N番煎じの煮こごり
蟹きょー
プロローグ 燻り
「やっ、やめろぉ……」
女の呻きが暗闇に響く。その厳かな目つきも頑強な肉体も、今や虚勢を滲ませ、局所や急所をそのまま晒すばかりの傀儡を成り果てていた。彼女の拘束された両腕から血と脂汗の混ざった液がはだけた胴と腿を伝って落ちる。
周囲には、出張っていながら滑らかな岩肌の年月を感じさせる洞窟が広がっていて、探れば届くかもしれないが、果てや終わりなどはありそうにない。
宙に揺らめく妖艶な紫の炎が二人を照らしている。
片方は先述した女、もう片方は人間の女体に釣り合わない角や尾を生やした生き物であった。
ふふふと、それは美顔を笑みに歪ませる。
「どうかしら、本場本家の本物の魔族の魔法は?訓練はしていても、適応はできないものなのかしら」
平手で眼前の女の頬を打つと、つっとその頭が上がった。
「ほざけっ。この意志と身体がある限り、私はお前の心の臓を貫き頭骨を砕くぞ」
「いやぁーん!そんなに見つめられちゃダメなのぉー!」
顔を手で覆い身をよじる。すると、みるみるうちにまさにその手が裂け、触手よろしくうごめいた。
「ここまで燃え上がらせてくれたんだもの。お出迎えは盛大に行くわよぉっ…!」
女に狙いを定めた魔族の腕は、その胸に絡まらんとしたところで動きを止める。そのまま背後に視線を回すと、先程まで闇しかなかった空間に人影を捉えた。その笑みが影をひそめる。
「お前、ちょっとやりすぎ。十二分にレッドカード」
その仏頂面の男は黒い外套をなびかせ、同じく黒い革靴を鳴らして二人に近づいていく。装いに似合わずその肌はなまじ若い。
「あなた、仲間ではないわね」
手をそのままに男を睨め上げる魔族に、男は口角のみを上げる。
「お前に仲間と言える存在は一人しかいないだろうが」
「何を。私は幾千の魔族を統べるも容易い魔族の長よ?世界を巡れば軍勢は万を軽く…」
「違う違う。モブ共じゃなく、お前たちキャラクターの話をしてるんだ」
彼は話を遮りながら肩を上げ、身体の前で手を軽く振った。
「……物語の聴きすぎ読みすぎで気を病んだという訳ではないようね。それに、あなたの話を理解できるようになってきたわ。あなたの目的も」
その言葉を聞くに連れて男の歩調が速くなる。向かうためではなく殺すための動きだ。
「それは困る。話が早いのはいいが、あまり爪痕を残してしまうのもはよくない」男は右足で踏み切り、飛びあがった。
「《アクション》にエロスは要ってもエロは要らねえだろうがよぉ!」
繰り出されるは単調なれど殺気のこもった横薙ぎの飛び蹴り。魔族はそれを身を捻ったり曲げたりするどころか、さながらパイプやホースから水が流れるように身を「流し」てかわす。男の脚は空を切ったが、勢いを殺すことはなく、むしろ輪をかけて速くもう片方の脚で周囲を払った。そうして倒れるような様は見せることはなく、綺麗に姿勢と衣装を整える。
男の背後では拘束されたまま女が戦いを見つめ、魔族は魔法で炎を手招く。
「あなたの目的は、私という《官能》的存在の排除と彼女のような消えかかった存在の援助、そうね?」
「良かった。どうやらまだ時間はあるようだ」
--それは男の虚を突いていようが、核心は突いていないのだから。
男の脳裏に、あの時見せられた調査書が過ぎる。その中で真っ先に活動を開始するだろうと判断されたのが、目前の《官能》的存在の片割れ--個体名は妖魔レイラ--であった。
明確な形を持たず、他者に害をもたらせど益はなく、そのくせ影響力は一端ある、そんなイレギュラーがこの《世界》の問題だと言われるのが、男には甚だ疑問だった。
だがこの醜態を目にして、男は理解した。これは美しくないと。
「三千世界に数多の要素が生まれては消えることで物語は生まれてきた。ジャンルに富んでいたんだ。だが、お前のような者がいるせいで…!」
「それは何の真似かしら?神様に支える天使?刑務官の命令に従う執行官?」
「どちらかというと前者かな。……喋りすぎた。お前には一度消えて貰う」
男が再び飛び上がり、今度は拳を大きく振りかぶる。対してレイラは胸を広げて舞うように腕を伸ばす。その軌跡に沿って紋様が宙に浮かび、男に垂直に火を吹いた。
「
男は肉が焦がされ貫かれる痛みに顔をしかめる。
「魔法って言ってるでしょう?それっぽい事言ってる割にやる事はちみっちゃいわね」
彼女は笑って指先を彼の捻れた四肢へ向ける。いきおい下手を打つ訳もなく、魔法は彼を宙に磔にした。
「何がしたかったのかしらぁ?まさか同じく辱めを受けたいってからにまろび出て来た訳じゃないわよねぇ?」
悠々と男に近づくレイラに彼は笑ってみせる。
「今、お前を殺したいという思いは一緒なんだがな」
「そうなのかしら。……貴方には通じていないのかしら、私の燃えるような思いが」
彼の四肢には未だ、魔法の縄が傷を通じて絡み付いている。それから逃れようと身体を動かすが、負傷の割になぜか動きは活発だ。
「感じるでしょう?髄から湧き立つ生命の本質、生々流転、生老病死から逃れようとする本能を。仮初への永遠への逃避を!」
既に痛みは無く、よじる度に、血が巡る度に彼の肉体は火照っていく。身体が反応すると、同様に思考も変わっていく。
これこそレイラの妖魔たる所以--圧倒的魔力を以て相手を瞬時に洗脳、加えてその影響身動ぎはおろか血行、代謝、反射、あらゆる応答に起因して増殖する、言うなれば無限の情欲なのである。
背後で唇を噛む女--
最早、彼女の勝ちと言っても過言では無かった。
「いいのよ?身を任せて。取り込んで、増えて
、託す。私たち生命は元来そうだったし、今もそうなのだから。ほら、今がおかしいって思えてこない?否定して、殺して、何も残さない。そんなの馬鹿馬鹿しいわ、生きてこそよ」
彼女の指先が空を払い、縄を解いた。そのまま倒れる彼の身体を抱き止めて耳元で囁いてやる。
「私のカラダ、好きにしていいわよ……?」
男の両腕がそろそろと伸び、彼女の肩を、首を、頬をなぞる。指先はなよやかでありながら耳元までがっしりと掴み、視線も揺れて虚ろだ。そのまま身体に意識を任せ、男は唇に--頭突きを叩き込んだ。
「ぼげぇっ!?」
男が手をはたと離したので彼女はあっさり尻もちをつく。血をこぼしこそすれ、それ以外何もないのはさすが妖魔といったところか。
「馬鹿なっ……、私の
足りなかったか、などと思っていたがすぐに改めた。そこに至る程に彼女の存在は侵されているということも理解した。
「お前にこの怒りを伝えることもできなければ、それでお前をぶん殴ることもできないのにすげえムカっ腹が立つけどよ。事実、お前はチュートリアルの如く律儀に消滅への道筋を歩んだ」
--伝えて、その存在を歪めることは彼の信念に反するから。
男は背後の傍観者--華絢に歩み寄る。
「1つ。お前は自らの《ジャンル》を逸脱しすぎた。下手に炎で俺を焼いたりしてな」
その手で弱りきった拘束を引きちぎると、彼女はふらふらと自立する。
「2つ。お前はその身に負いきれない数の別の《ジャンル》を相手取った。彼女の《アクション》に俺が真似事で加勢すれば、お前の《官能》も塗りつぶされる」
彼女の手の平から光を伴いながら刀が現出し、その柄を両手で握り締める。
その光芒を睨みつけ、口幅ったくなるレイラ。
「ふざけるな。お前の《アクション》はあくまで猿真似だ。私には判ってんのよ。例え2体1だとしても、こんな2000字程度で私が消えるはずが」
「それが駄目なんだよ」言いさす事も男は許さない。
「3つ。お前は《メタフィクション》に傾倒しすぎた。--想像することはできても決して成ることはできない神の目。一介の存在が、それこそ猿真似したところで成れる訳がないし、むしろ存在を危うくするだけなんだよ」振り向きながら、構えを取るレイラを見据える。
「じゃあお前は何だ!?まさか本気で自らをそんな存在とでも言うつもりか?」
「そう。俺やアイツは君たちのように舞う事もできず、その威光を浴びることや寄り添うことも許されない1番のイレギュラーさ」
「消えろ、燃えて!私にこれ以上--」
文字通り大手を振る男に激昂し、これまでにない程の炎を吹きつけるレイラ。しかし、それが何を害する前に、一条の閃光が走る。
気がつけば、背後には刀を振り抜いた華絢の背が。それを認知すると同時に彼女の身体は輪切りになって滑り落ちていく。
華絢は刀の血を払いつつ振り返る。そこは彼女が捕らわれ、自ら抜け出した岩場。今の彼女にとっては、ただそれだけなのだ。
「怒りを抱けど、それで剣を振るうことができない?それは、なんとも不思議な在り方だな……」
思わず手を口にやり、そこに上った戯言を押し込む。
上気した顔を擦りながら彼女は洞窟の出口を、次の邪悪の居る場所を目指すのだった。
--争いは何も生まない。何処かで聞いたことがある言葉だ。
--守るため、失わぬために戦うのだ。これも、何処かで聞いたことがある言葉だ。
きっと我々は進化しているようでいつも同じ事を思っているのだろう。それで良い。
我々に奇跡でも起きない限り、宇宙人が来ようが未来人が来ようが我々は変わることはない。
だからこそ、せめて当たり前を塗り潰す炭を薄めよう。どうにかありふれた希望をカビから守ろう。
それが無意味だと否定されようと、何を成しもしないと侮辱されようと、決してそれを怒りに任せて統制したりはしないようにしよう。
それがきっと豊かな未来を創り出すから。
俺の幸せはきっとそれを傍観することだから。
※代理人ページの日誌から抜粋
N番煎じの煮こごり 蟹きょー @seyuyuclub
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