第8話 聖女⑤

◇◇◇




 彼女に対して抱いた感情は嫌悪感だけではありませんでした。私は初対面のはずの彼女に、どこか胸を衝くような懐かしさを覚えていたのです。




◇◇◇




 少女は貴族令嬢の四肢の不能を治療したことで、類稀たぐいまれな癒し手として注目を浴びることとなった。

 噂を耳にしたクラーテル教会は、すぐさま少女を勧誘すべく人員を派遣した。

 しかし、後の聖女である彼女からは想像し難いことであるが、教会からの勧誘に彼女は首を横に振った。

 まだ少女は幼かった。シスターになるにあたって家族と離れなければならないことは少女にとって非常につらいことであった。


 ただ、このとき教会から遣わされた者の「教会で学ぶことで、これまで以上に多くの人を助けることが出来る」という言葉に感銘を受けたことも事実であった。


 長らく悩んだものの、少女は家族と対話を重ね、一人でも多くの人を救えるのならという純粋な動機で、彼女はクラーテル教会のシスターになることを決意したのであった。



 彼女は、教会に所属した初期の頃から、周りのシスターに比べて遥かに大きい魔力量と、強力な回復魔法を持つ少女であったが、聡明な少女は増長したり傲慢に振る舞ったりといったことは一切しなかった。

 それどころか、彼女は非常に謙虚であった。

 先達や後輩に対する態度はもちろん、何よりも学ぶことや修練に対して、彼女は他の誰よりも真摯に取り組んでいた。

 そしてこの頃には既に、少女は後に召喚された少年に評された『ロボットのような表情』の聖職者となっていたのだった。




 クラーテル教会に所属する年若いシスター達の多くは教会より遣わされ、ギルドや病院といった多くの傷病人を抱えた場所へと赴く。

  

 彼女達はそこで回復魔法や解呪や解毒魔法を用いて、多くの人を癒やして回るのだ。

 その行為には教会として様々な意図があった。


 もちろんそれは治療することで生じる金銭的な利益や、シスター達の修練といったものであったが、他にもいくつか理由は存在した。

 けれど教会の思惑に関わらず、それなりに良心的な値段で回復魔法を施すために、日々の利用者は絶えなかった。


 ただ、シスター達にとって、治癒行脚と言われるこの修練は苦痛と隣り合わせであった。

 平時から、魔物なんてものや、探索者なんてものが存在する世界である。怪我をして街の中に逃げ帰ってくる輩が多いのは当然のことであった。

 そんなわけで、治癒行脚に励むシスターのほとんどは、魔力枯渇寸前まで回復魔法を使うことが常であったのだった。


 魔力枯渇状態に近づくほど倦怠感は強烈なものとなる。それこそ完全な魔力枯渇状態になると、立つこともできなくなるほどに厳しい倦怠感を引き起こす。それは、経験した多くの人が二度とゴメンだと口を揃えて主張するほどにつらいものであった。それを考慮して、教会にもシスターを守る一つのルールがあった。治癒行脚を行う際に、シスターは、魔力枯渇のラインを見極め、ギリギリまで魔力を消費することのないようにというルールである。


 けれど、民を癒やすために、己の意志でルールを破り、最後の一滴まで魔力を使い切るシスターがいた。


 それこそが、彼女であった。 

 


 後の聖女と言えども当時の彼女の魔力量は常識的な範囲内に収まるものであった。いくら彼女と言えども、魔力を消費し過ぎれば、当然、魔力枯渇状態に陥る。

 けれど治癒を願う者がいた場合、彼女は迷うことなく己の身を顧みずに回復魔法を施したのだった。


 また、教会から指示された治癒行脚以外にも、彼女は自分の意思でいつもそれに同行したのだった。



◇◇◇




 そうこうして、周りから一目置かれていた彼女であったが、一年と半年も過ぎる頃には、とある地域の枢機卿付きのシスターへと出世を果たしていた。

 異例の出世であったが相も変わらず、少女は普段の治癒行脚の回数を減らすことなく、それどころかちょっとした秘書のような仕事もこなし日々慌ただしく過ごしていた。





◇◇◇




 これはそんな折の話であり、少女が聖女に至る切っ掛けとなった話である。


 クラーテル教会の内部で、教皇が任を降りるという話がまことしやかに囁かれたのだった。


 後任となる可能性のある人物は二人いた。

 一人は少女の上司であり、名をオデッセイといった。

 もう一人は敬虔なクラーテル教信者であるが厳格で手段を選ばないとされてる人物───名をコールといった。


 どちらも世に名を馳せた枢機卿であったために、どちらが次期教皇となってもおかしくはなかった。

 しかし、ここで事件が起きた。


 少女の上司であるオデッセイの対立候補───コールが、強硬手段に出たのだ。根回し? 醜聞をばら撒く? そんなことよりももっと単純な方法がある。


 対立候補の物理的な排除だ。

 二人いる候補の内の一人が死ねば、自ずと教皇は決まる───コールが選んだのは原始的ではあるがもっとも効果的な手段であった。


 とは言えど、どちらも実力者である。生半可なやり方では失敗してしまう。それに一度失敗するとターゲットを警戒させてしまう。またバレるリスクもある。

 そういったことを踏まえて、コールが取った選択肢は《禁呪》であった。


 さて、日本には《蠱毒》という呪術が存在する。

 本来の《蠱毒》とは、呪術に用いる生物を何匹も集め、それらを絶食させた後に、一箇所に放ち共喰いさせることで怨の感情を爆発的に増幅させ、それを用いて呪術を完成させるものであった。


 しかし彼───コールがここで用いた《禁呪》は、憐れなる生贄の動物に、絶食させるという過程で、食物のみならず魔力をも強制的に絞り出させるといった地獄のような責め苦を与えるものであった。


 まず魔力を吸い上げる檻に入れ、食事を絶つ。このようにして飢餓のみならず魔力枯渇を強制的に引き起こされた生贄を多数用意し、その後に極限状況となった生贄を同一の檻に解き放つ。

 共喰いから生き残った最後の一匹を檻から放ち油断した際に首を断ち切る。

 以上の方法で、コールは、単なる《蠱毒》以上に強烈な《呪》を生み出したのだった。


 要するにくだんの《禁呪》はかつての転移者によってもたらされ、いまや日本では多くの者が知るポピュラーな呪いである《蠱毒》に異世界流の改造を施したものであった。





◇◇◇



 

 危険な《禁呪》を相手候補であるコールが用いたが、それによって、オデッセイが害されるということはなかった。警戒していた少女が、コールの予想を遥かに上回るレベルの結界で、オデッセイを護っていたからであった。

 いくら《禁呪》といえども、少女の結界を破ることは叶わなかった。けれど、これで事が終わるというわけではなかった。跳ね返された《禁呪》は術者へと帰り、放ったときよりも大きな力で術者を蝕んだのであった。




◇◇◇




「殺し、て……くれ……」


 掠れた声で、ベッドの上の老人が言った。

 否、本来彼は老人ではない。

 数日前までは、五十手前の屈でいかめしい外見の男性であった。彼こそがコールである。 


 跳ね返った《蠱毒》に蝕まれた彼は、少女と上司であるオデッセイが駆けつけたときには、既に骨と皮だけと言っても差し支えない状態であった。

 触れるだけで折れそうな枯れ木のような腕に、肉が極限まで削がれた頬と、窪んだ眼窩が、彼がもはや手遅れであることを示していた。


 実際にオデッセイは、その凄惨な光景を見て、手で口を覆った。目の前に逃れ得ぬ彼の死を感じ、それと同時に救うことを不可能であると諦めたからであった。


「何を───」


 少女の上司は自分の部下である少女がベッドに横たわる男性の手を握り目を閉じたのを、見た。

 手遅れだとは言えなかった。言わずとも明らかだったからだ。


「神よ憐れなる彼を救い給え」


 少女が唱えると、か細い身体から瘴気が滲み出し、それはやがて《狼》をかたどり、彼女へと襲い掛かった。

 あっという間の出来事であった。

 少女の身体を眩い光が包み、オデッセイも、ベッドで横たわるコールもしばらく視界を失ったのだった。

 やがて、二人が目を開けると、ベッドの側で倒れ伏した少女が目に入ったのだった。




◇◇◇



 その日から一月ひとつき彼女は意識を失った。少女の解呪は万全なものではなかった。《蠱毒》はあまりにも強力であり、残った《呪》は彼女自身が受け持つことでようやく被害を抑えることができたのだ。

 それにしても───とオデッセイは振り返った。

 彼女が完全でなくとも解呪出来たのは奇跡であった。

 あのとき彼女から放たれた光は、オデッセイがこれまでの生涯で見てきたどの光よりも神々しいものであった。


「彼女こそが───」


 無事に教皇となったオデッセイは少女を聖女として任命する決意を固めた。


 またそれと同時に、《禁呪》である《蠱毒》を用いたコールは、命を懸けて、己の解呪を試みてくれた少女にただならぬ信仰心を抱くことになったのであった。






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コミック1巻の電子版の発売となりました。

そうです、発売日は7/16です。

どうかよろしくお願いしますー。





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