第21話

その頃…


軍本部で待機していた前田に一報が入ったのは夜7時過ぎ、


『首相別邸にて 事件発生!

1人怪我人がいる模様、

急ぎ救急車両の要請有り。』


食べていたどら焼きを取り落とし、慌てて車に乗り込み香世が待つ家へ走らせる。


前田は咄嗟にボスに何かあったと察する。


軍部で怪我人を待つより先に、気づけば香世の元へと車を走らせていた。


彼女に知らせなければ…


怪我人が誰かは分からないが、正臣である可能性もある。

手遅れになってはいけないとハンドルを握る手が汗ばむ。


あの2人は側から見ても、お互い想い合っているのは明らかなのに、まるでボタンを掛け違えている様にもどかしく、立ち止まったまま…


このままではいけないと、前田は今朝、家臣としては禁断なのだが、ボスである正臣に意見を述べた。


手打ちにされても仕方がないと覚悟の上だったのに、正臣は罵倒する事無く素直に受け入れ、礼まで述べた。


その懐の深さに前田は脱帽し感動すら覚えた。


この人こそ上に立つべき人なのだと再確信し、やはり自分の目に狂いは無かったと誇らしくも思った。


一生ついて行きたいと、気持ちも新たに仕事に邁進した。


その正臣の身に何か起きたのだ。


咄嗟に浮かんだのは香世の事。


正臣が初めて自分の意思で求め、探したいと切望した。


なんとかしたいと前田自身も躍起になって探し回った。


見つかった時の嬉しそうな顔は忘れない。


普段、感情を表に出す様な人では無い。


ボスの為に今、自分が出来ること。




ドンドンドン。


「香世ちゃん!

運転手の前田です。開けてください!」

ガラガラっと扉が開いた途端、玄関に駆け込み前田は告げる。


「ボスに何かあったようだ。負傷者が1人いると言う連絡が。

ボスかもしれない、急いで準備して軍病院に行きましょう。」


香世は慌てふためき、それでも正臣の着替えを一式、風呂敷きで包み、

「お願いします。」

と頭を下げる。


香世を車に乗せてひたすら今来た道を戻る。


どうかご無事で…


2人の思いを乗せ暗い夜道を車は急ぐ。


軍病院に到着して、香世を誘導しながら前田は走る。


パタパタと香世が着物で小走りに走りながら懸命について来る。

目には涙を溜め唇を噛み締め、今にも泣き出しそうだ。


香世が抱きしめていた着替えの風呂敷を前田が預かり、先を急ぐ。


角を曲がると、

救急外来の廊下で1人佇む人の影が…


少ない電灯に照らされて浮かぶ。


腕を組み無駄に長い足を投げ、壁際にもたれて俯きがちに立っている。


前田はハッとしてホッとする。


嗚呼良かった…


走る足を緩め安堵する。


その横を香世は走り抜け、

「正臣様…!」

と、呼びかける。


振り向く男は、怪訝な顔をしながらこちらを見る。


「香世…?」


組んでいた腕を解いて佇み、走り寄る彼女を両手で受け止める。


その姿を見みて後ろから歩み寄りながら前田は、そこは抱き止めてあげて下さいよ…

と不満顔だ。


「良かったぁ…。」


香世は両手で顔を覆い、流れ出す涙をひた隠し、走ったせいか肩で息をしている。


「はぁー。心配させないでくださいよ。」

苦笑いしながら前田は2人に近付く。


「すまなかった、心配かけたな…。

怪我をしたのは真壁だ。

俺はなんとも無い。」

正臣は心配そうな顔で、香世の様子をひたすら伺う。


そんな様子を前田は横目で見ながら、2人の距離をもどかしく思い、背中を押してやろうかと思うのだが、今朝の叱咤激励の手前、これ以上のお節介は野暮だと考え直す。


正臣に目をやると、なんとも無いと言いながら、背広を脱いだシャツにはネクタイは無く、返り血と埃で薄汚れている。


激しい戦闘があったのは一目瞭然だ。


「ボス、これ着替えです。

あなたが大丈夫なら俺に用はないので、

車に戻ってます。」 

風呂敷包みを正臣に渡し、前田は安堵の表情で背中を向け、玄関に向かって歩き出す。


「ああ、悪いな…前田、ありがとう。」


こう言う時でさえ、

俺のボスはお礼を忘れないのか、と誇らしく思う。


手を上げ後ろ手に振りながら、前田は鼻を啜り去って行く。


正臣は香世を近くの長椅子に誘導し、隣に座り、ひたすら泣き止むのを見守る。


ズボンのポケットを探るがハンカチは無く…

そういえば、

真壁の怪我の止血の際に使ってしまったんだと思い出す。



あの後…


真壁の声で振り返り、敵の車から出て来た運転手の短銃を、寸での所で奪い取り事なきを経た。


首相はひとまず別邸に匿い、電話を借りて応援を頼んだ。


その間に真壁の腕から流れ出る血を止血し安否を確認する。


切り傷5センチ…傷口はそこそこ深い。


縫う事になりそうだなと真壁に告げて立ち上がり、事の後始末に外に向かう。


残党は全部で4人。

全員を後ろ手に縄で縛り、逃げないように側の電柱に括り付ける。


短銃の音で驚き集まり始めた野次馬を下がらせる為、駆けつけた警官に頼み制し線を張らせる。


その後、投げ捨てた背広を拾いやっとひと息吐く。


極秘任務は完了…。


ひとまず早く終われたな…

 

早く帰って香世の顔が見たい。


車に寄りかかり星空を見上げて正臣はそう思った。



(正臣side)


香世が軍病院まで駆けつけて来たのは予想外で、動揺はしたが嬉しくもあった。



かける言葉が見当たらない…


しばし無言で寄り添うが、

香世は一層俯いてしまい、顔を伺い見る事も出来ない。


背中を優しく撫でてみる。


ヒックヒックと肩を揺らすから逆効果だったかと思う。

だが、触れてしまった手を離す事も出来な い。


「香世、もう大丈夫だ。心配いらない。

そんなに泣くな…。」

そっと寄り添いそう呟く。


香世が顔を上げて、真っ赤な目で涙を溜めて俺を見てくる。


思わず抱きしめたい衝動に駆られるが、

気持ちをぎゅっと制御して、


「来てくれてありがとう。心配かけて悪かった。」

改めて礼を言う。


ふるふると首を左右に振る香世のあどけない仕草が、可愛いなと思って見つめてしまう。


俺は照れ笑いしながら前を向き、

診察室のドアを見つめる。


「正臣様…頬に…傷が…。」

香世が不意に手を伸ばし俺の頬に触れるから、体が勝手にビクッとして目を見張る。


「大丈夫だ…、痛く無いから。」

何気なく離れようと試みる。


「少しお待ち下さい。」

香世がパタパタと洗面所に駆けて行き、

ハンカチを濡らして戻って来る。


心配顔で近付いて来て、顔を濡れたハンカチで優しく拭いてくれる。

「沁みますか?」


「…いや、大丈夫だ。」


「他に痛い所はありませんか?」

こう言う時の香世は妙に積極的で、拒む事も出来ず、なすがままに身を預けるしか無い。


両手を取られ、表に裏に返されて、顔を近付けてじっくり見られるから、若干照れ臭い。


そっと手の甲を撫でてくるから、またビクッと反応してしまう。


「痛いですか?少し腫れてる気がします。」

しゃがみ込んで見ていた香世が、顔を上げ俺を見上げてくる。


敵を素手で殴ったから確かに少し痛いなと思うが、そんな事は口が裂けても言えない…。

「…大丈夫だ。」


「冷やした方がいいですか?」

香世は濡れたハンカチを当てがいそっと握ってくるから、これはなんの拷問か?

と、思いながらひたすら心を無にして耐え凌ぐ。


耐えられなくなり、そっと手を外す。


「大丈夫だ。

そんな所にいると身体が冷えてしまう。

椅子に座われ。」

半ば命令口調になるが、ずっとしゃがんでいられるのも忍び無いと横に座らせる。


香世はまだ、心配そうにこちらを見てくるが


「夕飯は何を食べた?」

と、素っ気なく聞く。


「今夜は…お肉の煮物を頂きました。

正臣様は?お夕飯は食べられましたか?」


香世に冷たく当たっていた女中も、あれから少しずつ歩み寄っているようで、昨日は手土産の余りを渡したら喜んでくれたと、香世から報告があった。


俺と香世だけの家に3人の女中は多いから、

折を見てタマキ以外は本邸に働きに出そうと考えている。


「そういえば…まだ、夕飯は食べてないな。」

そう香世に告げると、また心配そうな顔を向けてくるから、


「大丈夫だ。そんなに腹は空いてない。」

と、取り繕う。


香世はがさごそと何やら探し始め、

袖の袂や、襟元や、帯の隙間やらに手を入れる。

どうしたのかと見つめていると、

「あった!」

と、嬉しそうな顔をして背中のお太鼓の中から、手のひらより小さな紙の包みを出してくる。


そんな所にも仕舞えるのかと、俺は若干びっくりしながら、香世の差し出した手元を見る。


「キャラメルです。今日、真子ちゃんが持って来てくれました。」

香世が嬉しそうに包みをあけるから、


「何かの手品か?」

と、言いながらキャラメルを手に取る。


香世が、ふふふっと可笑しそうに笑うから、

その笑顔を見て俺は安堵する。


「食べて下さい。少しはお腹の足しになると良いのですけど…。」


「ありがとう。」

おもむろに口に含み、


「甘いな…。」

と、つい言ってしまう。


「正臣様は、もしかして甘い物が苦手ですか?」


「いや、久しぶりにキャラメルを食べたから…。

甘い物は嫌いじゃ無い。

むしろ辛い物の方が苦手かもしれない。」


「そうなんですね。」

香世が、目を細めて嬉しそうに微笑む。


「お酒はあまり飲まれないのですか?」

香世はここぞとばかり、質問をしてくる。


「家では飲まないな。

1人で飲んでも美味しいとは思わないし、

まず酔った事が無いから、弱くは無いが好き好んで飲むわけでも無い。」


「そうなんですね…。」


「香世は?酒は飲んだ事があるのか?」


「いえ、ありません。

父は酒豪でしたけど…私はどうなんでしょうか?」

考えながらそう呟く。


「…外では飲まない方が良いな。」


俺にそんな事を言う権利は無いが…言ってしまってからそう思う。


「香世は…実家に帰りたいか?

好きに帰ってくれて良いのだぞ。」


朝、前田から言われて気になっていた事をつい口にする。


「えっ⁉︎」

香世がびっくりした顔でこちらを見る。


ガチャ


診療室のドアが突然開き、2人でパッとそちらを向く。


「二階堂中尉、お疲れ様です。」

軍医が俺に向かい敬礼する。

チラリと香世を見る。


俺は立ち上がり敬礼を返しながら香世を背中で隠す。


「真壁の怪我の具合はどうだ?」


「五針縫いました。今、薬で寝てますが、

出血も多く1週間ほど入院が必要です。」


「分かった。後で必要な物を部下に届けさせる。病室が分かり次第、第一部隊の酒井に連絡を。」


「了解しました。」


「俺は明日は非番だ。何があれば自宅に連絡をくれ。」


「はっ。…あの、そちらの方は?」

正臣は、気付かぬふりをして欲しかったと思いながら、


「俺の…知り合いだ。迎えが待っているから帰る。後はよろしく頼んだ。」


「はっ!」

敬礼して、香世に目を向け行くぞと伝える。


香世は軍医にペコリと頭を下げて、パタパタと俺の後ろを付いてくる。


廊下の角を曲がり、足取りが早過ぎたかと少し立ち止まり振り返る。


香世が追い付いて来てホッとした顔をする。


さっきよりもゆっくり歩く。

「足元、気を付けろ。」


「はい。」

香世は微笑み頷く。


香世に話さなければならない…。


俺の事は気にせず、自由に好きな所へ行っていいのだと。


心がギシギシと軋む音がする。


「前田、待たせた。」

車で待っていた前田に声をかける。


香世を先に乗せ隣に乗り込む。


「ボスお疲れ様でした。

大変でしたが極秘任務終了ですね。

香世ちゃんも俺の早とちりですいません。

要ら無い心配させたね。」


馴れ馴れしく話す前田に気持ちが逆立つ。


「いえ、早く安否が分かって安心しました。

ありがとうございました。

真壁さんの傷の具合も心配ですが…。」


「真壁さんは結構怪我しやすい人なんですよ。

去年も骨折してるし、慣れてるんじゃないですか?」

前田が笑いながら敢えて軽く話す。


「そうなんですね…

正臣様もお怪我はよくされるのですか?」

心配そうにこちらを見てくる。


「いや、俺は普段指揮を取る事が多いから、

今回のように現場に出る事はそう無い。」

 

香世は明らかにホッとしたような顔をする。


そこまで自分の心配をしてくれているのかと嬉しく思い、無意識に笑顔になる。


「…手の腫れが心配です。」

香世は俺の手を覗き込む。


「ボッコボッコにしたんですか?」

楽しそうに前田が言うから、俺は空気を読めと視線を投げ、わざと咳払いをする。


他人を簡単に殴る男だと、香世に怖がられたら辛い。


「接近戦になったから仕方ない…。」

香世の顔色を伺ってしまう。


車の中は終始、前田のおかげか明るく話す香世を見る事が出来てホッとする。

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