③告白
それからわたしは気まずくてなにも言えず、自分の部屋に戻った。
電気を点けてベッドにうつ伏せで倒れ込みぼぉっとしていると、わたしは何をやっているのだろうという気持ちになってきた。
わたしはお兄ちゃんの支えになれていないのに、お兄ちゃんから求められた恋人であることに耐え切れず、結局は気まずい関係に戻ってしまった。
わたしはただお兄ちゃんの支えになりたいだけなのに、自分が辛いということで精一杯になり、吐露した後のことまで考えていなかった。
寝返りを打って天井を見上げ、なんとなく手を伸ばす。
届くはずがないのに、届かないことが切なくなった。
伸ばした腕を下ろして顔を覆い、深く息を吐いた。
吐ききると、自然と空気が体内に入ってくる。
わたしはお兄ちゃんに支えられてばかりで、支え合えていない。
「言うことを聞けなくてごめんなさい、お父さん」
思わず口から言葉が漏れ出して、続いて涙が溢れてきた。
情けなさと、悔しさと、みっともなさとに襲われて、両手でベッドのシーツを握り閉めて声を我慢し、ひたすらに泣きじゃくった。
生きるのって、苦いなぁ。
しばらく泣いた後、一度お風呂で身体を温めようと思い身体を起こした。
涙の流れた後が冷く、対照的に目の奥はまだ熱かった。
ベッドから起きると、机の上に置いていたスマホの通知ランプが点滅していることに気が付いた。画面を点けてみると、蕾華からのラインのメッセージと着信が通知欄に表示しきれないくらいに届いていた。
メッセージは『大丈夫?』や『返事できそうじゃなければしなくていいから既読だけでも付けて欲しい』という類の内容だった。
お兄ちゃんの話していた内容が内容だし、わたしが走って逃げだしたということもあり、とても心配をしてくれているようだ。
アプリを開いて通話のマークを押すと少ししてから呼び出し音がなり、ワンコールで蕾華が出てくれた。
『美蓮! 大丈夫?』
「うん。へーき、だよ」
『そっか。とりあえずよかったぁー』
蕾華は張り詰めた声から緩い声に変わり、安堵の溜息を吐いた。
『でも、あたしが安見先輩に美蓮のこと感付かれたせいだよね。ごめん』
「ううん。たぶん、遅かれ早かれこうなってたんだと思う」
ひとしきり泣いた後だからか。
それとも第三者と話しているからか。
自分事なのに少し距離を取った見方が出来て、これも逃避なのかと思うといよいよ自分が愚かしかった。
そして自嘲交じりに、
「わたし、ね。お兄ちゃんと別れたんだぁ」
『え?』
「つい、お兄ちゃんと付き合ってるのが辛いって言っちゃってさぁ。そしたらお兄ちゃん、わたしが辛いことに気付いてたって。それでやっぱり別れようってなったんだぁ」
こんなこと、蕾華に愚痴ってどうするというのだ。
そう考えはするけれど、口ではべらべらと事情を話してしまう。
『美蓮?』
蕾華に困惑の籠った声で呼ばれるが、それでもわたしの口は留まるところを知らなかった。
「わたしさ、お兄ちゃんと支え合わなきゃいけないのに、そのチャンス棒に振っちゃった」
自分で言って、初めて気が付いた。
広務との交際はお兄ちゃんと支え合う最後のチャンスだったのかもしれないと。
なんだか急に力が抜けて来て、腰をベッドに下ろし足をだらんと投げ出した。
『美蓮!』
今度は強めの語気で呼ばれたけれど、わたしの口は止まらない。
「わたしバカだよねぇ。わたしが我慢すればさ、ちゃんとお父さんの言いつけ守れたのに」
『美蓮のバカ!』
確かに自分でそう言ったけれど、そんな追い打ちをしなくたっていいじゃない。
そう不貞腐れかけたとき、
『美蓮がお父さんになんて言われたかは知らないけど、傷ついてでも守ってほしい言いつけなんかする訳ないよ! 美蓮のお兄さんだって美蓮が傷つくのは嫌な筈だよ! だって! 結構前だけど美蓮の家に遊びに行ったとき、美蓮のお兄さん言ったんだよ。美蓮と友達になってくれてありがとうって、すごく嬉しそうに! そんな人が、美蓮が傷ついてもいいなんて思う訳ないし、あたしだって美蓮が傷つくの、すっごく嫌!』
「……蕾華」
言われてハッとした。
確かにその通りだ。
お兄ちゃんはわたしが傷ついて良しとするような人間では断じてない。それは一番近くでお兄ちゃんを見てきたわたしが一番分かっている。
だから、わたしやお兄ちゃんが傷つくのなら、それは支え合う方法が間違っているのだ。
『あたしは、美蓮が辛いなら別れて正解だと思う』
「蕾華、ありがと。でもわたし、どうしよう? お兄ちゃんとは気まずい感じになっちゃったし、わたし、どうやってお兄ちゃんと支えあったらいいんだろ?」
『それは、分からない』
「え?」
『うっ。偉そうなこと言った手前恥ずかしいけど、今のあたしには分からない、です。ごめんなさい』
蕾華が意気消沈と言った具合で、肩を落としている姿が目に浮かんだ。
『でも』
「でも?」
『あたしも一緒に考える。だってあたしは美蓮の味方だから。どんなになっても、何があってもあたしは美蓮の味方でいるから。だから、あたしにできることがあったらなんでも言ってね。もちろん、お兄さんのこと以外でも』
「うん。ありがと。元気出た」
『ほんと?』
「うん。これからわたしがどうするべきか、お風呂で考えてみる。ありがと、蕾華」
『ううん!』
「おやすみ」
『うん。おやすみ』
蕾華の返事を聞いてから通話を切り、スマホの充電ケーブルを挿した。
何があっても味方で居る。
その言葉がとても心強くて、この優しさばかりは痛くはなかった。
いや、むしろ温かい。
何があっても無条件で傍に居てくれるんだと思うだけで、こんなにも頼もしいだなんて知らなかった。
お兄ちゃんと支え合う道を探すのも、蕾華が横に居てくれるだけで頑張ろうと思える。
「あ」
わたしはとたんに自分が恥ずかしくなった。
これはお兄ちゃんがわたしに言ってくれたことと同じだ。
――俺は、美蓮が居るから頑張ろうって思えたことの方が多いし、なにより、美蓮が傍に居てくれることが、俺の支えだよ。
なのにわたしは、一緒にいるだけで何もできていないのだから、支えになんてなっていないと思っていた。とはいえわたしがお兄ちゃんを完璧に支え切れていないのは事実だ。
けれど。
でも。
もし傍に居るだけでお兄ちゃんをほんの少しだけでも支えられていたとしたら。
それは。
「すごく、嬉しい」
これからもわたしはずっと、お兄ちゃんの傍に居ることはやめない。
傍に居ることで少しだけでも支えられているのだからそれを止めることはせず、お兄ちゃんをきちんと支えるためにわたしが出来ることを少しずつ増やして、いつか完璧に支えられるようにしていこう。
これからもたくさん傷ついてたくさん間違うだろうけれど、それでもわたしは、とびきりの笑顔を作ってお兄ちゃんの隣に立ち続けよう。何があっても、どうなってもわたしはお兄ちゃんの傍に居続ける。
その積み重ねがきっと、兄妹で支え合うことに繋がる筈だ。
早速わたしの気持ちをお兄ちゃんに伝えようと思い、部屋を出て階段を下りた。リビングに向かうと、お兄ちゃんはソファに座って頭を抱えていた。
「お兄ちゃん! わたし」
お兄ちゃんが顔を上げたそのとき、ピーンポーンとチャイムの音が部屋中に響き渡き、お兄ちゃんが立ち上がった。
「ちょっとごめん。後でいいか?」
「あ、うん」
お兄ちゃんはリビングから廊下に出て、玄関の方に向かった。
わたしはソファで一息吐く気にはなれず、すぐに戻ってくるだろうと思ってソファの脇に立ったまま待つことにした。
玄関の開く音がしてから数十秒後、再びドアが開く音に続いて廊下を進む足音が聞こえてきた。お兄ちゃんが戻ってきたのだと思い部屋の入り口に目をやると、そこには、悲しさの籠った冷たく、虚ろな瞳でこちらを睨みつける梓ちゃんが居た。
その視線がわたしに対しての敵意を剥き出しにしていて背筋がゾクリとし、蛇に睨まれた蛙のように身体が強張った。
「美蓮ちゃんが居るから広務は永遠に解放されないのよ!」
梓ちゃんはそう叫んで、服の中から黒いカバーの付いた果物包丁を取り出した。カバーを外すと刃先をわたしに向けて一歩こちらに踏み出してくる。
包丁は天井のLEDの光を受けて銀色にギラリと反射し、とてもよく切れそうだった。
――お兄ちゃんは永遠に解放されない。
包丁にも驚いたが、梓ちゃんの言葉の方が衝撃的で、わたしの足を床に張り付けるには十分すぎるくらい的を射ていた。
梓ちゃんの歩み寄る速度はだんだんと早くなっているのに、何故かわたしは時間がゆっくりと流れているように感じた。
このままわたしは梓ちゃんに刺されるのかなぁ。
痛いのかなぁ?
痛いのは、嫌だなぁ。
身体は強張っているのに内心は何故か冷静で、そんなことを思っている内に部屋の入り口にやってきたお兄ちゃんの姿が見えた。
「美蓮! 梓!」
お兄ちゃんの声が聞こえ、そうだったと思い出した。
わたしはお兄ちゃんと支え合って《生きなきゃいけない》のだ。
今すぐ完璧に支え合えなくても、いつか理想を叶えるために、わたしは生きなければならないのだ。
そう思うと身体を動かせるようになり、右に避けようとしたけれど、足が縺れて転んでしまった。
「だけど。広務には、美蓮ちゃんが必要で、私のことなんて必要としない。だけど」
梓ちゃんは包丁を逆手に持ち変えて高く構えた。
「こうすれば、私を忘れられないでしょう?」
そしてお兄ちゃんの方を振り返り、
「広務、愛してるわ」
梓ちゃんはその場で、包丁を振り下ろした。
その寸前の梓ちゃんの顔は、本当に何を考えているのか分からない顔だった。分かったのは、その包丁の向かった先はわたしでもお兄ちゃんでもなかったということだった。
お兄ちゃんの叫び声と、駆ける足音とが聞こえた数秒後、生暖かくてドロッとしたものを感じ、続いてツンとした刺激臭に襲われた。
梓ちゃんが何かを喚きながら走り去る足音が耳に響いてきて、身体を起こして状況を整理した。
わたしのすぐ横には、横腹から真っ赤な液体が流れ出ているお兄ちゃんが倒れていて、少し離れたところに同じ色に染まった包丁が落ちているのが見えた。
身体に力が入らなかった。
足も腰も、ただの重りのようだった。
指先ひとつ、動かせない。
前髪でさえ、重たく感じる。
なにかをしなきゃいけないのに、なにをしなければならないのかがわからない。
お兄ちゃんが苦しそうに喘いで何かを言っている。
それはわたしの耳に届いている筈なのに、わたし中にまで届いてくれなかった。
訳が分からない中ただ一つ理解できたのは。
お兄ちゃんが倒れているということ。
それだけだった。
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