侯爵令嬢、エリマキトカゲに変身したら婚約者の王太子様との仲が良好になりました

佐倉涼@4シリーズ書籍化

エリマキトカゲになった侯爵令嬢

「きみと少し距離を置きたい」


 そう言われた時、エリザベスは理解ができなかった。


「え……どうしてですか?」

「忙しいんだ」


 目の前にいるエリザベスの婚約者、オスカー王太子は疲れた様にため息をついた。輝くブロンドの髪はくすんで見えたし、宝石の様に綺麗な青い瞳には翳りが見える。


「毎日二通は届くきみの手紙に返事を書いている暇はないし、毎週お茶会に誘われても行けない。断りの手紙ばかりを送るのは心苦しい」

「で、ですが……」

「きみも少し僕のことを忘れて自分のことをすべきだと思う。じゃあ」


 話はこれまでだ、とばかりに立ち上がったオスカーは、そのまま部屋を出て行ってしまった。

 残されたのは、一人城の応接室に取り残されたエリザベスだけだ。

 エリザベスは座ったまま、つい今しがた告げられた内容をぼんやりと考えた。脳が理解するのを拒否していた。


「……距離を置きたいって……どういうこと……?」


 エリザベス侯爵令嬢、十六歳。大好きな婚約者オスカーに、絶縁一歩手前の宣告をされてしまった。



 何がいけなかったのだろうか。

 私はオスカー様が大好きで、オスカー様について考えない時なんて一秒たりともなくて、何をしていてもオスカー様のことが気になるし、手紙の返事をいただけないと不安になる。

 幼少期から婚約者同士だったエリザベスとオスカーは仲睦まじく、これといった障害がないまま育ち、ゆっくり愛を育んでいた。

 それなのに、ここ二、三年はちょっと距離を感じる様になっていた。

 いつも欠かさずくれていた手紙の返事がだんだんと遅くなり、とうとう二回に一回しか返事がもらえなくなってしまった。お茶会へ招待すれば絶対に出席してくれていたのに、この半年、オスカー様が参加してくださったのはたったの一回だけだ。彼の心が離れているのだろうか、いやそんなはずはないと、どんどん手紙を書く回数が増え、しつこくお茶会に誘った。

 構ってほしかったのだ。

 エリザベスが見ていない時、オスカー様が何をしているのかがわからなくて不安で、手紙を書くことでその不安を誤魔化していたのだ。

 オスカー様は優しいから、私を愛してくれているから、必ず返事をくださる。これほどたくさん手紙を書いたのだから、同じくらい手紙をくださる。私とお茶をして、他愛もない話をしてくださる。絶対にそうだ、と自分に言い聞かせながら、羽根ペンを握る手を止められなかった。

 

 ーーきっと、やりすぎたのだわ。


 エリザベスがそう気がついた時にはもう遅くて。

 オスカー様は、エリザベスが見たことのない表情を浮かべ、最後通告を通達した。



「あ、あ、ああああ!」


 エリザベスは頭を抱えた。今しがた起こったことを、なかったことにしたかった。エリザベスは無意識のうちに立ち上がり、部屋の扉をバンッと開け放ち、ドレスの裾が翻るのも構わずに走り出した。城を行き交う人々が何事かと奇異の目で見ても構わなかった。はしたないと思われても、どうでもよかった。

 走って走って、すべてをなかったことにしてしまえたらいいのに。

 城の廊下を、ホールを、庭を駆け抜け。

 そうしてどれくらい走ったのだろう。

 気がつけばエリザベスはーーエリマキトカゲになっていた。


(いやなんで!? どうしてですの!?)


 城の庭に流れる小川で自分の姿を見つめたエリザベスはガーンとなった。

 このボコボコした茶色いまだらの皮膚。長い尻尾。四本に分かれた細い指。これは、先日王都にやってきたサーカスの一座が見せてくれたエリマキトカゲそのものだった。エリザベスはショックで口をパカーと開けた。首周りのエリが口と連動するようにバサーと逆立って顔の周囲を覆った。


「………! …………!!」


 エリザベスは焦った。どうしよう。一体なんで急にエリマキトカゲなんかになってしまったのかしら? どうすれば元に戻れるのかしら。お父様お母様が心配するでしょうし、お城に行ったまま戻らなければ不審に思われるわ。

 そろそろ日も暮れるし、こうしてはいられない。

 小さな四肢を動かして懸命にチョロチョロしていると、不意に人影が落ち、ついで声が降ってきた。


「おや、これは……エリマキトカゲ?」

(オッ、オスカー様!!!!!)


 立っていたのは、つい先刻エリザベスに距離を置こうと言った、エリザベスが愛してやまないオスカー様だった。


「こんなところで、一体何を? もしやサーカスから逃げ出したのか」


 オスカー様は動揺するエリザベスに構わず、しゃがみこむとその細く長い指をそっと差し出してきた。愛しい人にエリマキトカゲ姿を目撃されてしまったエリザベスは、そのあんまりな事態に思わず口をパクパクさせて、ついでにエリをバサバサさせながら後退した。したところで、背後がすぐ川だったので、足を滑らせつるんっ、ばしゃーんといった。


「危ないっ」


 溺れかけるエリザベスをオスカー様は自分の服の袖が濡れるのも構わずに救出してくれた。両手でエリザベスを抱え上げ、手のひらの上に掬い上げてくれる。

 エリザベスは感謝の気持ちが込み上げてきた。さすがオスカー様。エリマキトカゲにもお優しいのねと思った。オスカー様は袖から水を滴らせながら、手のひらを持ち上げ、じっとエリザベスを見つめる。こんな至近距離で見つめられるのはいつぶりかしら。何だか胸がドキドキしてきたわ。もしかしてオスカー様は、このエリマキトカゲの正体が私だと気づいている……?

 内心ドキドキしているエリザベスは、意味もなく口をパカッと開けてエリをバサッとさせた。


「……意外に可愛らしい生き物だな」

「!?」

「エリマキトカゲは貴重らしいし、サーカスのものだったら返す必要がある。ひとまず城に連れて帰ろう」

「!?!?」


 オスカーは内心で「ひいいいいぃいいい!」と悲鳴をあげているエリザベスに構わず、すたすたと城に向かって歩き出した。




「おかえりなさいませ、殿下。どこへ行っていらしたので? ……その手に持っているのは何ですか」

「ただいまセオドア。ちょっと気分転換に庭を散策していたら、エリマキトカゲを拾ったんだ」

「ほお、エリマキトカゲですか」


 オスカーの執事兼世話役兼側近兼護衛であるセオドアは、白髪の混じった口髭を撫でながらオスカーの手の中でブルブル震えているエリマキトカゲ姿のエリザベスを見つめた。


「震えていますな」

「川に落ちたから寒いのかもしれない。毛布と寝床を用意してやってくれないか」

「承知しました」


 オスカーの指示により、優秀なセオドアは迅速に用意を整えた。エリザベスの体を柔らかなタオルで拭いた後、ふかふかの毛布を敷き詰めたバスケットにそっと下ろす。オスカーはエリザベスをじっと見つめつつ、傍に佇むセオドアに問いかけた。


「エリマキトカゲのエサってなんだろう」

「昆虫ですかな」

「!」

 エリザベスはブンブンと首を横に振った。

「果物はどうだろう?」

「……! ……!!」

「首を縦に振っていますな。用意いたしましょう」


 セオドアが厨房から持ってきた細切れになったりんごをエリザベスはありがたく頂いた。


「殿下、本日はもうお休みになりますか?」

「いや、まだ仕事が残っている」


 オスカーはそう言うと、エリザベスが乗っている机を回り込み、椅子に腰掛けた。


(そういえば……ここは殿下の、執務室? 随分たくさん書類が積み上がっているわね)

「あまり根を詰めない方が良いかと……」

「今日中に処理しなければならない案件がまだあと十件はある」


 オスカーは懐中時計をポケットから取り出し、息をついた。エリザベスが時計を見たところ、時刻はすでに午後十時を示していた。セオドアが向かいに立って気遣わしげな視線を送っている。


「もうこの二年ほど、ずっとこの様な生活が続いていますな」

「仕方がない。早く仕事に慣れないと、父上だってそうそう待ってはくれない」

「ご無理はなさいませんように。後で夜食をお持ちいたします」

「助かる」


 一礼をして部屋を去るセオドアを見送ったオスカーは、書類を引き寄せペンを手に仕事に取り掛かった。

 カリカリと羽根ペンが紙の上を走る音だけが部屋に響く。もうオスカーは、この部屋にエリマキトカゲがいることすら忘れてしまった様だった。その目はひたすら書類の上を行ったり来たりし、ペンを走らせている。エリザベスはバスケットの中にちんまりおさまりながら、オスカーから目を離せないでいた。


(オスカー様……もしかして、毎日ずっとこんな生活を送っていらっしゃったのかしら)


 毎日毎日夜更けまで仕事をしていたのだろうか。

 オスカーの書類をめくる手は止まらず、結局手を止めたのは真夜中をとうにすぎた時間だった。やっとペンを置いたオスカーは、こわばった体をほぐすように伸びをして、それから視線をエリザベスへと移動させた。


「なんだ、起きていたのか」


 そうしてエリザベスに手を伸ばすと、人差し指で頭をそっと撫でる。眉間によっていた皺がなくなり、フッと優しい笑みが浮かんだ。エリザベスが大好きなオスカーの笑い方だった。


「なんだか返すのが惜しくなるな。名前をつけようか。そうだなぁ……エリー、なんてどうだろう。エリマキトカゲの頭文字と、僕の婚約者の……あだ名だ」


 ドキッとした。ドキッとした拍子にエリマキがまたもやバサッとなった。エリザベスの内心の動揺に気づいていないオスカーは、片手で頬杖をついて語り出す。


「僕の婚約者はとても可愛い人なんだ。彼女と一緒にいると楽しいし、癒される。けど、今のままの僕だととてもではないけど彼女には……釣り合わない。仕事ができない王子が次期国王だなんて、洒落にもならないだろう」


 そうしてオスカーは、青い瞳に憂いの色を浮かべ、苦悶の表情を作った。


「……彼女を傷つけていることはわかっている。だから早く仕事に慣れて、もっと時間を作らないと……」

(オスカー様……)


 エリザベスはじーんとした。まさかオスカー様が、こんなふうに思っていたなんて。それなのにエリザベスは、ちっともオスカーが構ってくれないと焦り、不安になり、やたらに手紙を送ったり会いたいと言ってばかりだった。自分のことしか考えていなかった。罪悪感に、今や小さくなって人間の小指の第一関節ほどしかない胸が痛んだ。


「さて、今日はもう寝るとしよう。明日もやることが山積みだ。エリーもお休み」


 オスカーはエリマキトカゲになったエリーに毛布を優しくかけると、そのまま自分は自室に行くべく部屋を去って行った。

 エリザベスは眠るどころではなかった。

 エリマキトカゲになったエリーは、走りたかった。走りたくて走りたくて仕方がない。この胸の内にたぎる凄まじいまでの罪悪感を消し去るには、走るしかないと思った。

 エリザベスはバスケットから飛び出し、机からササササと降り、ドアの下の隙間に体をねじ込んで廊下に出た。

 それから走った。ただひたすら走った。走って走って走ってーー

 ーーそうして気がついたら、元の体に戻っていた。


「はっ!? 私ったら、あれ!?」


 エリザベスは、自邸の真ん前に立ち尽くしていた。何が何だかわからない。


「も、元に……もどって、る?」


 両手を見下ろせば確かに人間のそれだし、身につけているものはオスカー様に昼間あった時と同じドレスだ。どこにも鱗はない。口をパカっと開けてみた。首周りのエリマキがバサッとする感覚は、なかった。

 屋敷から「お嬢様!」と使用人が呼ぶ声と、両親が「エリー!」と言って駆け出してくるのが見えた。


「一体どこへ行っていたんだ!? こんな時間までどうしていたんだ」

「申し訳ありません、お父様、お母様。私ちょっと、あの……殿下とお話ししておりました」

「まあ」「なんと」両親の驚く声がする。

「いくら婚約者同士でも、こんな時間まで会っていちゃあいけないよ」

「そうよ、世間の目というものがあるわ」

「はい、次からは気をつけます」


 エリザベスはどうにか言い訳できたことに安堵しつつ、部屋に下がって休んだ。




 次の日からエリザベスは、猛然と勉強に取り組むようになった。何の勉強かというと、当然、王太子妃になるための妃教育だ。

 この二年間、オスカーのことを考えるあまり、妃教育にほとんど身が入っていなかった。家庭教師の言葉が右から左に耳を突き抜けて貫通しダダ漏れていた。何をしていてもオスカーのことばかりを考え、あらぬ妄想に憑かれて不安になり、気がつけば羽根ペンを握ってオスカーへの手紙を書いていた。返事が欲しい一心で何通も何通も送りつけていた。それがどれほど迷惑な行為かなんて、一度も考えたことすらなかった。


「私は間違っていたわ。オスカー様の隣に立つのにふさわしい、立派な淑女にならないと……!」


 そうじゃないと示しがつかないではないか。

 あんなに頑張っているオスカー様に申し訳ないではないか。

 エリザベスは努力した。遅れていた分を取り戻すべく一心不乱に勉強した。家庭教師はそんなエリザベスを見て「以前のお嬢様に戻られた」と言って喜び、使用人たちは「お嬢様、いつにも増して輝いております」と言って褒め称え、家族は「きっとこの間オスカー様と何かあったに違いないわ」と言って狂喜乱舞した。父はソファの上で小躍りをしていた。

 それでもエリザベスは時々、どうにも不安に苛まれた。心が落ち着かなくなり、胸をかきむしりたくなるほどの焦燥感に駆られ、いてもたってもいられなくなった。そういう時は、夜中にこっそりベッドを抜け出し、走る。走って走って走っていると、エリザベスの体はまたもやエリマキトカゲに変身した。


「やあ、エリー、おかえり。待っていたよ」


 そうするとなぜだかエリザベスことエリマキトカゲのエリーは城の廊下にいて、そしてオスカーに出会うのだ。

 オスカーはどうもエリーのことを日中どこかに散歩に行って時々ふらっと帰ってくる野生動物とみなしているようだった。出会うと必ずふわりと微笑みかけてくれ、執務室に用意してくれている毛布入りバスケットに優しくエリーの体をおろし、仕事が終わると話をしてくれる。


「最近、エリーがね……あぁ、君じゃなくて婚約者の方のエリーがね、僕に手紙を書く頻度が減って、妃教育に力を入れているらしいんだ。とても良いことだと思う。だから僕も、これまで以上に頑張らないといけない。彼女との未来のためにも」

(オスカー様、私のことをそんなにも考えてくださっているなんて……なんてお優しいのかしら。好き!)


 最後の「好き!」の時についつい力が入りすぎて、エリマキがバサーっとなってしまった。そんなエリーを見てオスカーはくすっとわらってくれた。

 またある時は、夜中にオスカーが「しまった、この手紙、今日中にスコット侯爵に届けなければいけないんだった」と呟いていたのを聞き、エリーはシュパッと手を上げた。


「……君が? 届けてくれるの?」


 ブンブンと首を縦に振る。


「でも……」


 まかせてくださいませ! と胸をドンと叩いてみた。


「……じゃあ、よろしく頼もうかな」


 おそらく普段のオスカー様ならば、野生のエリマキトカゲに手紙配達を頼むなどという愚かしい真似を絶対にしないだろう。

 だが現在オスカー様は徹夜三日目だった。朦朧とした意識の中、判断力が低下していたに違いない。オスカーが差し出す手紙を受け取ったエリーは、定位置と化しているバスケットから飛び降り、ドアの隙間に体をねじ込んで潜り抜け、一目散にスコット侯爵の下へと急いだ。

 スコット侯爵家の場所は、エリーも、というよりエリザベスも知っている。オスカーと懇意にしている家柄で古くからの名家だ。エリーは闇夜の中を疾走してスコット侯爵家まで行き、手紙を門番に見せた。門番はエリマキトカゲが手紙を配達してきたという妙な事態に驚きつつ、手紙の封蝋が王家の紋章であることに気がついて慌てふためき、すぐさま主人の元に届けてくれた。それを見届けたエリーは踵を返して城へと戻った。


「おかえり。どうだった、受け取ってもらえたかい? そうか。よかった。どうもありがとう、助かったよ」


 オスカーは安堵の表情を浮かべてそう言ってくれた。

 オスカー様のお役に立てるなら、お安い御用ですわ! と思った。

 この時からエリーは、時々夜の緊急手紙配達役を勤めることになった。

 またある時は、手紙配達中に国王の政治体制に反対している派閥の密会現場を目撃した。それによるとどうやら、国王の暗殺を目論んでいるらしい。物騒だ。エリーは物陰に隠れ、じっとただの爬虫類のふりをしながら一言一句漏らさずに聞いて頭に叩き込み、一目散にオスカーの元へと戻ると、聞いた内容全てを紙に書いて伝えた。


「これは……本当のことなのか!?」


 ブンブンと頭を縦に降り、至極真面目な目でオスカーを見上げる。しばし逡巡したオスカーだったが、「わかった」と言ってくれた。

 結果としてこの暗殺事件は未遂に終わり、無事に黒幕は逮捕された。

「君は不思議だね、エリー。よく考えたら僕の言葉を理解するばかりか、文字が書けるなんて。さては……」

 エリザベスはギクリとした。


「……サーカスで人間の言葉を仕込まれた?」


 そしてホッとした。



 エリザベスの二足のわらじ生活は何ヶ月も続いた。日中は厳しい妃教育に耐え、夜はあっちこっちに手紙を配達したり暗殺やクーデターの密会現場を捉えてオスカーに報告した。正直、激務である。深窓のご令嬢がこなすべき作業量ではない。ただエリザベスはこの生活が苦痛であるとは思わなかった。

 すくなくとも、以前の、オスカーが何を考えているのかわからず、もしやもうエリザベスのことを好きではないのではないかと疑い、勝手に落ち込んだり拗ねたりしていた時よりもよほど精神衛生上良い生活を送れている。

 オスカーのことを徹頭徹尾信じられ、将来彼の妻として支えられるよう妃教育を受け、そして今のオスカーのために役に立てているというのがとてつもなく嬉しかった。

 そんな生活が半年ほど続いたある日のこと。

 エリザベスは、エリマキトカゲとしてではなく、侯爵令嬢としてオスカーと二人でお茶会をする久々の機会を得た。

 ティーテーブルを挟んで二人で向かい合って座る。


「こうして二人で会うのは久しぶりだね」

「えぇ、本当ですわ」


 本当に、本当に久しぶりに、エリザベスは人間としての目線の高さからオスカーを見つめていた(エリマキトカゲ目線だと100%見上げることになる)。

 エリマキトカゲ目線で見るオスカーとは異なる格別のものがある。こうしてみるとオスカーは以前に比べ血色が良くなり、頬がふっくらとしていた。顔つきが柔らかくなり、切羽詰まった感じがなくなっている。

 オスカーはティーカップをソーサーに戻すと、目を細めてエリザベスを見つめた。


「最近、風の噂で忙しくしていると聞いたけど」

「私はただ、妃になるための然るべき教育を受けているだけですから……殿下の方がお忙しいのではなくて? クーデターを未然に防いだと聞き及んでおりますわ」

「ああ、それは僕の小さな協力者のおかげだ」

「小さな協力者、ですか?」

「そう」


 オスカーは何かを思い出しているかのように小さくくすりと笑った。


「エリマキトカゲなんだけど、僕の言葉がわかっているようで、意思疎通がはっきりできるんだ。君にも会わせたいんだけど、いつ僕のところに来てくれるのかがわからなくってね」

「まあ、エリマキトカゲですか。サーカスで一度見ましたわね」

「うん。……そういえば、あの時からデートらしいデートもしていないね」


 そこでオスカーは眉尻を下げ、申し訳なさそうな表情でエリザベスを見つめた。


「……その……中々会う時間を作れなくって、ごめん。もう少し時間を取れれば良いんだけど、僕が不器用なばかりに……」


 エリザベスは静かに首を横に振った。


「いいんです、殿下。それより私の方こそ、お忙しい殿下に手紙を何通も送るような真似をしてしまい申し訳ありませんでした。私あれから深く反省をして……未来の王太子妃としてやるべきことがたくさんあるのに、それを放り出して、ただただ殿下のお心を試すような真似ばかりして申し訳ありませんでした」


 エリザベスの謝罪が予想外だったようで、オスカーは青い瞳を丸くして驚いていた。


「……君を不安な気持ちにさせてしまったのは、僕の方だ。それに正直、最後に会った時のあの言い方は酷かったと、自分でもずっと思っていたんだ」

「いいえ、殿下のおっしゃる通りでした。私には、少し距離を置いて冷静に自分を見つめ直すことが必要でした」


 オスカーはエリザベスを見て、少し首を傾げた。


「何だか君は、少し……雰囲気が変わったかい?」


 えっ。もしかして、あまりにも頻繁にエリマキトカゲに変身しているので、雰囲気が爬虫類っぽくなっているのかしら。ドキドキする内心に気づかれないように、微笑みを顔に貼り付けて、精一杯無邪気を装い問いかけてみた。


「ど、どのように変わりましたか?」

「大人びた気がする」


 テーブル越しに手が伸びてきた。オスカー様の、常日頃ペンを握っている手がエリザベスの頬を捉え、いつも書類に向いている青い瞳がまっすぐにエリザベスを射抜いた。その視線のあまりの優しさと、裏に含んだ少しばかりの色っぽさに、思わずエリザベスはたじろぎそうになった。


「……早く、結婚したいなぁ」

「え……」


 ポツリとつぶやかれた言葉がエリザベスの耳に届いたと同時にパッと手が離れた。まだ頬に添えられた指の感触が生々しく残っている。


「君とずっと一緒にいられるように、頑張るから」

「あ、は、はい。私ももっと努力いたします」

「それと、もう少し会う頻度を高められるようにも、頑張る」


 エリザベスはまだドキドキする胸を押さえつつ、こくりと頷く。


(……本当は、結構頻繁に会っているんですけれど……)


 それを彼に打ち明けるのは、きっとまだ先のことだろう。

 そしてそれを打ち明けることになったならば、一体どう言えば良いのかと頭を悩ますことになるだろうと、漠然と思った。

 ともあれ今は、オスカー様との穏やかな時間を取り戻せたことに感謝しつつ、幸せなティータイムを過ごしたいと、エリザベスは目の前にいる愛しい婚約者を眺めながらそう思った。

 

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