第23話 茜の部屋
「お邪魔します」
そんな挨拶と共に、俺はお隣さんの家へと足を踏み入れる。
俺の家がもともと古い酒屋だったのと同じく、茜の家もわりと築年数が経っていて外観は少し古民家のような面影もあるのだが、内装についてはリフォームされているので家の中は洋風スタイルだ。
どうやら今は茜しかいないようで、普段はうるさいくらいに賑やかな彼女の家は穏やかなほど静かだった。
俺は茜の後ろについていき、二階にある彼女の部屋へと向かう。
「お前な……ゴキブリぐらいで仕事中の俺を呼び出すなよ」
「だって仕方ないやん! アイツばっかりは苦手なんやからっ」
そう言ってビビりながら一歩ずつ階段を上がっていく茜。その姿は「虫が怖いの!」といかにも女の子チックな一面のようにも見えるが、コイツ昔はイモリ捕まえて振り回してたような女だからな。
などと茜の懐かしい黒歴史を思い出していると、部屋の前で立ち止まった彼女がこちらを振り返ってきた。
「ほんで、なんでアンタまでおるん?」
険しい表情で睨みつけてくるその視線の先にいるのは俺……ではなく、俺の後ろにいる白峰さんだ。
「虫が出るような部屋ってどんな部屋なのかちょっと気になったから」
「なっ」
喧嘩をふっかけているのかそれとも純粋に興味があるだけなのか、そんな言葉を口にして茜の機嫌をさらに損ねさせてくる白峰。……いやもう、ゴキブリじゃなくてまずはこの二人を退治したほうが良いのかもしれない。
そんなことを思いため息をついていたら、「アンタが思ってるよりもぜんっぜん綺麗やからな!」とふんっと鼻を鳴らした茜が部屋のドアを勢い良く開ける。
すると視界に現れたのは、六畳ほどの洋室だ。
白を基調とした勉強机やベッドのフレームに本棚、そしてそれらとフローリングのブラウン色を調和させるかのように合わせたライトベージュのカーテン。
一見するとシンプルな組み合わせにも見えなくもないが、ベッドの上に置かれたクッションや足元のラグの赤色が良い感じにアクセントになっていて茜らしさを表現している。
さすがインテリアショップで働いているだけあって、一目でセンスが良いことはわかるコーディネートだ。
「どうや見てみい!」と何故か白峰に向かってドヤ顔を向ける幼なじみ。
けれどもすぐに本来の目的を思い出したようで、今度はさっと逃げるように俺の背中へと隠れてきた。
「ほらおった、あそこあそこ!」
「いでででっ! わかったから背中をつねるな!」
勉強机の下にちらりと見えている黒い生物がよほど怖いようで、茜が俺の背中をシャツごと思いっきり掴んでくる。
あと気のせいだろうか。茜だけじゃなくて白峰までもが俺の背後にささっと隠れたような気がするのだが……。
普段は気が強くて態度もデカい二人なくせにいったいゴキブリの何が怖いのかと呆れながら、俺は家から持参したスリッパの片方をサロンの前ポケットから取り出しすと、それを刀のごとく静かに構える。
しかしその直後、「あほ! そんなん使ったらうちの部屋でゴキブリが潰れるやろ!」と茜に怒られてしまい、何故かそのスリッパで俺の頭を叩かれてしまった。
「いってーな茜! じゃあどうやって退治すればいいんだよ」
「知らんわそんなん! そこは男のアンタが考えるとこやろ」
「効率的に素手で捕まえてみればいいんじゃない?」
「無茶言うな! ってか白峰、お前ぜったい楽しんでるだろ!」
背後からぎゃーぎゃーと言葉を飛ばしてくる二人に対して、俺は思わず声を上げて言い返す。
そんなやり取りを十分ほど続けた後、結局茜が一階から急いでゴキジェットを持ってきたので、俺はそれを手にすると害虫駆除の業者のごとく素早い動きでゴキブリを退治して一仕事を終えた。
「ほら、これでもういいだろ」
天敵がいなくなった部屋で俺は呆れた声で言った。
たかがゴキブリ退治をしただけなのに、コイツらのせいでやたらと疲れたぞ。
「じゃあ俺はお店に戻るからな」とこれ以上余計なことを頼まれないようにそそくさと背を向けて部屋を出ようとすると、今度は白峰の声が聞こえてくる。
「これってお店にもある椅子よね?」
その言葉に足を止めて後ろを振り返ると、白峰が勉強机に合わせている椅子を何やら興味深そうに見つめていた。
その瞳に映っているのは、赤い座面と背もたれが特徴的なイームズのシェルチェアだ。
「ああ。でもそっちのは『リプロダクト品』だけどな」
「リプロダクト品?」
俺が口にした言葉に、白峰が不思議そうに聞き返してくる。
リプロダクト品とはデザイナーの版権が切れた家具のことで、本来であれば正規のメーカーでしか作れなかった家具が他のメーカーでも生産できるようになったものだ。
薬でいえばジェネリック薬のようなもので、通常であれば数万、数十万円するデザイナーズの家具もリプロダクト品だと格安で買えたりする。
ただし本物と比べると作りが雑だったり耐久性が弱かったりと安さゆえの難点もあるのが難しいところ。
「いいやろ別にリプロダクトでも。だいたい高校生のウチが本物なんて買えるわけないやん」
「ふっ、甘いな茜。俺の部屋には小遣いを貯めに貯めて買った本物のセブンチェアがあるぞ」
ここぞとばかりにドヤ顔でそんなことを言えば、「うっざ」と茜が心底ウザそうな顔でこちらを睨んできた。
「はいはい、どうせ翔太からすればウチの部屋なんてダサいとか言いたいんやろ」
「いや、茜の部屋は十分オシャレだと思うぞ。それにアクセントカラーの使い方も上手いしな」
今度は素直に思ったことを口にすれば、「そ、そう」と何やらそわそわとした様子で頬を赤く染める茜。なんだよコイツ、そんなところまでアクセントカラーは求めてないぞ。
相変わらず褒められることには免疫のないやつだな、と心の中で面白がっていると、照れ隠しのつもりなのか茜が今度は白峰に話しかける。
「そういやアンタの部屋はどんな感じなん? 翔太の店で働くぐらいなんやからそれなりにこだわってるんやろ?」
白峰の家事情について何も知らない茜がそんなことを尋ねる。
そのタブーな質問に思わず「いや白峰は……」と俺が口を挟もうとした瞬間、先に白峰がムッとした表情で口を開く。
「ええ、そうよ。私はシンプルでモダンなコーディネートで統一しているわ」
「……」
負けず嫌いな心に火がついてしまったのか、そんな言葉を言い放った白峰に俺は思わず口を開けたまま黙り込んでしまう。
いやあれはシンプルというよりも、もはや『無』といったほうが近い気がするのだが……。
以前訪れた白峰の家を想像しながらそんなことを思っていると、「ふーん」と茜が何やら挑発的な声を漏らした。
「アンタの場合シンプルと言うより何も無さそうやけどな」
「……」
不意に茜が痛いところを突いてきて、今度は白峰の方が黙り込む。どうやらそこについては本人も多少の自覚があるようだ。
「ま、まあ白峰がどんなコーディネートでもべつにいいだろ。大事なのは本人にとってその家が居心地が良くて幸せかどうかなんだから」
俺は二人の間に入ると咄嗟にそんな言葉を口にした。
そういえば、昔よく母さんも似たようなことを言ってたっけな。
一瞬そんな懐かしいことを考えていたら、隣で黙っていた白峰がぼそりと口を開いた。
「幸せかどうか……」
誰に言うわけでもなく、静かにそんな言葉を漏らした白峰。
その声がやけに虚しく耳に残ったことが気になってチラリと彼女のことを見る。
けれどもその横顔は相変わらず無表情で、俺には何を考えているのかやっぱり理解することはできなかった。
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