第6章《旧都》と《益荒男傭兵団》
第1話 朝露に来る
○○○
センセイの気配に目が覚めた。
カーテンから射し込む日が朝だと告げていた。
ベッドから室内を見渡すが、センセイはおらず、より意識してみると彼女の気配は俺の部屋の窓の外から───屋敷の庭辺りへと繋がって感じられた。
気配とはなんだったのか……?
そう言えば、こんなことがあった。
山にいるときから、センセイは俺にイタズラをして喜んでいた。
その日のイタズラは、気配だけを俺の背後に飛ばすというものだった。
急に現れた背後の気配に驚いて「うあーー!」と奇声を上げた俺。それを見てセンセイは「ファーー!!」と両手を叩いて爆笑していた。
気配を飛ばすとは一体……うごごご。
何はともあれ、センセイは規格外なので、何が出来たとしても不思議ではないが、恐らく彼女は「早く起きて、ここへ来い」と言いたいのだろう。
○○◯
「おはようございます」
「うむ、おはよう」
庭へと向かうとセンセイがいた。
朝霧に霞む日の光。
どこか憂いを帯びた表情で
「待っとったぞ」
「またイタズラかもと思いましたよ。普通に起こしてくれたら良かったのに」
「まあそう言うな、気配を読む修行の一環じゃ」
物は言いようである。
「それでセンセイ、話があるんでしょ?」
だから俺はここに呼ばれたのだ。
「ムコ殿は話が早くて助かるよ」
少し歩こうかという、センセイの誘いに二人で庭をゆっくりと散策することになった。
庭は丁寧に管理されており、そこには庭師の確かな仕事ぶりが
「ラベンダーに、ハーブ、クレマチス、ゲラニウム。まあ大したもんじゃ」
門外漢の俺は植物に詳しくなく、知っている植物と言えばデンドロビウム、サイサリス、ガーベラ、ゼフィランサス、アトミックバズーカくらいのものであった。もちろん名前を知っているだけだ。
「ムコ殿」
俺を呼びセンセイは立ち止まった。
センセイのセナや俺に対する愛情は本物だ。
だからこそ彼女は出来ることなら何も言わずに過ごしたいのだろう。
「セナのことじゃが」
「はい」
センセイは数秒目を閉じた。
「セナは山から降りられぬ」
俺は昨日のセナの様子を思い出していた。
センセイにしがみついて、血の気が失せて震える彼女。健気にも必死に自らを奮い立たせて不器用に笑顔を見せた彼女が痛々しかった。
「セナはの、人間が怖いんじゃ」
普段の超然としたセナからは、彼女が人を怖れていることなど想像がつかなかった。
───イチロー、大丈夫よ。わたしが、わたしがあなたを、助けるから。
山を降りる間際の、セナの言葉が甦った。
胸をかきむしりたくなる衝動に襲われた。
「正確には、セナはこの世界の人間が怖くて恐ろしくて、そして殺してやりたいくらい憎いんじゃ」
○○○
「セナはの、心に深い傷を負っておる」
俺は黙ってセンセイの言葉を待った。
「我は、セナと長い間を共に過ごしたが、彼女の傷を癒しきることは出来なんだ」
センセイの顔には苦悶の色が見えた。
「我は一つでもセナの心の傷の原因を消すためにと、何度となくあやつから離れ、山を降りた。時間は掛かったが、概ね、その原因を排除することが出来た」
センセイはどこか疲れた表情を浮かべた。
彼女には似合わない表情だった。
俺は彼女に声を掛けなければいけなかった。
けど、何と伝えればいい?
「センセイ」
そうだ。彼女は頑張ってきた。
誰にも報いられることなく、それでも彼女は長い
だからこの言葉を俺が伝えなければ、一体誰が伝えると言うのか。
「月並みな言葉になりますが、長らくお疲れ様でした」
彼女は俺の労いに目を見開き、
「お主は、ほんとバカよのぉ」
くしゃりと破顔した。
きっとセンセイは独りでずっと闘っていたのだ。
セナが孤独だったように、センセイもきっと孤独だったはずだ。
「我はずっと悩んでおった、セナが傷付いた原因なぞ二人で忘れてしもうて、その傷が癒えるまで、ずっと一緒に隣にいてやるべきじゃなかったのかとの」
その答えは俺にもわからない。
たとえわかったとしても過去を変えることはできない。
「だからこそ、ようやく家に戻ったとき目にした、ムコ殿とセナが仲睦まじく生活していた光景は、我にとって何よりの
「俺は、ずっと、セナに助けてもらいました」
センセイが俺の言葉に頷き、「それだけでない」と続けた。
「お主は、セナに助けられ、セナを助けていた」
───イチロー、大丈夫よ。
今すぐに彼女の笑顔が見たい。
「我はの、今幸せの中に生きとる。セナがいて、お主がいる。これ以上は何も求めん。ただそれだけで良い」
センセイは「だからの───」と言い腕を振るった。
俺の背後が音を立てて弾けとんだ。
「我の、セナの、お主の幸せを脅かすものを決して許しはせんのよ」
朝の陽を侵食せんと蠢く何かの訪れ。
これから始まる封印領域との激しい戦いの幕開けとなった。
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