38話 正臣と龍一
朝、龍一のはしゃぐ声で香世は目覚める。
「おはよう…龍ちゃんどうしたの?」
廊下に続く襖を少しだけ開けて龍一が外を
眺めている。
「香世姉様!二階堂様が竹刀を振って鍛練
してるんだ。僕もやってみたい。」
香世は布団から急いで這い出て興奮気味の弟を止める。
「駄目よ。龍ちゃんお邪魔になっちゃいけないから、そっと見るだけにしましょ。」
竹刀がブンっと規則正しく振り下ろされる音を聞き、香世もそちらに目を向ける。
正臣は白い着物に黒の袴を履き、利き腕を着物から出した状態で竹刀を振り下ろす姿が目に入り、思わず綺麗…と、龍一と共に見入ってしまう。
しばらく見ていると、
汗を拭う為に一休みした正臣と目が合ってしまう。
香世は急に鼓動が高鳴り慌てて目を逸らす。
龍一は臆する事無く、
「おはようございます二階堂様!」
と言って、香世が止める手をすり抜け廊下に出て行ってしまう。
香世は慌てて後を追う。
「おはよう。よく寝れたか?」
正臣は近付いて来て2人に笑顔で話しかけて
くれたので、香世はホッとする。
「おはようございます。すいません…
鍛練のお邪魔をしてしまって。」
恐縮気味に頭を下げる。
正臣は、そんな香世の頭と弟の頭をポンポンと撫ぜ、
「問題無い。龍一もやってみるか?」
と、幼い弟に声を掛ける。
「はい!」
と元気に返事をした龍一は、パタパタと履き物を取りに玄関へ行く。
香世はホッとしてそんな弟の後ろ姿を笑顔で見守る。
そのタイミングで、正臣にそっと頬を触れられて、ビクッとして驚き正臣を見上げる。
「今日は顔色が良さそうだ。」
正臣が笑いかけてくれるから、ドキドキと鼓動は早鐘をうつ。
昨日、好きだと自覚してしまった手間、いつもより倍恥ずかしくて俯いてしまう。
それを正臣が覗き込むように見て来るから、
顔が真っ赤になってしまう。
距離を見誤ってしまったと正臣は後悔する。
香世を目の前にすると衝動を抑えきれない。
精神年齢15歳の香世は初心(ウブ)でどうしようも無く可愛い。
頭をポンポンと撫ぜて落ち着かせる。
「二階堂様!よろしくお願いします。」
玄関から草履を持って戻って来た龍一が元気に挨拶をして、庭先に下りる。
「よし。じゃあ、子供用の竹刀があるから握ってみろ。」
正臣は既に龍一の為の竹刀を用意してくれていたらしい。
香世にはもう少し休んでいろと、言って側から離れて行ってしまう。
しばらく龍一と正臣を眺めていたが、まだ体が本調子じゃないせいか知らぬ間に、柱に持たれてうとうととしてしまう。
香世が柱からずるりと倒れる瞬間に、駆け寄って来た正臣が引き寄せぎゅっと抱きしめ、寸前で頭を打たずに済んだ。
「香世を寝かせて来るから素振りをしていろ。」
と龍一に指示を出し、正臣は香世を抱き上げ居間に行き、座布団の上に寝かして毛布を掛ける。
ホッとしてハァーとため息を吐く。
こんなちょっとの事で香世にもしもの事があったらと、この先1か月が不安でどうしようもない。
人の心配も知らないですやすや寝ている香世の寝顔を見つめて、唇にそっと口付けをする。
朝の鍛練もそこそこに龍一と水浴びをして家に入る。
正臣も着替えを済ませ居間に戻ると、
香世の横で一緒に寝転がる龍一を見つける。
この子にはまだ、母代わりの姉が必要なのだと思い知る。
「龍一、少し話しがあるんだが。」
躊躇い気味に話しかけると、はいと返事をして起き上がり正臣の前に来て正座をする。
「香世の事なのだが龍一に香世が必要なのは、この1、2日だけを見ていても良く分かる。
ただ、香世を実家に帰す事に俺は不安を感じている。
香世はしばらく安静にしなければならないし、もう一度頭を打つけると命にかかわる。
もし、龍一の父上が香世に手を挙げるような事があれば危険なのだ。
香世がここに居たいと言えば、ずっと居て欲しいと思っている。
龍一はどう思う?」
正臣は1人の男として龍一に問う。
「僕、香世姉様には幸せになって欲しいんです。二階堂様の側の方が安心だと思う。
どうか、お姉様よろしくお願いします。」
小さな手をついて頭を下げてくる。
「ありがとう。」
龍一の我慢を重く受け取る。
「香世が起きたら話しをしてみるが、ここは龍一の家だと思ってくれて良い。
いつでも来てくれ。」
龍一はこくんと頷く。
よく寝入っている香世を起こすのも忍びないと、しばらく寝かす事にする。
正臣と龍一は先に朝食を食べようと他の空き部屋に移り、タマキに頼み朝食を運んでもらう。
「龍一は嫌いな食べ物はあるか?」
2人で食事をしながら正臣が話しかける。
「…僕は…椎茸が嫌い。」
正臣は戸惑いながら小声で話す龍一を不思議に思い、
「どうした?」
と、問う。
「僕の家では、ご飯時に会話をするとお父様に怒られるんだ。
二階堂様の家は良かったの?」
「そうなのか?俺の家は放任主義だから、
家族揃って食事をする事はなかなか無かったんだ。
その家々に違うしきたりがあるのは承知しているが、俺としては美味しい物を食べてる時に、美味しいと分かち合える事は大事だと思う。
だから、この家に来た時は食事中気にせず
話してくれれば良い。」
「はい。」
龍一は分かりやすく元気になってご飯食べ始める。
「俺は子供の頃、筍がどうしても食べられなかったが、大人になったらいつの間にか食べれるようになった。
味覚はいろいろ食べていくうちに変わるから、怖がらず何でも食べてみるべきだ。」
「僕、人参も苦手だったんだ。
でも香世姉様がお花の形に切ってくれて食べられるようになったんだよ。」
「優しい姉様だな。」
正臣は、香世の優しさを垣間見た気がして嬉しくなる。
2人話しながら楽しく朝食を食べていると、
パタパタと走って来る音がして襖がスーっと開く。
「申し訳ありません。眠ってしまったみたいで…。」
香世が廊下で正座をして頭を下げている。
洋服に着替えて慌てて来たらしく息を切らしているから、
「そんなに慌てて来なくても…転んだら大変じゃないか。」
と正臣は思わず立ち上がり、手を引き立ち上がらせ部屋に入れる。
「大丈夫か?」
心配になって顔を覗く。
「すいません…お部屋に、運んで頂いたのも
気付かなくて…。」
「気にしなくていい。
まだ本調子じゃ無いんだからゆっくり寝ているべきだ。」
心配顔で香世を見据える。
香世を龍一の隣に座らせ、水と朝食を持って来るようにタマキに頼む。
「少しでも転ぶような事があったら心配なんだ。頼むから走ったりしないでくれ。」
龍一は、心配が消えない正臣と香世を交互に見比べ、ふふっと笑う。
不思議に思った香世が、
「龍ちゃんどうしたの?」
と聞く。
「だって、姉様だけがきっと二階堂様を慌てさせるんだ。姉様はもっとお淑やかにしなきゃダメだよ。」
小さな弟にダメ出しされてしまう。
「ごめんなさい…。」
可愛いくシュンとなった香世を見て、
「確かにそうかも知れない。香世にはいつだってハラハラして、心配させられるんだ。」
今度は正臣がハハッと笑う。
「それに、大きいお姉様はまだ起きて来ないんだよ。」
可笑しそうに龍一が言う。
「確かに、香世は姉上を見習うべきだ。
もっと堂々と怪我人らしく寝ていればいい。」
笑顔で正臣がそう言ってくれて、香世もホッと一息をついて安堵する。
楽しく3人で朝食を食べ終えた頃にやっと姉が起きてくる。
そこで正臣は改まって正座をして姉と向き合う。
「実は、姉上にお願いがありまして、今後の香世殿の事なのですが、香世殿さえ良ければこの家にもうしばらく居て頂きたいと思っています。
せめて、安静にすべき1か月程は我が家でのんびりと過ごして欲しいと思っております。」
姉は微笑み、香世は驚きの顔を見せる。
「私は元よりそう思っておりましたよ。
記憶が無いとは言え、香世ちゃんは二階堂様の婚約者ですし、実家に帰ってくる事は世間体にも悪いと思うわ。
香世ちゃん、そうして頂きなさいな。
龍ちゃんの事は私とマサに任せて。」
香世はそんな姉を信じられない物を見る顔をして、しばし固まる。
「香世、香世はどう思う?」
なかなか返事をくれない香世に、痺れを切らして正臣はつい聞いてしまう。
「あの、私は…記憶が無い分…その、
二階堂様に申し訳ないと思うのですが…
こんな私で良ければ…しばらく置いて頂きたいと思います。」
香世は辿々しくも、正臣に向かい合い頭を下げる。
「良かった。
俺としては是が非でもここに居て欲しい。
昨日、今日だけでもハラハラする事が何度かあった。
香世に何かあったらと思うと心配でならない。俺の為と思って側にいて欲しい。」
正臣にそう言われると、昨日からの失態を思い出して香世は何も言えず…。
よろしくお願いしますと頭を下げるしかなかった。
「良かったね、二階堂様。
姉様、僕の事は心配しないでね。寂しくなったらまた遊びに来るから。」
龍一はいつの間にか二階堂の味方のようで、
心強い言葉をくれる。
こうして、龍一と姉はお昼前に帰って行った。
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