第6話 She is

◇◇◇



 彼が旅立つ数日前の訓練のことだ。

 彼は騎士団の実力者全員を相手取り、曲芸じみた動きでその全てを完璧に捌いた。


 彼のしなやかで荒々しい動きは獰猛な獣を彷彿とさせた───がそれだけではなかった。獣は獣でも熟達した技術と、確かな知性と判断力とを兼ね備えたスーパーウルトラハイブリッドな獣であった。


 あるときは力づくで剣を弾くどころか相手取った大男揃いの騎士の半分を一撃で薙ぎ倒し、またあるときは手元にある剣の繊細な操作で一度に三人の剣を絡め取った。


 そうして彼が多対一の訓練をものともしなくなった頃、自然と傷つく頻度が減り、シスター達の役目はほとんどなくなりつつあった。

 不謹慎だとは思いつつも、シエスタはそのことが少し寂しかった。



◇◇◇



 彼の出立を見送りに出た日。


「□□様、余り無茶はしないでください。傷病伴えばすぐに聖女であるミカに頼ってください」


 シエスタはこれが最後かもしれないと、思いの丈を伝えなければと思った。


「本来であれば私が貴方の回復を務めたかったのですが───私ではどうしても力及ばずでした。だから心だけは、私の心だけは持っていってください」


 彼女は、彼の無事を神に祈った。


「改めて言います、あまり無茶は───貴方は私達と何も変わらないただの少年なのに、貴方を頼ってしまって───ごめんなさい」


 そしてシエスタは───それを伝えるのは卑怯だと、単なる自己満足だという、己の理性の制止を振り切り、彼が異世界に来た当初からずっと胸の内に秘めていた、罪悪感を吐露した。


「シエスタさん、いつもありがとうございました。俺は貴方を───貴方の優しさを尊敬しています」


 少年の言葉に、思いやりに、シエスタは涙を堪えきれず、袖に顔を埋うずめたのだった。





◇◇◇



 だから何かの間違いだと思った。



◇◇◇




 シエスタの元に少年に関する情報が次々と届けられた。


 間違いでありますように。

 どうか何かの間違いでありますように。

 彼女は、毎日一心に神に祈った。




◇◇◇



 再会から一週間。

 彼の濁り切った瞳が悲しかった。

 彼の爛れた生活がただただ物悲しかった。

 シエスタは眠れぬ夜に幾度となく涙を流した。



◇◇◇


 

 バレン氏と《大者タイクーン》のレオパルドの招聘しょうへいはシエスタが提案したものだが、かねてより勇者にも確認をとり了承を得ていたものであった。


 彼が何も覚えておらず二人を帰らせるように命じたのは、彼が話を真面目に聞いておらずに聞き流していたからか、アルコールで脳が麻痺していたからか。いずれにせよ、結果は暗澹あんたんたるものとなった。


 二人の招聘はシエスタにとっての最後の判断材料であり、彼を救うための最後の希望であった。


 シエスタはレモネに遣わされてから、一度として勇者が迷宮攻略に向けて活動している姿を見たことがなかった。

 それどころか金銭を湯水の様に使い、口にすることもはばかられるような快楽のみを追求したただれた生活を飽きることなく享受しているどうしようもない姿だけが、シエスタの見た彼の全てであった。


 伝え聞いた情報に何一つ間違いはなかった。


 けれど、けれど───彼の心の内に一欠片でも、あのときシエスタが感じた、鈍くとも、されど確かに力強く輝く心の結晶が残っているのなら……。

 そして、彼女が枢機卿との連絡を控えた、その直前の、本当に直前にでも、心を入れ替えて、いや、あの頃の彼に戻って、招聘しょうへいされた彼らと共に、一刻、いや半刻でもその片鱗を見せてくれていたのなら……。



◇◇◇



 しかし彼女の願いはいともたやすく砕け散った。



◇◇◇



 枢機卿からの連絡まであと数分。

 自然と、かつての彼との思い出が脳裏を駆け巡った。


 時間が迫る。


 出会いから遡った彼との思い出はついに先程のやりとりに至った。 


 彼の瞳が戻ることはなかった。汚水のようにドロリと濁った瞳はそのままで、彼の振る舞いは他者を顧みない傍若無人なものであった。


 記憶が強烈に彼女を苛んだ。

 枯れるほど涙し、これ以上流すことはないと思った涙が、再び零れ落ちた。


 そして、彼女は涙を拭い───


『やっほー! 久し振りだね、シエスタくん!』


 眼の前の魔導機に音声が、そして少し遅れて映像が映し出された。


 シエスタをレモネへと遣わせた枢機卿であった。

 ついに彼女は、覚悟を決めたのだった。

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