第22話 私は踏みにじった

◇◇◇




 赤髪の少女が勇者の胸へと飛び込んでから数日後。

 少年達は、抜け切らない疲れをとるという名目で、次の街に向かわずに、しばらくの間は休みを取ることに決めた。


 少年はあのときの光景と、赤髪の少女の濁った瞳を何度も思い出しては首を振った。宿で横になっているときも、一人でぼそぼそと食事をしているときも、何をしているときも、否が応でも、あのときの光景が、急に降って湧いたように脳裏をよぎり、彼はその都度、「違う」「何かの間違いだ」「俺とアンジェは───」と声を出して己に言い聞かせた。






◇◇◇




 私は言葉を失った。




◇◇◇





 翌日、ようやく決心した少年は赤髪の少女を探した。

 お昼時であったので、二人でよく利用した食堂を見回ると、少女が座っていた。


「おっす。元気してたか? 体調は戻ったか?」


 そのたったの一言に、特大の勇気が必要だった。


「あー、別に普通かしら」


 にべもない赤髪の少女の言葉に「たはは、そうだよな、何言ってんだ俺」と、少年は頭をかき、それでも意を決して、要件を伝えた。


「体調も戻ってきたし、今日にでも久しぶりに魔法の研究やろうぜ!!」


 ことさらに明るく言ってみせたが、内心では心臓が早鐘を打ち、己の声が上擦っているのを感じた。


「悪いけど、私、忙しいのよね。魔法の研究も今の私には必要ないし、これからは貴方一人で続けてくれない?」


 そのとき少年は、少女の瞳を見た。

 そこにあったのは、がらんどうで虚ろな色───少年に対する完全なる無関心だった。少年は、息を呑んだ。彼女の発言に態度、その全てが信じられなかった。冗談であってくれと願うように、『冗談きついぜ』と、何とか口にしようとした───そのとき、


「やあ、アンジェ。待ったかい?」


 背後から声が聞こえた。声の人物───竜宮院は、少年を挟んで会話を交わした。


「勇者様、全然待ってませんわ」


 頬を染め、健気に答えてみせた少女に、少年は目眩にも似た感覚に陥った。


「そう。ならいい。公演までまだ少し時間があるから、ここで食事でもしてから向かうとしよう。ん? 誰かと思えば山田じゃないか! 一体全体、こんなところで立ち尽くして何をやってるんだ?」


 白々しくわざとらしく、彼は少年と少女に二度三度交互に視線をやると、ぽんと手を叩いた。


「ああ、もしかして僕のアンジェに用でもあったのかな?」


 すると、赤髪の少女は間髪入れずに答えた。


「そんな、勇者様! ありえません! 変な勘違いしないでください! 彼に用なんてありませんわ!」


 完全なる否定の言葉であった。

 それを聞いて勇者が口角を釣り上げた。


「とまあ、アンジェはこう言ってるけど、山田は、まだ何か言いたいことでもあるのかな?」


 含み笑いを隠すように竜宮院は「ん?」「ん?」と少年に尋ねた。


「ならさ、ちょうどいい。これから僕達はここで楽しく食事でもしようかと考えてるんだけど、君も一緒にするかい? アンジェから君に話すことなんてこれっぽっちもないそうだけど、君がどうしても、どうしても、どうしても言いたいことがあるのならさ、そこで言えば良いよ。僕は黙って聞いていてあげる」


 いや、何でもないんだ。悪かった。

 少年はやっとの思いでそう答え、足早に店を後にした。




◇◇◇



 どうしてこんなことに───私は、



◇◇◇




 それ以降少年は、ほとんどの時間を一人で過ごした。




◇◇◇




 記憶より少し精悍になった彼が、私の名を呼んだ。


「アンジェリカッッ!! 大丈夫だから!! 集中力を切らせるな!!」

 

 安心させるように、掛けられた言葉だ。

 そうだ。彼には、いつだって思いやりがあった。




◇◇◇




《鏡の迷宮》を攻略したあと、彼はしばらく引きこもり生活を続けたが、今回は色々と悩んだ末に、すぐさま動き出した。

 彼は日課である訓練はもちろん、ギルドに顔を出して、肩慣らしに依頼を受けたり、その街のギルマスに次の迷宮に関しての相談を持ち掛けたりと、それなりに精力的な活動を再開した。


 ある日の昼下りのこと。

 食事に関して、彼は食堂などを利用する機会がめっきり減った。代わりにほとんどの場合、宿に頼み、部屋へと運んで貰っていたが、それだとすぐに飽きてしまうので、たまには気分を変えるためにもと、屋台に向かった。

 偶然には、偶然が重なる。


 視線の先には、聖女と勇者と、赤髪の少女がいた。


 何で───


 少年は勇者達三人を目にすると気付かれないように姿を隠した。

 それでも、どうしても、彼らから目が離せなかった。

 彼らがキラキラと輝いて見えた。

 聖女も赤髪の少女も、勇者の側でとろけるような笑みを浮かべていた。二人は至上の幸福に、身を浸していた。

 


 それを見た少年は、酷い無力感と寂寥感に苛まれた。

 彼は口元を抑え、急いでトイレへと駆け込んだ。

 青い顔のまま何もせずに宿に戻った彼は、そのままベッドに突っ伏し寝具を濡らした。


 ずっと一緒だって言ったじゃないか。

 俺達二人は、最高のコンビだって言ったじゃないか。


 俺は、お前となら───

 なのに何で、どうして───





◇◇◇





 プルさんはもちろん、私の魔力ももはや底をついた。

 イチローが青い顔で、それでも「俺に任せろ」と頷いてみせた。

 いつかのようだと思った。

 ああ、それは、もう戻ることの出来ない、いつかだ───





◇◇◇




 それは次の街に向かう道中でのこと。


 四人パーティにも関わらず、馬車を二台借りることとなった。

 少年の乗る馬車には他のメンバーは誰もおらず、追走する馬車には勇者達三人がいた。


 次の街までは遠く、一週間ほど要することになった。

 夜が近付くと、村や町で宿を借りるが、近辺にそれらがない場合は野営することとなった。


 少年は野営が嫌だった。

 視界の先では、三人が楽しげな歓談を繰り広げていた。

 野営をすると、見たくもない現実を突きつけられるから。


 少年の瞳に映る彼らは、まるで物語の中の英雄と、彼と添い遂げるヒロイン達であった。


 じゃあ俺は、俺は何なんだ?

 俺はお前達にとって───





◇◇◇




《ナルカミ》の維持はもはや、ギリギリであった。

 イチローの言う通り、《三つ首の液体龍リクイドドラゴン》はフォグを魔力へと変え、凄まじい速度で身体を回復させ続けた。しかし苦痛からは逃れられぬのか、それとものモンスターにも、底が見え始めたのか、


「「「グルルルルルルルルルオオオオオオオオオオオォォォォ!!!」」」


 耳をつんざく奇声を発した───それと共に、身体がボコボコと大きく泡立った。





◇◇◇





 あれは《力の迷宮》を踏破した直後であった。

 さらなる力を手にした少年は、それでも何度か危ないと思う場面があった。しかし、危険に陥っても、仲間は誰一人助けてはくれない。

 少年は「全く酷い目にあったぜ」とひとちてはニヒルに笑ってみせた。

 それはそうでもしないと潰れてしまいそうだったからだった。





◇◇◇





 あれだけ莫大にあった彼の魔力が、残り二割を切った。

 彼はそれでも微笑んでみせた。

 許されることなら、彼を抱き締めたかった。




◇◇◇




 ある日少年は食事に誘われた。

 勇者からの誘いに、一瞬悩んだ少年だったが、「僕達の親交を深めるためにも、ね。それこそがひいては迷宮踏破の礎となり、民の幸せとなるからさ」と言われ、仕方なしに了承したのだった。


 指定された店での待ち合わせとなった。少年が現れると、勇者が「こっちだよ」と手を上げた。少年は席につくと溜息をいた。


「遅かったね。もう始めてるよ」


 勇者が嘲笑った。



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