第21話 絶対に離さない

○○○



「私は、結局のところ、王都には戻れませんでした」


 布団から何とか上体を起こしたエリスが声を絞り出した。彼女へと向けられたオルフェの視線は厳しい。しかしそこには気遣いがあった。


「オルフェリア、大丈夫です。最後まで私に話をさせてください」


「……わかった」


「オーミ殿から師匠が危険な状態を脱したことを確認した私は、この街から発ちました。道中オルフェリアと合流したあとは、飛龍や馬車を乗り継いで王都を目指しました。これといったトラブルもなく、旅は順調に進みました。けれど、」


 彼女はそこで口元を抑えた。

 それでも堪え切れずに、抑えた手の指の隙間から胃液が溢れ落ちた。


「エリスッッ!!」


 彼女が、呼吸を荒らげた。

 けれど懸命に───

 

「すいません……みっともないところを、お見せました」


 苦しみに顔を歪めて、何とか話を続けた。


それ・・が起こったのは、旅を始めてから五日ほどが経過した頃でした。私は毎夜、夢を見るようになりました」


「夢……?」


「ええ、夢です。けれど、それは耐え難いほどの悪夢でした」


 やけにリアルな悪夢に苛まれる───俺にも経験があった。だから分かる。夢がリアルであればあるほど、内容が陰惨なものであればあるほど、その心労は計り知れないものとなる。


「悪夢の内容は、毎回少しずつ異なりました。ただし、その大本おおもとの内容は、どれも、同じでした」


 彼女が喉を震わせた。

 

「夢の中の私は、あの愚かな勇者に完全なる恭順の意を示し、彼の隣で、彼の言うがままにその力を振るっていました」


 エリスの表情が強張った。


「夢を見ている私には、何故かわかったのです。これは『これから起こる未来』なのだと……。

 国からの招集に参加した私は、かつて貴方を裏切ったときのように、再び勇者の所有物となる運命にあるのだと」


 俺は、たかが夢だ───とは思わなかった。


「夜になるのが怖かった。

 けれど、どうしたって、夜は、来てしまう。眠れぬ夜が続きました。けど眠らずを続けることは出来ません。悪夢に耐えながら、着実に王都に近付きました。

 けれど私はそこで気付いたのです」


「何を、だ?」


 もはや彼女の顔は紙のように白い。


「王都に近付けば、近付くほどに夢は現実味を帯びるということにです。悪夢はより鮮明に、より明瞭なものとなりました。

 これから先、私を待ち受ける未来───愚かな私自身の姿を突きつけられ続けることは、まさしく地獄でした」


 プルさんが戦場で散る夢を思い出した。

 やけにリアルなあの夢は、俺達を待ち受けている未来なのだとなぜか理解できてしまっていた。


「眠れば、あの夢をまた、みる」


 エリスは何かをこらえるように両手で顔を覆った。


「どうしたって、私には、国の命に背き、招集から、そして勇者から逃げ出すことはできません。私は招集を引き受けるでしょうし、その場で必ず、勇者と再会します。

 だから、私は……私に出来るたった一つのことは───」


「エリスっ!!」


 オルフェがエリスの言葉を遮った。


「大丈夫です。私には、迷いはありません」


 このバカ、とオルフェは呟いた。


「私は、国から招集されたその場で、自分が勇者にとっての都合の良い人形になってしまう前に、彼を討ち、私達の罪の全てを明らかにします」


 ただ、とエリスが続けた。


「成功するかは、もうわかりません。

 もしも、勇者を討つことに失敗し、私が彼の意のままに動くようになってしまったときは───オルフェリア、私の首を刎ねてください」


「あんたっては……!!」


 オルフェリアが歯をくいしばった。


「大丈夫です。私は、師匠の弟子でいることができたのですから……。これに勝る幸せはありません」


 思わず俺は声を出していた。


「エリス」


 既に───だ。

 話すべきことは、己の心の内にある。


「ならよ、二人はどうしてここまで戻ってきたんだ?」


 エリスは、一瞬言葉を失い、俺の問に答えあぐねた。自身でも自分のことを、よく分かってないのかもしれない。


「なあオルフェ、答えてくれよ。どうしてここまで、エリスを連れて戻ってきたんだ?」


 オルフェは、単純だ。俺の問に対し、何かに気付いたのか、物怖じしないどころか、挑むような表情を浮かべた。


「イチローなら、こんなどうしたら良いか全く分からない状況でも、何とかしてくれんじゃないかと思ってさ」


「買い被り過ぎだ……とは言わない。ありがとな、オルフェ」


 俺にとって大事なことがある。


「エリス」


 俺の呼び掛けに、エリスがびくりと反応した。


「お前は俺の弟子か?」


「そんなの、当たり前に決まってます」


「じゃあ、弟子ならよ、師匠の言うことに従わないといけないよなぁ?」


 俺はもううんざりだったのだ。


「師匠、何を言って───」


 死ぬとか生きるとか、世俗を断つだとか、償うとか、赦せないだとか、罪がどーだとか、罰がどーだとか、あーだとかこーだとか、こーだとかそーだとか、そんなもんはもううんざりなんだ。


「死んでもいいだとか、バカなこと言ってんじゃねーぞ!!」


 初めてここまで声を荒げた。


「剣を振るうことが何よりも好きで、俺の弟子たるお前が死ぬだなんて、そんなことが許されると思ってんのか!!」


 それに、それにだ。


「また俺に嘘をくのか? 師匠のいるところは弟子のいるところで、弟子のいるところは師匠のいるところなんだろ?

 死んでしまったら、俺の側にはいれねーだろ!!」


「それならッッ!!」


 俺の言葉にエリスが叫んだ。


「私は、どうすればいいんですかッッ!!

 何度も何度もみたあの夢は、きっと現実になるのです!!」


「エリス、お前は何もわかっちゃいない!!」


「わかっていますッ! 夢を現実にしないためには、勇者を討つか、命を絶つしか───」


「何言ってんだ! 俺がいるだろうよ!!

 俺が───お前の師匠であるこの俺が、何とかしてやる!!」


 そうだ。

 いつだって俺はそうやってきた。 


「だからよ、俺を頼れ!!」


 これを魂の叫びと言わず何と呼ぶか。









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