村とはあれ以来会っていないし、連絡をとってもいない。彼が言っていた応声虫についても一応調べてはみたのだが、その記録については、おそらく回虫などに寄生されたときの症状を指しているのだろう、と書かれていた。体内から言葉を発する虫などいないらしい。彼は私の中に、いったい何が見つかると思っていたのだろう。

「今日は憂ちゃんがずいぶんと張り切っていたでしょう。子どもと何かをするのは楽しいらしくてね。将来は保育士になろうかな、なんて言ってたから。つい、ね」

 アトリさんと話をするのは、気が楽だった。それは、アトリさんと出会ったのが、すべてを知った後だからかもしれない。

 それでいて、アトリさんは私が話したくないことを無理に聞き出そうとはしなかったし、そのおかげで適当に言い繕わなければならないということもなかった。だからこそ、素直な気持ちで話すことができているのだろう。

「理子ちゃんがボランティアを始めたのは、社会の役に立つことを、だっけ。それって、とてもすごいことだけどさ。理子ちゃん自身は、やりたいこととか、そういうものはないの?」

 アトリさんの問いかけに、私はどうにかこう答える。

「うまく言えないんですけど、私が本当にやりたいこと――やらなければならないことは、今のところどうすればいいのか、方法が全くわからなくて……それで、今の私にできることは何なのかって考えたんです。だからこそ、これは今の私にとってはやりたいことであって、やらなければならないことでもあって――」

 自分でも、途中から何を言っているのかわからなくなっていた。私は苦笑いを浮かべながら言い直す。

「だから、アトリさんが言っていた、自分を広げていくっていうのとも、少し違うかもしれません。ボランティアが好きな憂ちゃんのいるところでは、こういうことあんまり言えないけれど、やっぱりこれは偽善かなって」

 アトリさんは私の言葉に、ふむとうなった。

「あくまでも自分のためってこと? 確かに、そういうのを偽善と言う人もいるけれども、善っていうのは心根ではなく、行いに対するものなんだよ。悪い人の真似をして悪いことすれば、それは悪い人なんだから、善いことをしていれば、それは善い人――って昔の偉い人も言ってるし」

 何気なく話しただろうアトリさんのその言葉に、私は思わずうつむいてしまった。知らずに悪いことをしたとしても、それはやはり悪いことなのだろう。

 もしかしたら、私は自分がしてしまった悪い行いを、善い行いでどうにか埋め合わせたいだけなのかもしれない。そんな風に思えてくる。そんなこと、できるはずもないのに。

「誰だって、自分のことは大事なの。本当の意味で自分のために何かをできるのは、自分だけなんだから。けれども、だからこそ相手も大事にしなくちゃならない。相手にだって、自分があるんだからね。それはどちらの気持ちが大きすぎてもうまくいかない。だからこそ過不足なく。中庸が大事なんだよ。難しいけどね」

 アトリさんはおそらく、私のことを思ってそう言ってくれているのだろう。それでも、今の私にはその言葉を素直に受け入れることができない。

 私は私。そうやって疑いなく生きることができたなら、どんなにいいだろうか。

 自分が得体の知れない存在だとわかったときから――いや、もしかしたらそれ以前の、記憶を失ったと思われていたあのときから、私は私というものを探し続けていたのかもしれない。

 そうしているうちに、いろいろとわかったこともあるけれども、それでも私は、私というものがよくわからなかった。むしろ疑問は大きくなるばかりだ。

 私は今までどうやって私として生きていたのだろう。他の人たちはどうやって、自分というものを見つけているのだろうか。

 施設のバザーはなかなか盛況なようで、近所の人たちも多く訪れていた。近所のパン屋さんが出している店には行列ができているし、小さな子どもが楽しめるような催し物も行われているようだ。そうして笑い合う人たちの中には、私が誰なのか、なんてことを考えている人などいないのではないだろうか。

 この日のボランティアで私に与えられた仕事は寄付品の受付だった。

 役割を与えられ、それをこなしていくのは楽なことだ。少なくとも、自分は何をすればいいのだろう、なんて考えずに済む。そうして、しなければならないことをしている間は、私も気分が落ち込んでいる暇はなかった。

 もしかしたら、だからこそ私はボランティアを続けられているのかもしれない。しかし、それは同時に当初の目的を見失っているようにも思えた。

 もちろん、先のことを何も考えていないわけではない。すべての始まりは神社のお祭りで見たあの神事――だと私は思っていた。来年にも行われるだろうその神事は、たとえひとりであっても必ず見に行くことにしよう。そう固く心に決めている。

 施設のスタッフに呼ばれたので、私はアトリさんと別れて指示された場所へと向かった。そうして施設内を歩いていたとき、見知った顔を見つけて、私は思わず立ち止まる。

 橘綾乃だ。不登校のクラスメイト。言葉を交わしたのは数えるほどだったけれども、私にとっては忘れられない相手だった。

 なぜなら、橘綾乃が学校に来なくなったのは、私が彼女を怒らせた次の日だったから。

 もしかして、この近くに住んでいるのだろうか。それで、バザーを見に来たとか――そう思ったのだが、彼女は施設の人と何やら相談しながらこちらに近づいて来る。どうも、お客さんといった感じではない。彼女もボランティアに参加していたのだろうか。

 そうこうしているうちに、橘さんの方も私のことに気がついたらしい。一緒にいた人と別れると、私の方へとやって来た。

「橘さんも、ボランティアに参加してたの?」

 私がそう声をかけると、相対した彼女はこう答えた。

「まあ……ボランティアといえばボランティアね」

 曖昧な返答に、私は思わず首をかしげてしまう。彼女はさらにこう続けた。

「ちょっと知り合いに頼まれて手伝いに来ただけ。私は昔、ここでお世話になってたことがあるから」

 ここって、ここに? この児童養護施設に?

 踏み込んではいけない場所にうっかり入り込んでしまったような気がして、私はあからさまに戸惑った。

 そんな私の動揺を見透かしたかのように、橘さんは小さく笑みを浮かべている。うろたえている私と違って、彼女の方は特に何も思ってはいないようだ。

「あなたこそ、どうして――って……ああ、もしかして、また自分探し?」

 橘さんは含み笑いと共にそう言った。

 いつの日か私が口を滑らせた言葉を、彼女はしっかりと覚えていたらしい。私は思わず顔をしかめた。

 それを見て、橘さんはやはり笑っている。

「別にいいけど。私には、そういったことはよくわからないから。自分なんて、そもそも探さなければいけないものではないでしょう?」

 居たたまれなくなりつつも、私はどうにか口を開く。

「それはきっと、橘さんがちゃんとした自分というものを持っているからだと思う」

 そう言い返すと、彼女は小さく肩をすくめた。

「あなたにはそう見えるの? まあ、どちらにせよ、私には自分なんて探す必要があるようには思えないけど。今ここにあるものがすべてなんだから」

 あっさりとそう言い切られてしまっては、これ以上、私には何も言い返すことはできない。確固たる自己を持っているらしい彼女が、私には眩しくも思えた。

「そう断言できる橘さんが、私にはうらやましいよ。おかしな過去だとか、信じられないような身の上だとか――そんなものはないってことだろうから。私はそうじゃない。確かなものは何もないってことを知ってしまった。だから、私は」

「金谷さんっておもしろいね」

 おもしろい? 橘さんは私の話をさえぎってまでそう言った。私の苦悩など、ひとつも伝わらなかったようだ。

 落胆して黙り込んでいると、彼女はさらにこう続ける。

「よかったら、今度うちに遊びに来ない?」

 うち? うち、というと橘さんの自宅のことだろうか。急に何を言い出すのだろう。

 私と彼女はそこまで親しい間柄ではない。思いがけない提案に、私はぽかんと口を開けた。

 橘さんは呆然とする私を楽しそうに見返しながら、その返答を待ちかまえている。居たたまれなくなった私は、流されるままに彼女の家へ行くことを承諾してしまった。

 訪問の日時などを決めると、彼女は何ごともなかったかのように私の目の前から去って行く。呆気にとられた私は、それをただ見送ることしかできなかった。



 バザーの片づけを終えた私は、夕日が沈む時間になって、ようやく帰途についた。

 近頃はボランティアを終えた後には憂ちゃんやアトリさんとどこかに寄ることも多かったのだが、この日は二人とも用があるとのこと。私はそのとき、ひとりきりだった。

「理子」

 ふいに誰かに名を呼ばれて、私は声がした方へと振り向いた。

 そこに立っていたのは、千代ちゃんだ。くたびれた紙袋を片手に、ひとり佇んでいる。

 今日は意外なところで意外な人に会う日だ。そう思いながら、声をかけた。

「どうしたの?」

「時間空いてる?」

 彼女はすぐさまそう問い返す。

 私がうなずき答えると、千代ちゃんはついて来るよう促しながら先を歩き始めた。そうして連れて行かれた先は、いつだったか憂ちゃんたちとも訪れた喫茶店。何だか、この店とも妙な縁ができてしまったようだ。

 千代ちゃんは窓の近くにある明るい席に座ると、ためらいなくホットコーヒーを注文した。それを見た私は、少し考えてからアイスティーを頼む。さすがにまだ熱い飲みものを選ぶような季節ではないと思ったからだ。

 しかし、千代ちゃんは涼しい顔でコーヒーを飲むと、こう切り出した。

「いろいろと大変だったでしょう。少しは落ち着いた?」

 母のことを言っているのだろう。私は当たり障りのない言葉を返す。軽く話せるようなことでもなかったし、この話題はそれ以上広げようもない。

 しばらくはとりとめのない話をしていたが、千代ちゃんはふいにこんなことを言い始めた。

「実は待ち伏せしてた、って言ったら驚く?」

 確かに意外なことではあったけれども、私は驚くよりむしろ腑に落ちていた。たとえ町中で彼女と偶然に会ったとしても、こんな風に話をするなんて今まで一度もなかったからだ。おそらくは、憂ちゃんから今日の予定を聞いていたのだろう。

「ちょっと伝えておきたいことがあって。憂にはもう話したんだ。わざわざ伝えるのも変な感じなんだけど」

 千代ちゃんはそんな前置きをしながらも、はっきりとこう告げた。

「あたし、遠くの高校に進学するの。簡単には会えないくらい遠く。行きたい学校があってね。もういろいろと準備もしてる。ってそれだけ言いたかったの」

 私は驚くこともなく、うなずいた。

 千代ちゃんからこういう話を聞くのは初めてだ。けれども、私は何となく、彼女は私たちとは違う道を行くのではないか、とも思っていた。

 千代ちゃんは私と違って、しっかりとした自分を持っている人だからだ。そして、それは他人の存在には左右されないだろう、とも。

 進路について打ち明けてくれた後にも、千代ちゃんは自分が考えていることや、あるいは将来の展望についてを聞かせてくれた。少し難しい話だったけれども、彼女は研究者になりたいらしく、ずっと勉強してきたのだそうだ。そのため部活にも入らなかったのだとか。

 言いたいことを言ったからだろうか。千代ちゃんはどこか満足そうな表情をしている。

 わざわざ話しに来てくれたことについては、私もうれしく思っていた。何となく、彼女は自分のことを明かしたりはしないような気がしていたからだろう。

 そんな私の考えを見透かしたわけではないだろうけれども、千代ちゃんは私にこう問いかけた。

「あたしがどうしてこんな話をするのかって、変に思ったんじゃない?」

「そんなことないけど……」

 千代ちゃんは煮え切らない私の反応に、小さく肩をすくめている。

「そう? あたしって薄情そうでしょう? 自分で言うのも何だけど、たぶんクラスでも浮いてる方だと思うのよね。達観しているというか」

「まあ、そんな感じはするかも……」

 私がそう答えると、彼女はにやりと笑い返した。

「でしょう? 二年生の時に同じクラスになって、あんたたちに声をかけられて、友だちになって……それまでのあたしは友だちの一人もいなかったから、自分ではけっこう驚いてた」

 千代ちゃんとは二年生のときからのつき合いだ。とはいえ、それは憂ちゃんが声をかけたのがきっかけだったように思う。そもそも、一年生のときに私が憂ちゃんと友だちになったのも、同じような感じだった。

「それは憂ちゃんのおかげじゃないかな。憂ちゃんって、誰にでも話しかけてる気がするし」

 私の言葉に、千代ちゃんは大きく首を横に振った。

「違う違う。あの子、あれでつき合う相手は選んでるよ。何かのときに、陰口を言うような子は嫌い、とか言ってたし。それくらいなら、面と向かってはっきり言ってくれた方がいいんだって。たぶん、あたしと憂だけだったら、うまくいかなかったと思う。あたしたちの間に、ぼんやりとした理子がいたから、三人でうまくいってたんだよ」

 ぼんやりとした、という表現は腑に落ちないが、確かに憂ちゃんと千代ちゃんでは真逆という感じはする。性格ではなく、興味の方向性が。

「ともかく、あんたたちがいなかったら、あたしはきっと、今でもひとりでいたと思う。ひとりでいるのは、別に苦ではないし」

 彼女がそう言うからには、それは強がりなんかではなく本当にそうなのだろう。私だったらたぶん、ひとりでいるなんて不安で仕方がないと思うのだけれど。

「それでね。進路を決めたとき、遠くの町に行ったら、あたしはきっと、ふたりとも会わなくなるんだろうなって思ったの。それでも、あたしはきっと平気なんだろうなって」

 私がその言葉に何も言えずにいると、その沈黙をどう思ったのか、千代ちゃんは少しだけ苦笑した。

「それはあたしの本音。でもね、それを否定したい自分もいるの」

「否定したい自分?」

 問い返した私に、彼女はうなずいた。

「そう。あたしってひとつのものごとに集中すると、周りのことが見えなくなっちゃうから。それで周りがついていけなくなるのは、小さな頃からよくあることで。でもね、ふたりはそんなあたしに、何だかんだ言ってつき合ってくれた。ふたりと会えないことが平気だったとしても、それはあたしが、ふたりのことを嫌っているってわけじゃなくて。むしろ、あたしみたいな薄情なやつに得難い友人ができたと、ありがたく思ってる。だからこそ、それを忘れてしまうことを惜しいと思っている自分もいるの」

 そんな風に言われるとは思わなかったので、私は少し驚いていた。珍しく照れているらしい千代ちゃんに、何かを言わないといけない気がして焦るのだが、なかなか言葉が見つからない。

 そうしているうちにも、彼女は小さくため息をついた。

「あたしって、矛盾してるのよね。祭りの神事が見たいって言い出したのも、そう。予言なんて信じてないのに、あのとき心のどこかで、あたしの未来に何かしらの啓示があるんじゃないかって、少しだけ期待してた。ねえ、理子。あのとき、あんたには何が見えたの」

 私は思わず目を見開いた。しかし、まさか千代ちゃんが、私の正体がテンコウさまで――なんて突拍子もない話を知っているはずはないだろう。

「えっと……何のこと?」

 そんな風にとぼけると、彼女はあっさりとこう返す。

「だって、あのときおかしなこと言ってたじゃない」

 そういえば、そうだったような。思えば、あのときに聞いた声も、おそらくは私の内から発せられていた声だったのだろう。しかし――

「確か、変な幻も見た、ような……雨の中、女の子がひとり、神社で泣いていて」

 あのとき見たものは何だったのだろう。あれも未来を予知したということなのだろうか。それとも過去の記憶か。崖から落ちて、私が私になったときの――

 千代ちゃんは私の言葉を聞いて、興味深そうに考え込んでいる。

「そういうのって、未来そのものが見えるのかな。それとも、抽象的なものなのか――確か、神事のときに寄坐が見るのは、先の一年に起こるだろう災厄、だっけ」

 真面目に思案しているらしい千代ちゃんに、私の心中は複雑だった。彼女なら、鳩村が言っていたような突拍子もない話をしたとしても、信じてくれたりするのだろうか。

 そんなことを考えていると、千代ちゃんはふと真剣な表情になってこう言った。

「泣いている女の子、か……ねえ、理子。あんた、何か悩んでることがあるんじゃない? 近頃のあんたを見てると、どうも心配になるんだけど」

 思わず、え、と呟いた私を、彼女はじっと見つめ返してくる。

 私が人に言えない悩みを抱えていること、千代ちゃんにはわかっていたのだろうか。とはいえ、さすがにそこまで突飛なことだろうとは、思われていないだろうけれども。

 笑ってごまかすのも違う気がして、私は彼女の目を真っ直ぐに見返した。とはいえまさか、私は実は私ではなくて――なんて話をするわけにもいかない。

 申し訳ないと思いつつも、私は心配してくれたことに対して、ありがとうとだけ返した。千代ちゃんはそれ以上追究しようとはせずに、ただ寂しそうに笑っている。

「話が逸れちゃったけど……ともかく、あたしは考えたの。薄情なあたしが、どうすればふたりのことを忘れないか。それでね」

 千代ちゃんはそう言いながら、持っていた紙袋から何かを取り出すと、それをテーブルの上に置いた。現れたのは小さな機械。木製の平たい箱に、いくつかつまみのような部品がついている。

「今日はこれを押しつけに来たのよ」

 押しつけに来た? どういうことだろう。

 けげんな顔をしていると、千代ちゃんは唐突にこうたずねた。

「あたし、ラジオを聴くのが趣味なのよね。今どき変わってると思う?」

「ううん。なんか、ひらっちょっぽい」

「そう来たか」

 私の答えに、彼女は笑っている。

「ともかく、あたしには大事にしてた古いラジオがあってね。ずっとそれを使ってたんだけど、両親が気を利かせて新しいのを買ってきたの。たぶん新生活への激励みたいなものだと思う。せっかくだから新しい方を使い始めたんだけど、古い方にも愛着があって。だから、そっちは憂に押しつけてきた。使い古しのラジオなんてもらっても嬉しくないだろうし、受け取ったときは複雑そうな顔してたけど」

 千代ちゃんはそう言いながら、テーブルの上に置かれた機械を私の方へと差し出した。

「それで、理子にはこれ。鉱石ラジオ。あたしが初めて作ったラジオなの」

 そう言って手元の機械を撫でながら、千代ちゃんは、ふふふ、と低い声で笑っている。彼女のこんな顔は初めて見た。その鉱石ラジオとやらに、よほどの思い入れがあるのだろう。

「今日はこれを渡そうと思って持って来たの。受け取ってくれるでしょ」

 そう言って、彼女はそのラジオを本当に押しつけてきた。しかし、私は手を出していいものかどうかを迷う。素直をに受け取ってもいいのだろうか。

 そんな反応などおかまいなしに、ラジオはぐいぐいと押されて私のすぐ側までやって来た。

「初めて作ったって……大事なものなんじゃないの? そんなの受け取れないよ」

 私がラジオを押し返そうとすると、千代ちゃんも負けずに押し返してくる。

「だから押しつけるって言ってるじゃない。大事なものだから渡すの。惜しいと思えるものを渡さなきゃ意味がないんだから。これから先、あたしはあんたたちに会うたびに、ラジオが無事かどうかたずねるんだからね。だから、ちゃんと覚えておきなさいよ」

 私は彼女の強引な言い分に驚き呆れていた。そうしているうちにも、千代ちゃんは持っていた紙袋と共に、ラジオを私の傍らへと押し出してしまう。その勢いに気圧されて、私は思わず、ありがとう、と言ってしまっていた。

 千代ちゃんはコーヒーを飲みながら満足そうな笑みを浮かべている。

 受け取ったラジオをながめながら、私は千代ちゃんの話を思い返していた。

 私が私を探しているように、私以外の人たちも、実は私というものを探しているのかもしれない。そうして、不確かで常に揺らいでいるからこそ、誰かに認めてもらいたいものなのだろう。そんなことを、ふと思った。

 憂ちゃんと千代ちゃん。ふたりとの会話を思い出しながら、穏やかな音楽が流れるその場所で、私はそんなことを考えていた。

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