第5話 境界線

◯◯◯


 俺は数時間前のことを思い返していた。

 聖騎士アシュリーの元へ向かうため、山から降りるときのことだ。


「今回に限ってはイチローがいくら強くても、ことはそう上手く運ばんじゃろうな」


 センセイがぼそりと呟いた。


「何か知ってるんですか?」


「知っておる。けど話せば長くなるからの。急いどるこの場で長々と話すわけにはいかんじゃろ」


 センセイの目はどこか遠い過去を見ているようだった。


「いずれにせよこの件に関わるなら───いや、封印が失われたのなら、どのみち同じことか」


 それも一瞬のことで、


「まあ、心配せんでよい。最悪の状況になったときには我がなんとかしてやるからの」


 ふと我に帰ったセンセイは俺とセナに向けて安心させるように笑みを浮かべた。



○○○



 俺が街に降りるときに使ってるルートはセナが細かく指示してくれたものだった。

 このルートを用いれば、わずらわしい魔物や変な障害などにほとんど遭遇しない。

 既に慣れ親しんで決まりきった道筋であるので、俺が先導する形で三人でくだりのルートへと向かった。


 これはそのときの出来事であった。

 下界に三人で降りるという話が出て以降、セナの様子がどうもおかしかった。


 けれど今までずっと不調らしい不調を見せたことのないセナだからこそ大丈夫だろうと俺は盲目的に信じ込んでいた。


 だから彼女の歩みがいつもより遅くても不思議に思わずに、彼女が俺に追い付くのを待った。

 そうこうしてると、さすがの俺も彼女の様子がただごとでないことに気付き彼女の元へと引き返した。


 センセイが彼女を抱き締めて、何度も安心させるように落ち着かせるように、背中をさすり、ぽんぽんと叩いていた。

 どうしたのかと声を掛けようとしてようやく気付いた。


 彼女の小さな体躯たいくは震えており、首筋から覗く彼女の肌は、普段でさえ雪のように白いのに、さらに血の気を失い、もはや青白く、その血管が透けて見えるほどであった。


「セナ、大丈夫か?」


「イチロー、ごめ、ごめんね。ちょっと、だけ、待ってね」


 セナが必死に声を絞り出した。


「イチロー、大丈夫よ。わたしが、わたしがあなたを、助けるから」


 そこでセンセイが、


「セナ、やっぱり……」


 一つ呟き、セナへと語り掛けた。


「大丈夫じゃよセナ。イチローのことは我に任せて、お前はここで、我らの無事を願っておってくれ。それで充分じゃから」


 セナはいつだって強くて、いつだって頼もしくて、いつだって俺に欲しい言葉をくれた。


「セナ、どうしたんよ?」


 なのに動揺した俺は何と言えば良いかわからなかった。


「イチロー、少しだけ、待って、ね」


 大丈夫だから、と今にも倒れそうな彼女が逆に、俺を安心させるように言った。


「セナ、イチローは我が何があっても必ずな、守ってやるから。セナは心配はせんで良いからの」


 センセイがセナの頭へと手をやった。彼女が何かを呟くと、掌が光って、セナはくたりとその場で意識を失った。


「ほら、セナを運ぶのはムコ殿の仕事じゃ。小屋に戻るぞ」


 センセイに渡されたセナを背中に背負い二人で小屋へと戻った。その道中───


「ムコ殿───ぬしには話さなければいけないことがたくさんあるのう。我に言えることであれば近い内に全て話すから───」


 だからの、とセンセイは長い睫毛を伏せた。


「全てを知りたいのであれば、セナが、セナの傷が癒えるまで、何も聞かずに待ってはくれんかのう」


 センセイの言葉は懇願にも似たものであった。

 何かに震えるセナと、彼女を慮るセンセイ。

 二人を見ていると、俺は己の胸の内を締め付けられるようだった。


「センセイ、俺らは家族みたいなもの───いや、違うな。この際はっきり言いますよ。俺達はもう家族でしょ? だから心配しないでください」


 俺はセンセイがセナや俺に向ける何気ない優しさが好きだった。

 だから俺は彼女の優しさに報いたかった。

 その一心での言葉だった。


「何を生意気言っておる。小童こわっぱがいくらカッコつけたところで所詮は小童こわっぱよ」


 センセイは目尻を下げて続けた。


「けど、主は最高の男子おのこで、最高の家族で、最高のムコ殿じゃよ」



○○○



 俺は翼速竜イーグルドラゴンの背で先ほどのセンセイやセナとのことを思い返していた。

 びゅおうと一際強い風が吹いた。

 くだんの竜には寒さや空気抵抗に対する魔道具が備えられているので、ほとんどの冷気がカットされているのだった。けれど俺は不確かな寒気を覚えた。


 じりじりとした赤い陽がさらに沈み、暗闇がそろそろ顔を出そうとしていた。


逢魔時おうまがどきじゃな」


「え?」


 俺の後ろで腰に手を回しているセンセイがぽつりと言った。


「昼と夜の移り変わり。陰と陽の境界線。物事の境目。すべてがぼんやり滲んだこの刻のことを逢魔時おうまがどきという」


 俺は彼女の言葉を待った。


「邪気やあやかしはいつだって、境界からにじみ出してはまろびでてくるのよ」


 沈む太陽がぼやけて見えた。


「だからか我は、この時間があまり好きではなくてのぅ」


 彼女は何かを危惧しているのか。 


「───誰もが無事に済めばいいんじゃが」


 センセイはどこか願うようにこぼした。




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