第5話 貴女が好きだった

○○○



 俺の言葉にミカが何かを堪えるように顔をくしゃりとし、ついには堰を切ったように声を上げて泣き咽んだ。


「ミカ……」


 俺に出来ることは彼女にハンカチを渡し、泣き止んでくれるのを待つことだけだった。


「あまり泣かないでくれよ」


 彼女へと渡したハンカチがあっという間に涙で重くなった。

 こんなとき、あの頃の俺であれば、どうしただろうか。

 俺は、彼女が落ち着くまで待つしかなかった。

 その間、考えても詮のないことがぐるぐるとぐるぐると頭を回り続けた。




 しばらくすると、ミカは、ひっくひっくとしゃくりあげながらも何とか涙を堪えてみせた。それでも時折、堪えきれない大粒の涙が頬を伝った。


「ゆっくりと落ち着いてくれたらいい。だからそれまで俺の話を聞いててくれよ」


 俺の言葉にミカがこくこくと頷いた。


「これはアンジェにも言ったんだけどな、俺達はもう、どうしたってあの頃には戻れない。

 それでも、俺達が互いを受け入れられるのなら、全てを清算して、ここから一つずつ、新しい関係を作っていけたらいいんじゃないかと思うんだ」


 今の俺の偽らざる気持ちだ。

 これからも俺はあの日々を思い出すだろうし、同じように彼女達も自分達のしたことを思い出すだろう。道は決して平坦ではない。

 それにアンジェリカと違ってミカからは───


「まあ、そういうわけだからよろしくな」


 俺が差し出した手を、ミカは両の手で包み込むように握りしめた。何かを確かめるように。温もりを求めるように。

 濡れそぼった瞳を俺に向けて、彼女は口を開いた。


イチロー・・・・


 彼女が俺の名を呼んだ。


「私は、貴方のことが───」


 刹那は永遠になり得る。


「俺のことが?」


「いえ───」


 ミカは目を伏せると、


「何でも、ないん、です」


 何かを振り払うように二度三度首を振った。


「それより、国や教会が《封印領域》の後始末を終えるのに一ヶ月ほどとされてます。アノンさんやプルミーさんから話を聞いたかもしれませんが、全ての後始末が終わり次第、国命により、かつての勇者パーティのメンバーが招集されるそうです」


 ロウと名乗る俺は、もはや出頭する必要はない。

 俺の正体を知る人物達も、俺が頼めば黙っていてくれるはずだ。

 そんなことより───


「ミカはその招集に応じるんだろ? それが終わったあとはどうするんだ?」


 聞かないわけにはいかなかった。彼女から感じる諦念は恐らくはそういうことなのだ。


「私は、最北端にある、世俗から離れた修道院に行こうかと思います」


 ある程度の予想はしていたものの、まさかの『最北端』という言葉の響きに俺は口を噤んだ。


「ヤマダ様は優しい方です。あれだけのことをした私達を許してくださるだなんて……。けれど罪を償うということは、許しを得たから終わり、というものではありません」


「けど俺が良いって言ってんだから───」


「私は、私が赦せないのです」 


 それほど大きな声ではなかったが、透き通るような彼女の声が俺の方便を遮った。


「ヤマダ様、貴方はどこまでも優しい。

 貴方の側は暖かく、貴方はまるで陽だまりのような人でした」


 ミカが淡く微笑んだ。


「貴方の言う通りに、このまま罪を許されて、日常に回帰したとすれば、いつかは私の心に重くのしかかる己の罪の意識は、気付かない内に風化し、消え去ってしまうでしょう」


 彼女の微笑みの裏に決意のようなものがあることに、俺は気付いていた。けれど俺に何ができるというのだ。浅慮にも感情のおもむくままに『行かないでくれ』と止めればいいのか。


「平穏を枕にし、ときおり貴方と会い、楽しくお喋りして、貴方の作った甘味かんみを肴にかつてのように、二人で何気ないことに肩を震わせて笑ったり、またときには、かつてのように一緒に探索したり、二人で背中を預け合って、危険に身を浸したり───」


 彼女の脳裏にはかつての俺達が想い起こされているに違いなかった。あのときの時間こそ、俺達二人にとって何物にも代えがたい宝物だった。


「ああ、そうできればどれだけ幸せでしょうか」


 しかし、結局のところ、俺とミカの話は平行線のままだった。

 謝罪を受け入れた俺と、自身を許せないミカ。

 俺では、彼女の決意を翻させることは叶わなかった。

 彼女は修道院へ向かい一生を送る。

 俺は隠れ山を拠点に暮らしを続ける。


 これから先、俺とミカの人生が交わることはもう、ない。

 そう考えただけで、強烈な胸の痛みが俺を襲った。

 この痛みも、俺が抱えるべき痛みなのか。




○○○




 ミカのいた宿舎を出て、あてどなく歩いていると、アシュと出会った。俺に気付いた彼女は、すぐさま俺へと駆け寄ると、ぺたぺたと俺を触り、俺の安否を確認した。


 そんな彼女であったが、曰く、既に《封印領域》征伐の祝いの準備は終えられているそうで、今回の祝いは街を上げての大イベントになるのだそうな。もちろん、それに発生する料金は、ギルドやボルダフ領主持ちらしい。


 そんな説明を聞きながら、アシュになされるがままに俺は引っ張られた。目的地は、街一番の大きな食事処であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る