第4話 貴方が好きでした
○○○
「私には……」
ミカは言葉を躊躇い、俺は彼女を待った。
上手く言葉が出ないのか、彼女が何度か、「あ……」や「私が……」などと言葉にならない声を繰り返した。
そんな彼女を見ていると、俺の胸に言葉にならないもどかしい感情が湧き上がった。
「俺は、ミカに礼がしたかった。本当にそれだけなんだ。
もし何か言いにくいことがあるんなら、互いに万全ではないだろうし、少し落ち着いてからでも時間を作るから、そのときにでも頼むよ」
俺の言葉は欺瞞に満ちていた。
少しだけしんどかった。だから早くここから去りたかった。
俺には分かっていたのだ。
これから俺達二人を待つのは───
「あっ」
背を向けた俺の服の裾を、ミカが遠慮がちに摘んだ。
再び彼女へと顔を向けると、
「あの、少しだけお時間を、いただけませんか?」
どこか伏し目がちの彼女が俺に尋ねた。
仕方なく頷くと、彼女に部屋の中に入るように促された。
テーブルにつくと、彼女がミルクティを二つ用意してくれた。俺と彼女の分だった。砂糖は、彼女は匙三杯で、俺は匙で二杯。俺に聞くことなく彼女はカップに投下した。俺達二人は甘い物が好きだった。
彼女が椅子に腰を落ち着けると、自然と俺達は互いに向かい合った。
先程と同様に、しばらくの間ミカが言葉を出しあぐねていたが、俺はそれを黙って見守った。やがて決心したように口を開いた。
「ヤマダ様、これまで数多くのご迷惑をお掛けしたことを、どうかこの場で謝罪させてください」
ミカが頭を深く下げた。
今、目の前で行われている彼女の謝罪が、何に対するものなのか、正直なところ俺には把握できなかった。
かつて俺が勇者パーティにいたときに、俺に対しておこなった仕打ちの数々を言っているのか、俺がパーティを抜けた後、竜宮院達と共に俺を逃亡聖騎士と誹りそれまでの功績の全てを勇者や彼女達のものとしたことを言っているのか、それともまた《封印迷宮》での態度を言っているのか……。
「『数多くのご迷惑』ってのが、何をどこまで指しているのか俺にはわからない」
険が混じらないように意識して言葉を発した。しかしそれが却って、冷たさを感じさせてしまうことになったのか、俺の言葉にミカがビクリと身体を震わせた。
「私は───」
ミカが一呼吸
「私はこれまでに───貴方と出会ってから今この瞬間までに犯した己の罪の全てを、およそ理解できております」
その声は、どうしようもなく震えていた。
彼女のその言い方は、竜宮院によって認識を歪められていたときのことを覚えているかのようだった。
「貴方との大事な約束を破ったこと、勇者と共に貴方を蔑ろにしたこと、それでも見捨てずに私達を支え続けてくれた貴方の気持ちを踏みにじったこと、それから───」
「わかったわかった! 俺が悪かった! そんなつもりはなかったんだ! 試すようなことを言って悪かったよ!」
「やめてください、謝らないでください。貴方は何も悪くありません。悪いのは全て私です」
彼女が消え入るような声を発した。
そして何かの決心がついたのか、
「どうかしばらく私の話にお付き合いくださいませんか? 謝罪の相手にお願いするというのも変な話ですが」
彼女は俺に乞うた。
「これも全ては私の自己満足に過ぎません」
どこか自嘲するかのように彼女は言った。
その様子に俺は、胸を締め付けられるようだった。
俺は「わかった」とだけ告げて頷いた。
「先日、《封印迷宮》で宝剣の化け物と再び対峙したときのことです。
魔力が枯渇し精根尽き果てた私は、滑稽なことに、朦朧とした意識の中で、聖騎士アシュリーを貴方と誤認してしまいました。
貴方もアシュリーも、見返りを求めない高潔さと、泥臭くも人のために涙し、自身の危険を顧みない勇猛さを持っています。
今思えば、貴方とアシュリーは似ているのでしょう。
ああ、きっとだから私は───
あの瞬間───アシュリーが凶刃に襲われる瞬間、気が付いたときには私の身体は動いていました」
だから、彼女は今際の際に俺の安否を気にし、謝罪を告げたのか。
「彼女の代わりに切り裂かれた私は、安寧の中にいました。
けれど、考えてみてください。
貴方への償いも謝罪も、何もかもを放り投げ、自己本位のままこの世を去る。これほど卑怯なことがあるでしょうか」
彼女のそれは問い掛けではなかった。
言葉の一つ一つが自身を責め苛んでいるようであった。
「貴方への罪を償うことが出来たと同時に、どうしようもなく愚かな私の生は終わり、これでもう、何も思い悩む必要はなくなる。あの瞬間私は、このようなことを考えてすらいました」
誰にだって心の傷はある。俺なんて数え切れないほどの傷を抱えている。今だに思い出すと苦しくなる。
同じように、俺の目の前にいるミカの心にも深い傷があった。
彼女のそれは、正気に戻ったことで、かつての自身の行いを正確に
「私は、浅ましくも醜い人間です」
彼女の傷は決して癒えることなく、ぐじゅぐじゅと化膿していた。
「私は……貴方に謝罪をしたからといって、過去が変わるわけではないことを知っています。けれど、私は貴方に───長い時間を共に過ごした貴方に、心から謝りたいと思っています」
過去に思いを馳せる。
こちらに召喚されたばかりの俺は右も左もわからず、常に心細さを抱えていた。実力も未熟だったあの頃、俺の隣にいてくれて、俺をずっと支えてくれたのはミカだけだった。
「これまで私は、貴方をたくさん傷つけてきました。
本当に申し訳ありませんでした」
彼女は椅子から立ち上がり、再び深く頭を下げた。
何も、こんな未来を得るために、俺は戦ってきたわけではなかった。
「許されるべくもありませんが、それでも───」
先程から見てきた彼女の佇まいや表情からわかった。
彼女はそもそも、謝罪が受け入れられるとは思っていない。
いや、それどころか───
「アンジェからも、謝られたんだ」
「えっ?」
謝罪に対する俺の言葉に、ミカが頭を上げ、戸惑った声を発した。
「俺は───」
そうだ。俺はこれまでに学んできたはずだった。
怒りや、恥ずかしさや、戸惑いや、困惑といった一時の感情に判断を任せてしまい、どうせ次も機会はあるのだと、今この瞬間を
「人間ってやつは、一筋縄ではいかない不可思議な存在だ。
心ってのは複雑で、言葉ってのは難しい。だから、全てを伝えられる自信はない。だけど、少しだけ聞いて欲しい」
彼女にもう一度で座るように促した。
「一貫した感情を持ち続ける人間なんてほとんどいなくて、そもそも俺達人間は、対立する感情を当たり前のように持つ生き物だと思うんだ」
今、ミカから感じるのは諦念に近い何かだった。
「俺は───お前達が嫌いだった。到底許せないと思っていた」
俺の言葉にミカは胸元で拳を握りしめ、涙を零した。
しかし、俺には伝えないといけないことがあった。
「けれど、そうじゃないんだ」
俺は二度ほど前述を拒むように首を振った。
「俺だって人間だ。相反する感情を持っている。その二つのせめぎ合いで、胸が苦しくもなるし、叫び出したくもなる。
けれど、俺は、それを抱えて生きていくことに決めたんだ」
生きていくことは辛く苦しい。
それが当然であることもわかっている。
今だってそうだ。ミカが涙を流し、俺だって───
「嫌いだという感情に嘘はない。けど、それでも、あのときの俺達の過ごした時間は本物だった。俺達の何気ない日常も、俺の隣にあったミカの笑顔も、命懸けの探索の日々も───そこに嘘は一つもなかったはずなんだ」
鮮烈な色を以て、あの日々が蘇る。
帰ることの出来ない日々に思いを馳せることは何よりも悲しくて、何よりも切ない。
世界はどうにも不可逆的で、過ぎてしまった過去には、もう戻れない。どれだけ願っても、夢想しても、こぼれ落ちた物は、もう戻りはしないのだ。
俺達は誰しもが、そういった傷を
それでも、それでも───
「だから、俺は、どうしても、どうしても、お前達を、嫌いにはなり切れないんだ」
頬を伝う涙が止まってくれない。
「だからさ、俺はミカの謝罪も受け入れるよ」
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