第18話 エリスのおもかげ
○○○
俺達の立つ荒野───その先には数多の剣が突き立てられていた。
それこそが
俺は溜め息を
「剣聖エリス・グラディウス───」
先程まで剣を突きつけていた彼女の首元から目が離せなかった。もちろんエロス的な意味ではない。視界が良好ではないとは言え、やけに生っ白く感じたのだ。
エリスは元々小柄な少女であったが、それでもかつては健康的な見目をしていた。しかし目の前の彼女からは当時の快活さや朗らかさなどを全く感じ取れなかった。
その事実に、俺の胸がどうしても
「ご飯ちゃんと食べてるか?」
何もこんなときにそんなことを聞かずとも、とは思う。けれど気がつけば言葉にしていたのだ。俺の質問に、エリスがきょとんとした表情を浮かべた。
やけに幼く見えた。一緒に行動を共にしていたときに見た彼女の表情であった。剣聖としての凛々しい表情も彼女であったが、年相応の幼い表情もまた彼女であった。
「あ、ええ。ご飯、ですか? あー、さきほどいただいた食事のこと、ですか?」
返答に困ったのか、エリスがもごもごと何やら口にした。俺の意図とは異なり、どうもさきほどアシュが三人へと分けた食事のことを聞かれたのだと思ったようだった。
「あれはヤマダ殿が作ったものだと聖騎士アシュリー殿に
エリスがかすかに微笑んだ。
「それくらい構わない」
正直、嬉しかった。
しかしそれが出ないように答えた。
ぶっきらぼうな物言いになってしまった。
「みんながどこにいったか分かるか?」
「いいえ……私にもわかりません」
俺の問い掛けに彼女はかぶりを振り答えた。
「ってことはつまり、ここから先は、俺と剣聖殿とで攻略しなければいけないってことだ」
俺の言葉を聞くや否や、彼女はまるで耐え難い苦痛に
何かをこらえるように、彼女が声を発した。
「二階層のボスとの戦闘で貴方の強さは十分に把握しました。過去のわだかまりはいったん忘れ、互いに力を合わせましょう」
エリスの提案である。
殊勝な物言いに思わず「おや」っと思った。
「剣聖殿は、俺のことを知ってるか?」
俺の言葉に苦痛からか脂汗を浮かべたエリスが返答しにくそうに、神妙な表情を浮かべた。
「貴方がどういった人間であったかは話に聞いてます」
黙って俺は耳を傾けた。
「勇者様やミカ様達から何度も教えられました。
酒池肉林は当たり前で、パーティで分けた報酬はいつも散財。訓練も鍛錬も嫌いな怠け者であり、救いようのない臆病者。その挙げ句、最後には涙を流して尻尾を巻いてパーティから逃げ出した───」
耳を覆いたくなるような悪評だ。
しんどくないと言えば嘘である。
「私自身、貴方と顔を合わせたのはたったの一度───それは前回の《刃の迷宮》に潜ったときでした」
これまでのエリスとのやりとりではっきりとわかったことがある。まさにプルミーさんの言う通りだった。
本来俺とそれなりに面識のあるはずの人物の持つ、俺に関する記憶が───狂っている。
「一度会っただけですので、実際に貴方がどういった人間かはわかりません」
彼女と過ごした時間は無に帰した。
───師匠!! どこに行くのですか?!
いつも彼女は俺について歩いた。
───絶対に離れませんよっ!
それこそが弟子の役目なのだと彼女は頑なに主張していた。
彼女と共に過ごした時間は決して長くはなかったが、それでも俺にとっては何物にも代えがたい宝石の様な時間であった。
俺の心中に関わらず、彼女の厳しい言葉は続く───
「一度見ただけで、こんなことを言うのは恐縮ですが、あの日の貴方は、勇者様や私達に戦闘を任せ、恥知らずにも後方で終始己の身のみを守っておられました。私から見た貴方は文字通りの卑怯者でした」
違うッッ!!
叫べるものなら叫びたかった。
それでもなんとか我慢できたのは、セナやセンセイ達という心の拠り所があったからだ。
それに何よりも───エリスの気持ちもわかると言えばわかってしまったのだ。
彼女の認識の上では、俺はそういったことをやってのける人物なのだろう。実際にそんな奴がいたのなら正直滅びた方がいいが……。
そもそもの話、ボス戦で逃げ回るという行為は竜宮院とミカやアンジェ達がやったことだった。俺は《
それなのに───
「まあ、そう言われても仕方のないことかもな……」
心にも、記憶にもない返答をした。
できることなら俺だって全てを否定して、全てを正したかった。けれど、何も覚えていない人間を掴まえて、それは俺がやったことじゃないんだと、全ては竜宮院のしわざなのだと主張すれば良かったのか……。
その挙げ句、こんなところで、やったやってないの水掛け論で発展し、二人で大声で罵り合いでもすればいいのか───
「けれど」
エリスが、俺の思考を遮った。
「私は迷っています。いいえ、今の私は
「何、を?」
「貴方だけでなく、貴方のパーティを見ました。聖騎士アシュリーに加えて、貴方が『センセイ』と呼ぶ人物です。貴方達三人からは、厚い信頼を感じ取れました」
ですので、とエリスが続けた。
「本当に貴方が、勇者様達の仰られる通りの愚かな人物なのか、それとも───」
鉛のように冷えた俺の身体に、急激に熱い血液が流れる感覚を覚えた。
「───本当の貴方は、今私が見ている貴方なのか」
エリスがちらりと聖剣へと目を向けた。
「その二つの選択肢に対し、本当の貴方の正体がどちらなのか───私ははっきりとした答えを持っていません」
だから───とエリスは続け、
「この目で、今一度、貴方を見定めたいと思います」
そう言った彼女の表情に、かつての面影が見えた───気がしたのだった。
○○○
俺の気分は悪くなかった。
ほんの短い時間ではあったが、なんだかんだと、エリスと話をすることができた。
俺のことを覚えておらずとも、そして俺との関係が消えようとも、それでも、信頼しあえる関係をもう一度はじめから作っていくことは、できるのかもしれない。
だからこそ、今───
ボスを倒すべく共闘関係を結んだ俺達は、前回をなぞるように、一歩、また一歩と、剣神の住処に向けて歩を進めたのだ。
「───アイツが来るぞ」
俺がエリスへと告げた瞬間───
常人では気を失いかねないほどの爆発的な剣気を放ちし男が、俺達の前に姿を現した。
彼は───俺の持つ魔剣グラムとそっくりな剣を鞘から抜き放ったのだった。
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