第5話 鶴はもう、飛び立った

○○○



 俺は彼女について何も話さない。

 これはもう理屈じゃない。

 彼女に関する思考の全てを放棄してしまいたいのだ。思考が散り散りに乱れて、どうしようもなく胸を掻きむしりたい衝動に駆られるのだ。

 こんな心情で、アノンやクロアから何かあったのかと不審がられ、あの時・・・のことを話さないといけない、なんて状況になれば俺は───


「プロトタイプの完成がちょうど今までもつれ込んでしまったのは、何故か彼女がすぐさま開発から手を引いてしまい、僕も体調を著しく崩してしまったためです」


 どうして彼女が開発から手を引いたか?

 そんなものは───


「それからしばらくして、何らかの事業か、それともボランティアなのか、どの用途でパフィ姫に金銭が必要になったのかは把握していませんが、彼女から『ポータルのエリアセキリティの解除理論』の買い取りをしないかという申し入れがありました」


 ───竜宮院のためだろう。



○○○



 完全なる単独で踏破した三つの迷宮以外で獲得した金銭や財宝は常に等分していた。


 向こうにはミカやアンジェがいたのだ。

 ならば実質的に75%を彼が受け取っていたことになる。


 人は誰しもが自由であるべきだ。

 恋愛だって好きにすればいい。

 金銭の使い道だってそうだ。

 俺に彼らを咎める権利はない。


 そう、思っていた。

 けれどそれは間違いだった。


 竜宮院の浪費は俺の比ではなかった。

 彼にとって酒池肉林は当たり前なのだ。


 この国随一と言われる高級娼館の女性全員を一晩と言わずに一週間まるごと貸し切ったと聞いたことがあった。

 彼女達にねだられるまま高級貴族御用達のドレスを買い占め、装飾品だって、貴金属だって何にだって惜しみなく金を費やしていたそうだ。


 そして一つ彼の浪費癖について分かりやすいエピソードがある。

 王族ですら喉から手が出るほど欲しいとされた幻の酒があった。エルダードワーフの秘技により製造されたというこの酒の価値は一滴で白金貨に匹敵するとされていた。当時それを手に入れたと喜ぶ竜宮院と会話したことがあった。


「買い物は一期一会。そう考えると安い買い物だったね。全く良い買い物をしたよ」と彼は言っていた。


 その後偶然会った商人に、竜宮院が手に入れた酒の値段をふと尋ねてみたところ、目玉のひっくり返るような価格であった。


 けれど彼の言った「安い買い物」というセリフは彼にとってはある意味では真実なのだろう。

 だって彼にとって金というのは、何もせずとも湧いて出てくるものなのだから。


 迷宮に潜った俺が、そして俺から分配されたミカとアンジェが、何も貢献していない彼に莫大な金を渡してしまったのだ。


 そして俺は知っていた。


 迷宮踏破で得た金銭では、彼の浪費を維持し続けることは出来ないはずだった。


 だからパフィが、竜宮院にだけ《探索の支援》をしていることを俺は、知っていた。



○○○




 それにしてもだ。

 パフィは自分自身が金策に走らねばならないほどに竜宮院を支援していたのか。


「何かの間違いだと思ったのですが、パフィ姫がどうも金策に焦った様子で言い値で構わないと仰ったので、兄に頼んでちょっと無理をしましたが即金で買い取りました」


 クロアからパフィ姫に支払われた金もそのまま竜宮院の懐へといってしまったのかもしれない。




 クロアは育ちが良く、利発な少年だ。

 それだけでなく、兄に似て義理堅かった。

 パフィ姫の話が一段落ついた頃、クロアから《鶴翼の導きクレイン》の権利と試作型の数点をそのまま俺へと譲ると提案された。


 悩んだけれども俺はアノンからの戒めもあったのでありがたく好意を受け取ることにした。


 ただ、俺に管理は無理なので、《鶴翼の導きクレイン》の権利は引き続きクロア達のクランが管理し、その内の数%を俺が頂くということで話の決着が付いたのだった。



 その最中さなか、俺は気持ちの折り合いが付かず、どうしても表情を上手く作れなかった。自然体でいることが何よりも難しかった。

 案の定、アノンやセンセイに心配されただけでなく、遠所のクロアからも大丈夫かと何度も問われた。


 その都度何とか「大丈夫だ」「何でもない」「本当になんでもないんだ」と言葉を絞り出した。


 大丈夫ではなかった。


「すまんな。クロアまた会おうな。俺は何だか忙しくて疲れてしまってよ」


 センセイやアノンには、クロアとの話の大詰めや、この後に控えたアロガンス勢、バーチャス勢との作戦会議のその全てを彼らに任せることにした。


「じゃあな、あとは頼んだ」


 俺は自分に割り当てられた部屋へと戻るのだ。

 今はもう、何も考えたくなかった。



○○○



 部屋に戻り水を一気に飲み干した。

 何もする気が起きずベッドに横になったが、どうしても思考が止まらなかった。


 パフィは己を削ってまで、竜宮院へと金銭の支援をしていた。それが一体何に使用されているかぐらいわかっていたはずだ。

 その事実がどうしても俺の胸を締め付ける。


 何も自分も援助して欲しかったわけではない。そうだ。俺が真実に欲しかったのは、パフィの笑顔だった。

 そして『イチロー、がんばりましたね!』という一言ひとことがあれば、俺にはそれだけで十分であった。


 ───貴方のように、私も胸を張って、自分を誇れるように邁進してまいりますわ。


 彼女は言った。


 ───私は、私の世界を切り拓きます。


 彼女は確かにそう言ったのだ。


 今の彼女は胸を張れているのか。

 今の自分を誇れているのか。

 今でも世界を切り拓いているのか。


 あの出発の日。

 竜宮院の胸へと飛び込んだパフィは、もう俺の知っているパフィではなかった。


 俺は耐えられずに目を瞑った。


 物悲しい鶴の鳴き声を聞いた。

 暗闇の中を真っ白な鶴の背が遠ざかった。 


 寓話に泣いていた彼女はもういない。

 もういないのだ。


 鶴はもう、飛び立った。













──────

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