第15話 死ぬことが

◇◇◇



 私は、元々臆病な人間でした。

 こんな風に話すと、貴方は屈託なく嘘だと笑うでしょうか。

 

 私は幼少期から傷病の治療を施してまいりました。

 当時の私は、治療の夜には必ず夢を見ました。夢の中での私はいつも、治療を失敗するのです。


 苦痛に喘ぎ帰らぬ人となった患者に、彼に彼女に縋り付く家族。彼らを前に、掛ける言葉を持たない私は、「ごめんなさい」と何度となく口にし、無力にも立ちすくむのです。


 夢は、所詮夢だ、とは思います。

 けれど、これはいつ現実に起きても不思議ではない夢でした。


 ふといつ頃から夢を見なくなったのか思い返してみました。

 不思議とそれは、民のためにと、私が平静を装い始めた頃と一致していました。


 あまり感情の起伏を表に出すべきではないという、司教様の教えを金科玉条とし、私は己の感情を殺すことで、無自覚にも、臆病な己を護っていたのでした。


 私がそれを自覚したのは、貴方と出会ってからでした。

 貴方との日々は暖かく、これまでの人生で経験したことがないほどに毎日が輝いていました。




 貴方は覚えているでしょうか?


 聖職者として、食事の好き嫌いを述べることは、あまり良いことではありません。ですので私は甘い物が好きだと言ったことはありませんでした。けど貴方はどうしてか、私が甘い物好きだと察したようでした。他人に察されることは、未熟の証であり、恥ずべきことなのですが、貴方のそれは純粋な好意からなされたことでした。


 貴方は暇を見つけては、私を甘味屋へと誘い、また時には、手づから私のためにと、お菓子を作ってくださいました。


 貴方は、大したことではないと言うでしょう。

 けれど貴方の持つその優しさは、いつだって私の心を温かくしてくれました。



 また、迷宮探索から戻ってきた翌日は「感覚を忘れない内に」と日が暮れるまで二人で訓練に明け暮れましたね。


 いつもはこちらの世話を焼いてくださる貴方でしたが、訓練のときは食事すら忘れて没頭してしまうので、先に切り上げた私が食事を用意したりもしました。料理が不得手な私は、宿で使わせていただいた厨房で、少しでも美味しい食事をと四苦八苦しました。


 誰かのためを思って料理をすることは、暗闇に蝋燭に火を灯すような、己の心の内をじんわりと照らしてくれる、何事にも代えがたいものでした。



 他にも、貴方は私に、自身の生まれ育った世界のことをたくさん教えてくださいました。

 私がせがんだ貴方の世界にある悲恋の物語や、ワクワクする冒険譚、教訓の詰まった寓話に、超常的な恐怖話などといった様々なお話以外にも、貴方自身がどういった生活を送っていただとか、通われていた学校のお話や、こちらにはないお菓子などの甘味の話など、色々なことを話してくださいました。


 あまり恥ずかしいので言えませんでしたが、貴方の世界の話を聞くたびに、その日の夜になるといつも、私は自分が、貴方の世界で生まれていたら、という想像をしていました。


 貴方と同じ学び舎まなびやに通い、隣同士の席に座り、日がな一日争いのない平和な生活を送る。貴方からすると何でもないことだと思うかもしれませんが、それは私の夢───叶うはずのない夢なのでした。



 もちろん貴方との生活は、楽しいことばかりではありませんでした。

 その最たるものが迷宮探索でした。そもそも、迷宮探索をするために一緒になった二人ですので、本末転倒だとは思いますが。

 貴方と互いに背中を預け合うことが気に入らなかった、というわけではありません。いえ、むしろ貴方に、貴方の心により深く触れることが出来た迷宮探索は、私にとってかけがえのない時間でした。



 けれど、ただ一つだけ。

 私は、恐かったのです。

 貴方が傷つくことが。

 私は、怖かったのです。

 貴方が死んでしまうのではないかということが。



 死にさえしなければどんなケガでも治してみせる。

 私は貴方にそう言いました。

 確かに私はそう言いましたが、それは死にさえしなければ何をしても構わないという意味ではありませんでした。


 なのに貴方は、いつも傷だらけ───いえ、そのような言葉では言い表せないほどに満身創痍でしたね。

 貴方は私には「回復役こそがパーティのかなめなんだぜ?」とニヤリと笑うと、常に私の前を行きました。


 自身の身体を張って、一歩ずつ一歩ずつ未踏の地を進む貴方を見ていると、私は少しずつ、恐怖心を覚えていきました。


 日々を重ね、貴方との時を経るごとに、この恐怖心は強くなっていきました。日々傷を負う貴方に、「ヒーラーは護らなきゃ」と嘯きながら私を護る貴方に、私の恐怖心は確実に募っていきました。


 誰かが傷つくことに対する恐怖心。

 それは、私がかつて捨て去ったはずの感情でした。


 父が大怪我を負ったときに感じた、絶望にも似たあの感情は、私の大事な貴方が、危険に飛び込み怪我を負うたびに蘇り、何度となく、私を苛みました。


 私がどのように感じていたか。

 どれだけ私が貴方を思っていたのか。

 貴方には、わからないでしょう。


 けれどそれで良かったと思います。

 今となっては、貴方にこの気持ちを知られていなくて本当に良かった。


 確か、貴方の世界では、死の間際に見える、生まれてから死ぬまでのビジョンのことを『走馬燈』と呼ぶそうですね。


 ならば、今この瞬間、今際の際に思考する私は『走馬燈』にも似た何かなのでしょう。


 これが最後でしょうが、それでも、


「イチロー、大丈夫でしたか……貴方が無事で良かった」


 今回は、貴方が傷つかなくて本当に良かった。

 伝えたかったことは───


「ああ、イチロー……ごめんな、さい……」


 それでは、さようなら。






◇◇◇




 

 駆け寄ったアシュリーの手を握り、聖女ミカは最後の言葉を遺した。アシュリーは彼女の手から一切の力が抜けるのを感じた。

 一瞬の出来事だった。彼女は、宝剣の最後の一撃により、片腕が断ち切られ、脇腹からへその辺りまでを抉り取られた。


 アンジェリカも手持ちの回復薬を出し惜しみせずに用い、聖騎士アシュリーも持てる魔力全てを使用し回復魔法を試みた。

 それは効を奏し、彼女の肉体をほぼ完全な状態に復元した。けれどそこ肉体には、既に、彼女の魂は存在しなかった。二人にも、それがはっきりと理解できた。受け入れられない彼女達は涙を流しながら、何度も何度も、聖女ミカの名を叫ぶように呼び続けた。




◇◇◇




 聖騎士の少年は未だ遠く。

 彼女へと至る道は───









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