第12話 出勤初日
萩原家の晩飯でひと騒動があった翌日の放課後。
快人からの遊びの誘いも断り、俺は絶望的な表情を浮かべながら帰路についていた。
「はぁ、なんであんなことになったんだろ……」
昨日の一件を思い出しながらそんなことを呟くと、俺は力なく空を見上げる。
視界に映る雲は青いプールを優雅に泳ぐかのように気持ちよさそうに漂っているが、こっちは今から戦場にでも行く気分だ。
俺は少しでも気持ちを落ち着かせようと思い、いつもとは違う道で遠回りしてから家へと辿り着く。そしてお店のガラス扉を開ければ、そこにはすでに先客がいた。
「なんで私よりも来るのが遅いのよ」
「ちょっと翔太、遅刻とかアンタやる気あんの?」
店に足を踏み入れるなり、レジ前で親父と話していた白峰と茜がキリッとした鋭い目つきで俺のことを睨んできた。
どうやら戦局はすでに激化しているらしく、二人の女子はピリピリモードだ。
俺は今日から始まってしまうカオスな日々を想像してため息を吐きつつ、「ちょっと職員室に用事があってな」と適当な嘘をつくと三人がいる方へと近づいていく。
「おう翔太。今日は白峰ちゃんの初出勤日だからお前がしっかりと見てやれよ」
「え、親父は?」
たださえ気が重い中でいきなり意味不明なことを言われてしまい俺は慌てて親父に聞き返した。
「父さんは今からメーカーの人と打ち合わせがあって出掛けないといけないんだ。だから白峰ちゃんのことは頼んだぞ」
「いやそんなこと急に言われても、俺どうすればいいのかまったくわからないんですけど?」
「そんなに気負わなくたって大丈夫だ。白峰ちゃんは頭が良いから物覚えも早いだろうし、最初は家具や雑貨について色々と教えてあげればいいさ」
「……」
呑気な親父の言葉を聞き流しながらチラリと白峰の方を見てみると、早くも俺に教えてもらうことに対して不快に思っているのか、相手は何やら嫌そうに目を細めているではないか。
「だったら男の俺が教えるよりも茜が教える方が良いんじゃないか? それにほら、その方が二人の交流も深ま――」
「それはぜーーったい嫌やから! なんでウチがわざわざ面倒見なアカンねん」
俺が代案を言い切る前に、茜がプンスカと怒りながら横から割り込んできた。
何だよ茜のやつ、初対面の印象が良くなかったからってそこまで嫌がることないだろ。
白峰に対してやたらと過敏に反応してくる幼なじみの姿を見て、俺はついそんなことを思ってしまう。
「じゃあそろそろ父さんは行くからな。翔太、仕事を教えるついでに口説いたりはするなよ」
「誰がそんなことするか!」
この危機的状況を理解していないのか、相変わらずふざけたことばかり言ってくる親父に対して声を上げれば、相手は「わははっ」と呑気に笑いながらお店を出て行ってしまった。
残されたのは俺たち三人と、そして気まずい沈黙だけ。
「ほんならウチはレジの掃除でも始めとくわ」
我関与せずと言わんばかりに茜はそう言うと、レジの横に掛かっていたハタキを持って一人勝手に掃除を始めてしまった。
「それで、私は何をすればいいの?」
「ああ、そうだな……」
一人呆然としていた俺だったが、白峰の鋭い声音が聞こえてきてハッと我に戻る。
「とりあえず仕事着に着替えるか。って言ってもサロンを腰に巻くだけだけど」
俺はそう言うとレジカウンターの中に入り、レジ下にある棚から小さく畳まれている黒のサロンを取り出してそれを白峰へと渡す。
「服装はこの制服のままでいいの?」
「ああ、別に決まりはないけど俺はいつも上着とネクタイは脱いでる」
この店で働くにあたり、別にファーストフード店のような決まった制服はない。
親父は基本的にTシャツだし、茜も今のようにTシャツか普段着にサロンを付けるというようなラフな格好をしていることが多い。
かたや俺はというと、お店に立つときは白シャツスタイルを貫いている。
その恰好の方が何となく気持ちを仕事モードに切り替えられるということもあるのだが、きっと記憶の中に残っている母さんの姿がそんな服装で働いていたということも影響しているのだろう。
「鞄は二階のリビングに適当に置いといてくれたらいいから。あともし上着も脱ぐならコートハンガーも自由に使ってくれ」
「ええ、わかったわ」
白峰はこくりと小さく頷くと、サロンを片手に二階へと上がっていく。その際階段を上がる彼女のスカートの中がチラッと見えそうで男心を刺激されたが、もしチラ見したことがバレたら強烈なビンタをお見舞いされそうなのでここはぐっと堪えた。偉いぞ、俺。
「なあ翔太、あの子いつまで働くつもりなん?」
「え?」
下心を沈めていたら突然茜の声が聞こえてきて俺はついビクリと肩を震わす。
「だから、あの白峰とかいう女の子いつまで働くつもりなんかって聞いてんの」
「いやそんなこと俺に聞かれても……」
ハタキを俺の方へとビシッと向けてそんなことを尋ねてくる茜に対して俺はつい困った声を漏らす。
そもそも金持ちの白峰がバイトなんてする必要なんてまったくないだろうし、だいたい親父も親父で突然白峰のことを勧誘した意味がわからない。
……それとも何か他に理由があるのか?
首を捻ってそんなことを考えていると、茜の声が再び聞こえる。
「はぁ、翔太のおじさんもなんで突然あんなこと言い出したんやろ。人手だってウチと翔太の二人がおったら十分やのに」
「さあな。親父が考えてることは俺もよくわかんないし、もう決まったものは仕方ないだろ」
「仕方ないやろって、翔太はあいつと一緒に働くの嫌じゃないん?」
やはり白峰と働くことに対してかなりの不満があるようで、やたらと俺に噛みついてくる茜。
そんな彼女とあーだこーだと言い合っていると階段の上から再び足音が聞こえてきた。
「こんな感じでいいかしら?」
「「……」」
階段を降りてした白峰を見た瞬間、今まで言い争いをしていた俺と茜の言葉がピタリと止まったのは何も彼女に話しを聞かれたくなかったからではない。
先ほどまで制服姿だった白峰が白シャツに黒サロンという新鮮な格好をしていたからだ。
やっぱ白峰って何着ても似合うんだな……。
俺は目の前に立つクラスメイトの姿につい釘付けになりながらそんなことを思う。
普段制服を着ているだけでも目立つ白峰だが、こうやってシンプルな格好になることで急に大人っぽさが増して色気みたいなものを感じてしまうから不思議だ。
これはもしかしたら今まで看板娘だった茜のポジションが――なんてことを考えていた直後、突然右耳に謎の激痛が走る。
「いだだだだっ! おい茜、いきなり何するんだよっ⁉︎」
「アンタがエロい目でこいつのこと見てるからやろ」
「見てないって! 見てないから耳をつねるのだけはやめて!」
幼なじみの突然の暴力に俺は必死に声を上げて嘆願する。いやちょっと待って、なんで茜さんそんなに怒ってるの!?
そろそろ耳が引きちぎられるんじゃないかと恐怖を感じたところで茜はようやくその手を離してくれたが、何やら疑うようなジト目で俺のことを睨んでいた。
ついでにあらぬ疑いをかけられてしまったせいで、白峰までもが両腕で自分の身を守るように抱きながら何やら冷たい視線を向けてくるではないか。
「ったく、これやから他の女の子と一緒に働くのが嫌やねん」
何やらぶつくさと文句を言っている茜だが、聞き返すと今度こそ本当に耳をもぎ取られそうなので俺は黙り込む。
けれどもこのままでは新人スタッフの教育担当として示しがつかないので、ゴホンとわざとらしく咳払いをすると気を引き締め直す。
「よし、やるからには俺も全力で白峰のことを教育するからよろしくな」
「さっきの一件の後にそう言われると、何だか身の危険を感じるのだけど」
「ちょっと翔太」
「違うからっ! そういう意味じゃないから!」
どうやら今の教育担当には何を言っても信頼度が無いらしい。
だがしかし、こんなところで心が折れていてはインテリアの魅力は伝えることができないので、俺は負けじと言葉を続ける。
「まず白峰には、うちのお店で扱っている商品のブランドから知ってもらおうと思う」
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