第7話 再会

その彼女に3年ぶりに会う。


まさか花街の遊郭で会う事になろうとは

と、二階堂は苦笑いした。


「どうもお待たせしました。

女将の藤田です。貴方が香世の許嫁かい。」


スーッと襖が開き初老の女と、先程の番頭が入って来る。


「いかにも、こちらが我々の上司である、

二階堂中尉であります。」

そう真壁が伝える。


女将と番頭が下手に座り話し出す。


「香世の身請けをしたいと言ってましたな。彼女は200円でうちに引き取られた。

二階堂様はいくら出されるつもりですか?」


席に着いたところで番頭は直ぐに金の事を話してくる。

二階堂は不愉快な気分になり眉間に皺を寄せながら、


「本来、人の価値は金なんかで決められるものでは無い。」

と、咎める。


「まずは香世殿を連れて来るのが先ではないのか?」

低く良く通る声と、落ち着き払った態度でそう言う。


女将は手を叩く、

10代そこそこの子供が 

「失礼します」

 と言って現れ、こそこそと耳打ちして一礼して部屋を出て行く。


真壁は人知れず心を痛める。

 

「こんなに小さな子供までここでは働かせているのですか?」


「軍人さんには分からないだろうが、

世の中には子を売らなければ明日のご飯も食べられない人々が沢山いるんだ。

あの子らはここに入れば食べ物には困らないし、自分の親だって助けられる。


アンタらがどう思うか知らないが…

私ゃ、世の中の為に良い事をしているんだと思ってるよ。」


ここにはここの倫理があり、助けるにも咎めるにもそうされると困る人々がいる…。


真壁はため息を一つ吐き…

自分にはどうする事も出来ないのだと項垂れる。


無言で向かい会う時間が数分続き、

先程の子供がスーッと襖を開ける。


「お待たせ致しました。お連れしました。」


香世が廊下で正座をして両の手を床に付き、

綺麗な所作で頭を下げる。


「お待たせして申し訳ありません、

香世でございます。」


妖艶な赤を主張する着物を着せられた香世が、

花魁ような出立ちで白塗りのおしろいに紅べにをひいている。


二階堂は一瞬見て、目を見開く。


不覚にも綺麗だと思ってしまったが…

下唇を噛み女将を睨む。


女将は気付いているのかいないのか、


「入っておいで。」

と、香世を手招きして呼び寄せ、

赤い絨毯の続き間に座らせる。


迎えに来た子供もその後に付いて香世の横に並ぶ。


このような席に子供がいる事に男達は不快な思いを抱く。


「なぜ、香世殿にこのような格好をさせた。

私の許嫁と知っての侮辱か。」

二階堂は静かに、そして怒りを抑え女将を見据える。


「私ゃ、香世の気持ちを汲んだまでだよ。

家族の為に自分がしなきゃいけない事をこの子は良く分かってるんだ。

アンタにじゃなく、私らを頼ったまでって事だろ。

分かってるんならサッサと手を引いてくれよ。」


香世の心が例えどこにあろうと、

ここで引く事は出来ないと二階堂は思う。


二階堂は香世を見据える。

きっと彼女は俺の事など気付く事もないのだろう。

こちらを見つめてくる香世の瞳に何の意味を持たない事は分かる。


心の無い無の状態。


二階堂は香世の澄んだ綺麗な瞳を、 

熱い眼差しで見つめ返しながら、


「香世殿、貴女はこんな所に居るべき人では無い。家族の事も全て引き受けるつもりだ。

だから、私の手を取れ。」


香世の瞳が少し揺らぐ。


それは動揺なのか戸惑いなのか、 

二階堂には到底分からないが…。


「子供を下げてくれ、このような交渉の場には相応しく無い。」

静かに二階堂が言う。


女将は鼻をフンと鳴らしただけで何も動かない。


香世は二階堂の言葉を聞いているのか、

いないのか分からない表情で、

それでも隣に座る小さな少女に何やら耳打ちをする。


子供はにこりと香世に微笑み返し、

嬉しそうに頭を下げてパタパタと部屋を去って行く。


改めて二階堂は背を正し、女将に向き合い言い放つ。


「彼女が欲しい。いくら出せば良いか?」

単刀直入に聞く。


「400円、これ以上はびた一文も負けないよ。」

これには真壁も酒井も驚き、思わず顔を見合わせる。

400円あれば高級車が2台は買える。


「香世殿の価値はそんな値段か?」

フーッとため息を付き二階堂は言う。


「では、千円出す。

ただし、先程の子も一緒に連れて帰る。」


これにはこの部屋にいる誰もが驚き騒つかせた。


「驚いたね。アンタ何者だい?

軍人中尉にしては羽ぶりがいいねぇ。」

女将がそう言って、ここに来て初めて笑う。


さすがに香世も驚き目を丸くする。


「二階堂様、私のような者にそのような大金を出して頂く訳にはいきません。

どうか、お引き取りをお願い致します。」

精一杯の気持ちを込めて頭を低く下げる。


「香世殿、貴女の価値は本来、 

金には変えられないと私は思っている。

ただ、貴女をここに置いて置く訳にはいかない。

1分1秒でも早くここから連れ出したい。

先程のあの子を助けると思ってここは言う事を聞いて欲しい。」


あの、二階堂が、軍部で鬼と恐れられる冷酷な上官が、まだうる若い女子に頭を下げている…。


真壁も酒井もただ、ただびっくりして事の成り行きを見守る。


香世は戸惑う。


二階堂と言う男、私だけじゃなくまだ年端もいかない少女まで一緒にここから出してくれると言う。


小さな彼女の事を思うと心が痛む。


しかし、1000円もの大金…

多分2階建ての家が一軒建つくらいの価値がある。


何故?

それほどまでに私を助けようとするのか理由が知りたい。

慈善事業にしては額が大き過ぎる。


香世は頭を下げながら考える。


そっと頭を上げて二階堂を見つめる。


その精悍で整った外見は一見冷たくも見え、

心の中が全く読み取れない。


ただ、射抜くように私を見る眼差しは熱く、恐いというよりは、美しく、見惚れてしまう。

男性を美しいと称するのはどうかと思うけど……。


目を逸らす事さえ躊躇ってしまう。


「それに、樋口家のお父上の事業の事だが、まだ何とかなる可能性がある。

私に介入させて頂ければ、全面的に助ける事も出来る。」


香世は思う。


それでも、父の事業の為に1000円の対価を払ってまでこの人になんの徳があるのだろうか?

計り知れない思いを胸に、

どうせこの身を捧げるのなら…

と香世は決心して立ち上がる。


二階堂に歩み寄り向かい合って正座する。

そして深く頭を下げる。


「どうぞ、よろしく、お願い致します。」


二階堂が一瞬だけホッとした顔をし、


「では、着替えて来い。」

と、小さく香世に言う。


「はい。」

と香世も小さく頷き、女将に向かって頭をさげる。


「女将さん、申し訳ありませんが着替えて参ります。」

立ち上がり部屋へ下がる。


香世の着替えを手伝ってくれた真子は、

今年10歳になったばかりだと、つい先程聞いたばかりだった。


後、5年もすれば客を取らせると女将さんが言っていた。


こんな小さな子が何も知らずに、

ご飯が沢山食べれるよと親に言われて来たと言う。


これが世の中の現状なんだと香世は思い知った。


この世に不幸な子は沢山いる。


私はたまたま裕福な家に産まれて、

つい何年か前までは贅沢な世界に囲まれて、何不自由なく暮らしてきたのだ。


真子ちゃんのうちは百姓で兄妹が10人もいると言う。

上は15歳から下は1歳まで、

下の兄妹の為にも働いて稼がなきゃいけないんだと言っていた。


今は奉公だから余りお金は貰えないけど、

早く15歳になって部屋を持ったら、

いっぱい稼いで妹や弟にお腹いっぱい食べさせてあげるんだと教えてくれた。


親に売られて来た事さえ知らずに、

無邪気に香世の世話をしてくれた。


香世は心が痛んだ。


二階堂が子供を下がらせるよう配慮してくれた事に少しの優しさを感じた。


香世は真子に、『お部屋の引出しに飴があるから、食べていいよ。』とこっそり教えてあげた。


嬉しそうに彼女は部屋を出て行ったけれど…もしかしたら後で女将に咎められて折檻させられるかもと、香世の頭に不安が掠める。


真子も一緒にここから出してくれると言う、二階堂に香世は戸惑いながらも頭を下げた。


買われた場所が変わるだけ……。


香世はそう考え、おしろいを落とし、

来た時に着ていた着物に着替える。


「姉さん、もう着物を脱いでしまうの?

せっかく綺麗だったのに、

軍人さんは気に入らなかったの?」


真子は飴を舐めながら香世を見つめる。


「真子ちゃん、あの軍人さんがね。

私と一緒に真子ちゃんも外の世界に出してくれるんだって。一緒に行ってくれる?」


香世はしゃがんで真子と目を合わす。


「そこは、ご飯が沢山食べられる?

真子でもお仕事できて稼げる?」

健気にそう聞いてくる。


「分からないけど、ここよりはきっと優しい所だと思うよ。」


「折檻されない?ご飯抜きにされない?」


すがるように聞いてくる真子の現状が、

手に取るように分かった。


「あの、軍人さん見た目はちょっと怖いけど、きっと優しい人だと思うよ。

私達にお金を積んでここから出してくれるんだって。」

香世は出来だけありのままを話す。


「じゃあ、お金持ちなんだね。

牡丹姉さんは好いた人がお金を積んでくれたから、花街を出て幸せになるんだって言ってたよ。」

にこりと笑い真子が言う。


「そう。じゃあ、一緒に行こうよ。

お父様やお母様に会えるかもしれないよ。」


「本当に?会いたい!!」

香世に抱きついて真子が喜ぶ。


こんな事を言って本当に会わせてあげられるのか、若干の不安はあるけど…。


荷物をまとめ真子の手を繋ぎ、

香世は二階堂が待つ部屋へと急ぐ。


「すいません。お待たせ致しました。」

きちんと手をついて作法通りに襖を開け中に入る。


室内には既に女将と番頭は居なくて、

重々しい鞄を持った眼鏡の男と、

運転手のような風情の若い男が1人いた。


二階堂はというと、

窓枠に腰掛け桟に寄り掛かりながら窓の外を見ていた。


その側に真壁と酒井が立ち、

何やら話をしているようだった。


香世と真子が部屋に入ると男達が一斉にこちらを見た。


香世は少し緊張しながら畳に正座して二階堂を見上げる。


「お待たせ致しました。

身支度を、整えて参りました。」


丁寧な所作で、手を付き頭を下げる。


真子も見様見真似で香世を真似て、

同じように手を付き頭を下げる。


二階堂は静かに、


「とりあえず、今夜は2人うちに来るといい。

そこに居るのは、うちの使用人の古賀と運転手の前田だ。」


香世は2人に向き合い手を畳に付き、


「樋口香世と申します。

よろしくお願い致します。」


香世がそう頭を下げると、

真子も見習って、

「森下真子です。10歳です。よろしくお願いします。」

と、元気よく挨拶をして頭を下げる。


「古賀と申します。こちらこそよろしくお願い致します。」


「運転手の前田です。お見知り置きを。」

男2人も頭を下げる。


「良し、ではこんな所は早く出るぞ。」

二階堂はそう言って、

香世が持って来た、2人分の荷物を持ち歩き出す。


「ボス、俺が持ちます。」

そう慌てたのは運転手の前田で、

それを部下の真壁と酒井は笑いながら、

後に続く。


古賀は、香世と真子を先に歩かせその後を着いて歩いてくる。


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