第9話 パフィ・アウグステラ・フォン・アルカナ④
◇◇◇
どれだけ惜しもうとも時は流れる。
一日一日が過ぎ、彼との別れが近づくにつれ彼女は胸を痛めた。
さすがに彼女も認めなければいけなかった。
自分はイチローに恋しているのだと。
たったの
それも、図書部屋と訓練所の中だけの思い出だ。
そもそも訓練所での彼は、パフィが見物に行っていることなど気付いていないので、二人が誰にも憚られることなく会話をすることが出来たのは図書部屋だけであった。
けれど、それで十分だった。
あのときの二人の図書部屋は、二人だけの世界であり、二人だけの宇宙であった。
パフィとイチロー───そこに二人がいれば、それ以上に何も必要ではなかった。
二人はあの日々の中、互いの想像の世界で、たくさんの冒険をし、幾度となく危険に立ち向かい、何度も恋に落ちたのだ。
当時のパフィには、その思い出さえあれば、どんな苦境にも立ち向かえる気がした。そしてどんな困難でも成し遂げられる気がしたのだ。
そしてそれは間違いではなかった。
彼女の意志の強さがあれば、それ以降も聡明な姫としてアルカナの顔を務めることが出来ただろうし、瞬間移動の魔導機器を己の手で完成出来たはずであった。それに、いつかは世界を跳び越える技術を開発出来ていたはずであった。
しかし、あの瞬間だ───別れを惜しみ、彼を見送ることに怯えていた彼女が、勇気を振り絞って城の外の彼の元へと飛び出した、あの瞬間である。
パフィの運命は大きく大きくねじ曲げられた。
彼女は、勇者の胸に飛び込んだ。
そこから先は、悪夢だ。
いや、悪夢であればどれだけ良かったか。
全ては現実の出来事であった。
パフィはイチローを前にして、否応なく蘇る記憶にうめき声を漏らした。
○○○
「パフィ、頼むから聞いてくれ」
かつての俺にとって、自身の気持ちを伝えることは恐ろしいことであった。伝えた結果、二人の関係が壊れてしまうことが怖かった。だから俺は大事なことから背を向けてきた。
「大丈夫なんだ。俺は、パフィの本当の気持ちを知ってるから」
けれど、それは愚かなほどに怠慢であり、相手を信じていない臆病者のすることだと、これまでに俺は知った。
人生は有限で、チャンスだって何度もあるものじゃない。
数々の困難に立ち向かう過程で、俺はそれを学んだ。
「竜宮院との記憶は、悪い夢のようなものなんだ。だから、だから……どうか自分を責めないでくれ」
パフィが涙に濡れた顔をだだをこねる幼子のように何度も振った。
俺は絶対に彼女を離さないという意志を込めて、彼女を抱き締める力をもっともっと強くした。
今、俺に出来ることは彼女に気持ちを伝えることだった。
「失われたものは、確かにあって、取り戻すことの出来ないものだってある。けど、何があっても俺がパフィを助けるから───」
生きてる限り取り返しがつく……だなんて根拠のないことは、俺には到底言えやしない。だけど、生きてる限り失われたものを取り戻してやるという意志を持ち続けることはできるはずなんだ。
「これからパフィには、いくつもの厳しい事態が待ち受けてる。けれど、俺がいる。俺とパフィなら、絶対に乗り越えることが出来るはずだから」
俺の言葉に対し、パフィは泣きじゃくり、全身全霊をもって俺を抱き締め返してきた。
彼女が泣きつかれて静かになるまで、俺達はずっとそうしていた。
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