第6話 パフィ・アウグステラ・フォン・アルカナ①
◇◇◇
彼女───パフィ・アウグステラ・フォン・アルカナは聡明な少女であった。
それは何も知能を指しているだけにあらず、彼女のアルカナの姫としての美しくも奥ゆかしい振る舞いとその性格をも指した。
外見的な素晴らしさに、思いやりや謙虚さなどの美徳を備えた彼女は、国内外の貴族をして称賛以外の評判がなかったほどであった。
聡明な彼女は幼少期より、自身の立場をはっきりと理解していた。
誰もが彼女の一挙手一投足に視線を注いだ。
しかしそれが好意的なものだけでないことも彼女は知っていた。
彼女の仕草と立ち居振る舞いに、息を飲むほどの感動を覚えた者も少なくはなかったが、それとは別に、彼女の揚げ足を取ろうとミスを待つ視線も無視出来ないほどにはあった。
そういった視線は、彼女の王族としての立場と切り離せないものであった。
王族とは国の権威であり、象徴であり、たとえ子供でもその
パフィは納得し、受け入れてもいた。
けれど受け入れることと、平気であることは全くの別物である。
山田一郎と出会う少し前、彼女はほんの少しだけ疲れていた。
◇◇◇
パフィは、自身を籠の中の鳥と揶揄するほど卑屈ではないけれど、それでもどうしても拭うことのできない息苦しさを感じてしまっていた。
しかしその都度己を嗜める考えが思い起こされた。
これまで口にしてきた食事、与えられた素晴らしい教養、寒さや暑さを感じることのない住居、その身に纏った最高級の衣服や装飾などの、決して一般の民が手に入れることのできないそれらが、何に由来するものなのかを、そしてだからこそ、自らの感じる息苦しさは、この国や、歴史、そこに住む民達に失礼極まりないものだと、自然と思い起こされてしまったのだ。
真面目で真摯な彼女にはわからなかった。
思うだけなら自由なのに。
考えるだけなら自由なのに。
思考だけは自由であっても構わないと気づかない彼女は、自身の「王族はかくあるべし」という
また、問題はそれだけではなかった。
これまで通りに美しくも聡明であるパフィ・アウグステラ・フォン・アルカナを勤め上げ、機を見て、折を見て、もっとも収穫高が大きくなったときに、王家と貴族の結びつきを強靭にするためにどこかの貴族の元に降嫁するか、あるいは国同士の友好の証に他国の王子の元へ嫁ぐか───どうしようもなく変えることの出来ない現実が、彼女の前に、圧倒的リアリティを伴い大きく横たわっていた。
彼女自身は気付いていないかもしれない。
しかし、彼女の前には変えようのない現実があり、彼女の内には、己を縛る鎖があった。
こうした状況に、彼女の負の感情は、少しずつ、けれど確実に、長きに渡って溜まり続け、それはいつしか、これからも続く長い生に対する、絶望にも似たそれとなっていた。
◇◇◇
そんなパフィであったが、自分が自分でいられる時間があった。それは読書をしている時間であった。
探索者の冒険譚が好きだった。
自由な彼らが知恵と勇気を武器に、危険に立ち向かう姿にドキドキわくわくしながらページを繰った。
また異世界から転移してきた者によって描かれた推理小説なるジャンルも大好きだった。自身の知的好奇心を存分に満たしてくれる知的ゲームとも言える物語には強い充足感を覚えた。
その他にも彼女は、様々な伝記や、ノンフィクションなどと多種多様な物語を嗜んだ。
けれど、一番好きなジャンルは
俗だという輩もいるために、信用に値する者を内密でこっそりと遣いに出すことで、彼女はそれらを手に入れた。
遣いの者から新しい本を渡された日などは、早く物語の世界に浸りたくて、彼女は一日中そわそわしていた。それでも、そんなことをおくびにも出さずに、完璧に振る舞い続けた彼女は、父や母などの親族にすら見破られることはなかったけれど、頭の中はまだ見ぬ恋愛話のことでいっぱいであった。
数々の恋物語の中でも、彼女の一番のお気に入りの本があった。
何度も何度も読まれてページを繰られたそれは、決して明言されないものの、彼女のバイブルと言って差し支えのない本であった。
その内容は、彼女自身が赤面してしまうほどに陳腐な、『召喚されし勇者と姫の恋物語』であった。
◇◇◇
マディソン宰相と共に、召喚反対派であった彼女が召喚の事実を知ったのは全てが終わったあとであった。
父であるアルカナ王は、マディソン宰相の不在を画策した賛成派閥筆頭の弁の立つ者に、『召喚の魔導具を使用出来る期限が迫っている』『使わなければもったいない』と突き付けられた上で、『彼らの力は素晴らしいモノがあります。国を危険から救うためにも是非了承してください』『ここで貴方が頷かずに被害が拡大し、多くの者が命を落とした場合、取り返しがつきませんよ』などと唆され、召喚することを了承した。
彼女は、その事実を耳にしたとき、目眩と共に足元から崩れ落ちる感覚を覚えた。詭弁だ。どうしてこの世界の者の力を信じないのだ。どうして、全く関係のない者に危険を冒させるのか。
父の元に
しかし、それも全ては手遅れであった。
全ての事態は動き出し、もはや転がり始めていた。
召喚されし二人は、勇者と聖騎士という極レアな職業を得て、召喚に居合わせた多くの者は『これで我が国は安泰だ』と息巻いていた。
それに、彼らが帰るには二十年を待つか、《願いの宝珠》を手に入れるかしかなく、それを何としても手に入れたい彼らは新造最難関迷宮への探索を不本意ながら受け入れていた。
彼女に出来ることは、彼らを支えることだけであった。
◇◇◇
あまりにもはしたない感情だと己をたしなめたけれど、召喚されし勇者と、物語の勇者とを比較してしまった。
何度か目にした勇者は、だらしのない人物であった。
物語の中の勇者とは、正反対の人間である。
勇者は、召喚賛成派閥の中でも有力な家の者からの接触を喜んで受け入れていた。そこで彼は大層ちやほやされて格別の扱いを受け、持て囃されているという話を耳にした。
また城内での噂であるが、勇者の少年は、まるで身持ちを崩した探索者のように、まだ日差しの強い時間から大酒を飲み、与えられた女性との行為に耽っているという。
けれど、パフィはそれが真実だとも感じていた。
王城の廊下にて、何度となく、パフィは勇者と遭遇した。
彼が隣を通ったときに、彼の身体から発せられた臭いと共に、毎回自分へと向けられる性欲の籠もったじとりとした粘り気のある視線に、パフィは部屋に戻ると、強い恐怖心と嫌悪感から、自身の震える身体を掻き抱いたのだった。
しかし、その恐怖心も次第になくなった。
切っ掛けは、聖騎士の少年との出会いであった。
パフィの瞳に映る聖騎士の少年は、どれだけ、倒れても立ち上がる不撓不屈の魂の持ち主であり───彼の瞳はいつだってキラキラと輝いていた。
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