第5話 花街から

「我々は、二階堂中尉の部下であります。

中尉は本日どうしても外せない会議がありまして、自分が代わりにお迎えに上がりました。

どんな手を使ってでも連れて帰るまで戻って来るなと、指示を頂いていますのでご安心ください。」


二階堂中尉?

どこかでお名前を聞いた事があるような

…無いような……。


なぜそんな見ず知らずの私を助け出してくれるのだろう?


「何を言っているのかさっぱり分からないんですが…もう彼女は花街の藤屋に行く事が決まっているんですよ。軍人さん。」

仲買人がそう言って鼻で笑う。


「では、その藤屋へ交渉に着いて行きます。

通行は可能か?」

門番に真壁は尋ねる。


真壁誠は今年25歳になったばかりだ。


第一部隊の近衛兵と言う軍の花形に所属し、

中隊長として二階堂が1番に信頼を寄せている部下である。


躯体は細身だが筋肉質で身長182センチ。

185センチほどある二階堂には劣るが、

なかなかの男前で、くっきり二重の垂れ目気味の目が優しさを醸し出している。


「申し訳ないが、通行証が無いと通す訳にはいきません。」


「それはどのように手に入れるのですか?」


「まぁ、その格好ではまず通せませんね。

武器や装備は持ち込み禁止ですし、

警察や軍人はプライベートじゃ無いとまず通せません。」

門番はそう理不尽な事を言う。


「分かりました。

では、藤屋の女将をこっち側に連れてきて頂きたい。」

真壁は香世に手を差し伸べる。


香世は突然の出来事に呆気にとられながら、

真壁の骨ばった男らしい手を見つめる。


「御足労をおかけしますが、

しばしこちらでご一緒にお待ち頂きたく思います。」


真壁は再度香世に手を差し伸べる。

香世は戸惑ながら真壁の手のひらに自分の手をそっと重ねる。


真壁は香世の手をぎゅっと握り人力車から下ろす。


「軍人さん、勝手な事されたら困るよ。

この子は既に商品みたいなものなんだから。」


「法律で人身売買は禁止されているはずです。」


真壁はもう1人の軍人に香世を託すと、

仲買人に向かって睨みを利かす。


「人身売買では無く奉公ですよ。

あくまで俺達は働き場所を彼女に紹介してるだけなんだから。」

急に縮こまったように仲買人は慌て出す。


「軍は警察とは違いますが不正を正す為、

必要ならば逮捕権を発動する事ができますので、あまりお喋りにならない方が身の為です。」


脅すように真壁は仲買人を睨みつける。


仲買人は面倒な事になったと頭を掻きながら、大人しく藤屋へと女将を連れて来ると言い残し、門をくぐって行った。


「あの…。」


事の状況がよく掴めない香世だが、

何故か見知らぬ軍人さんが花街から私を救い出してくれると言う。


香世は思い切って話し出す。


「あの、私…二階堂中尉様にお会いした事が無いと、思うのですが…

許嫁とは人違いなのでは無いでしょうか?」


軍人の真壁を恐れず、

真っ直ぐ澄んだ目で見上げる香世の凛とした佇まいに、真壁は好感を持つ。


さすがは中尉の許嫁だと納得もした。


真壁は香世に敬意を持って話し出す。


「中尉も貴女がそのように言うだろうと言われてました。

貴女はきっと誰も頼らず、

自分の立たされた境遇さえも素直に受け入れてしまうのではと、危惧されていました。

でも、貴女に花街なんて似合わないと自分も思います。」


「ですが…これは私の父の指示なのです。

私は父に逆らう事など出来ません。

これが私の運命ならば受け入れるしか無いのです。」

香世は静かにそう伝える。


「助けは要らないと申されるのですか?」

真壁は信じられないと言う顔で香世を見下ろす。


「残された家族の為、私自身で決めた事ですから。」


香世の決心は硬い。

私が売られなければ実家にはお金が一切入らなくなる。


それでは困るのだ。


頑(かたくな)な香世の態度にいささか真壁は困る。


そして、その潔く真っ直ぐな眼差しを眩しくも思う。


「自分はここに来る前に樋口家にも伺いました。お姉様は出来るのならば妹を助けて下さいと言われました。

失礼ながら、花街がどのような場所がご存じですか?」

もしかしたらと思い真壁はそう問いただす。


「…分かって、おります。」

香世はここへ来て初めて俯き小さな声で言う。


「自分の任務は貴女を救い出し、

二階堂中尉の自宅までお届けする事です。

貴女の意志に背く事になるのかもしれませんが…。

力尽くでも連れて帰りますのでご承知おき下さい。」


真壁は香世に向かって敬礼する。


香世は真壁の上司に対しての忠誠心を垣間見る。


「それに、二階堂中尉は決して貴女のお家の事も見捨てないと思います。中尉に助けを求めるべきです。」

香世は首を傾げる。


会った事もない私にそんな義理など無いのにと香世は不思議に思ってしまう。


そうこうしているうちに、

仲買人は藤屋の女将を連れて戻って来る。

 

場所を近くの個室のある料亭に移す。


藤屋の女将は部屋に入るなり、


「こっちだってはいそうですかと取りやめる事は出来ないんだよ。香世には大金払ってるんだ。今日から精一杯稼いで貰わないと。」

そう冷たく言い放つ。


「二階堂中尉は、何が何でも連れて帰れと指令を下された。自分はそれに従うのみです。

我々は軍人です。貴方達を人身売買の件で訴える事も出来る事をお忘れ無く。」


真壁も怯む事なく冷静に対応する。


「こっちを訴えれば、この子を売った親だってお咎めになるだろうねぇ。

そしたらこの子は世間の晒し者だ。

女としてそんな惨めな人生は無いだろう。

あんたらの脅しには乗らないよ。」

さすが花街の女将は度胸に知恵も持っている。


真壁はこの手は使えそうに無いなと思う。


「では、取引といきますか。

仲買人には幾ら払ったのですか?

こちらはその倍出しましょう。」

真壁はそう言い放つ。


「ふん。そんな口約束、私ゃ信じないよ。

それに現金交渉は本人が来るってのが筋じゃ無いかい?軍人さん達。」

そう言って、藤屋の女将は立ち上がり香世の腕を掴んで立ち上がらせる。


「行くよ、香世。

お前は今日から働いてもらう。

昔だったら、花魁道中でもして練り歩きたいくらいのべっぴんさんだね。

しかも、この場で怯む事なく平然としてる態度は気に入った。

大物に成れる器だよ。着いて来な。」


ぶっきらぼうにそう香世に向かって言うと、

部屋をサッサと出て行ってしまう。


香世は振り返り、正座をして真壁に頭を深く下げる。


「真壁様、縁もゆかりも無い私にここまでして頂き誠にありがとうございました。

私は幸せ者でございます。


しかし、もう充分でございます。

二階堂様にもそうお伝え下さいませ。」

香世は気丈にも真壁に微笑みを向ける。


その眩しい微笑みを真壁達は見惚れて言葉が出ない。


そのうちに香世は立ち上がり、

綺麗な所作で襖を閉めて去って行ってしまった。


「た、隊長!惚けてる場合ではありませんよ。行ってしまわれたではありませんか。

香世様をお連れして帰るのが我々の任務。

このままでは中尉になんて叱られるか…。」


「…分かってる。

今から手立てを考えて花街に入り香世様を奪還しなければ…。

しかし、彼女の意思がこちらに向かぬ限りこの成功は難しいぞ。

一旦立て直して戻って来るぞ。」


真壁は立ち上がり、

馬に跨り急ぎ二階堂のいる本部へ戻る。



「で、言われっぱなしでオメオメと尻尾を丸めて帰って来たのか?」


二階堂中尉の低く冷たい声が響く。


ここは、帝国軍司令本部の一室。


会議を終えた二階堂に先程の一部始終を話した真壁は、自分の失態を指摘されて酷く落ち込んだ風にみえる。


「いえ、逃げ帰って来たのではございません。香世様のお美しい笑顔に魅了されてしまい、毒牙が抜けたとでも言うか…

再度戻って必ずや連れて帰って参ります。」


まだ次の手はある。


なのに、香世の笑顔を見た途端、

腑抜けになったとでも言うのか

…不思議と争い事を彼女の前でしてはいけないと、思ってしまったのだ。


それほどまでに澄んだ瞳は、

どこまでも穢れを知らない綺麗さを醸し出していた。


「香世殿に魅了され毒牙を抜かれて

……連れて帰る事を忘れと言うのか?」

二階堂に鋭い目で睨まれる。


「も、申し訳けございません。

確たる上は、金銭交渉が手っ取り早いと思われます。ただ、軍人の格好では花街には入れないのです。

私服に着替え、直ぐにでも救い出して参ります。」


「分かった。もう直ぐ夕刻になる。

花街が始まる前にどんな事をしても香世殿を連れ戻す。俺も一緒に行く。」


二階堂は素早く軍服を脱ぎ、私服であるスリピースに着替え出す。


「正門前、今から10分後に集合だ。」


「はっ!!」


真壁とその部下である酒井は慌てて執務室を出る。


「ま、真壁隊長、

自分は花街に行った事など無いのですが…、どう言った格好をしたら良いのでしょうか?」

軍学校を2年前に卒業したばかりの酒井は、

今年、23歳になったばかりだ。


真面目で頭の回転も早く部下としては扱い易いのだが、幾分真面目過ぎて頭が固い。


「軍服じゃなければ何でもいい。

普通の格好だ、何か持ってないのか?」


「自分は、通勤も軍服の為私服は無く…。

10分では間に合いません。」


「間に合わせるのだ。誰かに背広でも借りて来い。」


酒井はバタバタと慌ただしく去って行く。


真壁はいつ何時必要になってもいいように、

私物の棚には背広を一式用意してある。

それに着替える為、早足で急ぐ。


2人なんとか着替えて正門に向かう。


時間きっかりに自家用車で二階堂が現れ、

「乗れ。」

と手早く言って2人を乗せ花街に急ぐ。


「じ、自分、自動車に乗ったのは初めてです。」

後ろの席で、若干子供のようにはしゃぐ酒井を、真壁は冷めた目で見つめ、


「良かったな。」

と、心無く言う。


「自動車如きで騒ぐな。」

どこまでも冷静で笑わない男、

二階堂は冷めた声で車内を凍らせる。


二階堂は苛立っていた。


会議が終われば朗報が聞けるのかと心無しか浮き足だっていた。


この3年間、密かに香世を探していたのだ。


分かっていたのは香世と言う名である事。


意志の強そうな大きな目と白い肌。


どこかの令嬢だと言う事。


任務の合間に少しずつ手がかりを伝手に探した。

そして、ついに先週やっと辿り着いたのだ。


樋口香世18歳、姉が1人、父が事業に失敗し没落の一途を辿った元貴族。

母は三年前に他界。


彼女が花街に売られると知ったのは今日の午後だった……

急ぎ部下に命じて彼女を連れ戻すように言ったのにこの失態だ。


運転しながら二階堂は、

はぁーっと深いため息を一つ吐く。


何が何でも彼女を花街から救い出さなければならない。


彼女が不特定多数の男達の慰み者になるなんて事は、あってはならないのだ。


そう二階堂は思うと下唇を噛み、

言い知れぬ苛立ちと、焦る気持ちを無理矢理押さえ込む。


二階堂 正臣(にかいどう まさおみ)

28歳。背は高く、すらっと伸びた手脚と鍛え上げた屈強な躯体。

剣は師範を持つほどの腕前だ。


見目も良く、

切長の二重にスーッと通った鼻筋、

ぎゅっと結ばれた薄い唇。


彼が通り過ぎると世の中の女子(おなご)

の大半は振り返る。


冷静沈着を絵に描いたようなこの男は、

若くして陸軍第一部隊の近衛兵部隊を率いる。

階級は中尉であり、

20代でこの階級に上り詰めた男は未だかつていなかった。


貴族出身の二階堂家は祖父の代から軍部の一部を担っている。

父は現在大佐を務める軍人一家だ。


その男が今、何を捨てでも切望するのが、

樋口香世なのだ。


真壁は思っていた。

二階堂中尉ほどの男が何故没落令嬢なんかに興味が…?

本人がその気になれば女なんて引くて数多のはずなのに。


しかし、彼女に会ったら分かってしまった。


可愛らしくまだあどけなさを残した顔立ちなのに対し、似合わないほど凛として気高く、

品のある立ち振る舞いに落ち着いた佇まい。


内心驚く。


自分が今にも売られようとしているのに、

落ち着き払っていて顔色一つ変えない。


そして、初めて会った俺にまで敬意や気遣いを見せるその態度に、つい見惚れてしまった。


そのチグハグな雰囲気が逆に目を惹き魅了される。


が、しかし二階堂中尉の許嫁だ。

要らぬ想いを持たぬ様に心を無にする。


車で門を潜り抜け、止められる事なく花街に着いた。


3人は街人の案内で藤屋に入る。


「これはこれは、色男が揃って花街に来られるとは、世間でもより取り見取りでございましょうに。」


背が高く、見目の良い3人が揃って並ぶとそれだけで迫力がある。


「客ではありません。

樋口香世殿を連れ戻しに来ました。

そう女将に伝えて頂きたい。」


真壁が先に立ちそう伝える。


「ああ…貴方達かい。

女将が厄介な客が来るかもと言っていたが…。どうぞ2階へ。」


番頭は遊女を呼び、部屋に案内する様に伝える。


真壁を先頭に、二階堂はその後を一言も発せず、ただ目線だけは鋭く前を見据えている。


最終尾には酒井が、少し恐れ慄きながら着いて行く。

「お兄さん達、カッコいいねぇ。

良かったらあたいと遊んでいかないかい。」


案内の遊女が猫撫で声で、

事もあろうに二階堂へ擦り寄る。


これには、真壁も酒井も慌てて止めに入ろうとするが、一寸早く


「俺に触るな。」


二階堂から氷の様に冷たい声が発せられ、

遊女がビクッとして身を退く。


「いけずだねぇ。花街に何しに来たんだい。香世ちゃんは私の下に入るんだから、

勝手されたら許さないよ。」

遊女はそう言って二階堂を睨む。


「香世殿は俺の許嫁だ。

この様な場所が似合う女では無い。

連れて帰る。」

言葉少なにしかし、はっきりと二階堂は言う。


「今更遅いよ。花街の門を潜ったら、武家の出だろうが、令嬢だろうがみんな同じだ。」

遊女は立ち止まり、一つの部屋の襖を開ける。


「ここで待っていておくんなまし。」


とうされた部屋は8畳ほどの和室が2間続き間になっていて、一つの間には赤い絨毯が引かれている。


これは華見せのような部屋で、

舞踊や琴などを披露するのだろうと思う。


遊女は座布団を3枚敷き座るように促す。


「お飲み物はどう致しますか?」


「何も要らなぬ。早く香世殿を連れて参れ。」

二階堂は香世の安否が気になり、

早く会いたいと思う。


「香世ちゃんは今、お支度の途中だよ。

そんなに大事なら何故手放したんだい?」


「直ぐに連れ帰るのに支度なんて必要無い。」

二階堂は苛立ち、そう告げる。


「ここでは、女将が絶対なんだ。

女将の指示に従わない者は折檻行きだよ。」

遊女はそう笑って部屋を出て行く。


香世が遊女の衣装を身につけるのは、

いささか見ていられないなと、二階堂は渋い顔をする。


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