第15話 ポケットの中の願い①
○○○
「おかえり」とセナが言った。
セナは俺の気配を読んだのか、とうの前に日が落ちて暗くなっているのに、家の前で俺を待っていた。
彼女のありふれた挨拶がやけに胸に沁みた。
俺も「ただいま」と答えた。
ととと、と俺の方へ歩いてきたセナがぽふりと俺の胸にもたれ掛かった。
今はお互いに、言葉少なではあるけれど、それで良かった。
○○○
ミランの家族に謝罪すると共に、用事が出来た旨を告げ彼女達と別れた。そこからは一心不乱に走った。
一刻も早く、セナに会いたかった。
全力でぶっ飛ばしてきた俺は、さすがに息を切らせていたのだった。
家に戻ると、謎材質で造られた肌触りの良い敷物の上に大の字で横になった。その俺の側に、セナも腰を下ろした。
「イチロー、大丈夫?」
初めて会ったときは無表情かと
俺が彼女の表情を理解出来るようになったのはもちろん、彼女の表情は以前よりはっきりしたものになった。
垂れた目尻に涙を浮かべて、彼女は俺が話すのを待った。
セナらしい気の使い方だと思った。
彼女は何があったのかと、俺に直接的に尋ねることはなかった。
○○○
これまでお互いの過去について言及したことはなかった。
彼女との、どこか奇妙にも思えるこの距離感が心地よかったからだ。
俺が日本という国から召喚された異世界人だと言うことで彼女との関係性が変化することを恐れていたのだ。セナがよそよそしくなってしまえば俺は耐えられない。
けれど俺は、そんなリスクを犯してでも、自分の過去をどうしてもセナに知って欲しかった。
ふうと一息
彼女には何一つ濁すことなく話したいと思った。
「聞いてくれるか?」
恐る恐る尋ねた俺に、
まるで『貴女は呼吸しますか?』と聞かれたかのように「あたりまえよ」とセナは答えたのだった。
○○○
「───ということがあったんだよ」
とても長い話になった。
話したのは召喚されてから今までのこと全てであった。俺が話を終えるまで、彼女は、言葉を挟むことなく、小さく頷くばかりだった。
俺が話を終え、一段落着いたとき、
「イチロー、よく頑張ったわ」
セナは、俺の頭に手を乗せた。
彼女の小さな手が俺の頭を優しく撫でた。
それは、母のようだったかもしれないし、姉のようだったかもしれない、もしかすると祖母のようだったかもしれない。
いずれにしても、セナの愛情を感じた。
「えらい、えらい」
放って置けばいつまでも撫で続ける彼女の温もりが、どこかくすぐったかった。
そして、
「あなたの思うあなたの弱さを、わたしは肯定する」
彼女は、俺の目を見て告げた。
「あなたの優しさを、そしてあなたの人を思いやれる心を、わたしは尊敬する」
やばい。
「大丈夫。わかってる。イチロー」
やばいやばい。
「力のあるものは、力に溺れる。あなたは溺れなかった」
やばいやばいやばい。
「その持てる力の全てをこの世界のために、迷宮攻略に費やした」
やばい泣きそうだ───
「イチローのしてきたことは、誰もが出来るわけではない。
人間の本質は、苦難に陥ったとき、そして力を持ったときにこそ現れる」
彼女の言葉が、俺の心の柔らかい場所に触れた。
「大丈夫よ、わかってるわ、イチロー」
彼女は腰を浮かせて両手を伸ばした。その柔らかな掌が俺の頬へと触れた。
「泣いても構わない」
散々、泣き顔を見せた俺は、
「人は、つらいとき、悲しいとき、嬉しいときに泣く」
セナの前で、もう泣くのはやめだと決めたのに、
「心の動きは、尊くて当たり前のもの」
彼女の掌が、言葉が、心が温かくて、涙をどうしても我慢することは出来なかった。
○○○
灯りの魔道具を落とし、布団を二つ並べ就寝の準備を終えた俺達は横になった。
夜の帷はとうに落ち、月明かりだけを頼りにセナの顔を見た。
俺はセナとの間に流れる沈黙が嫌いではなかった。
けれど、この日に限っては彼女も俺も、話足りなかったのか、ほぼ暗闇の中で、会話を続けた。
「もしかするとあなたは、自分が元の世界に帰るために戦っていることに、負い目を感じているのかもしれない」
どうして、彼女は俺のことをここまで、当ててしまうのか。
「けれど、そこに負い目を感じる必要はない。あなたが偽物だと感じているその気持ちも、ここまで続けてきたことで、それはもう本物と何も変わりはしないわ」
彼女が、重ねた言葉には思いやりがあった。
それに彼女は少し重くなった空気を察して、
「偽物が、本物になることもあるわ」
どこかユーモアを感じさせる調子で、
「と、昔読んだ少女漫画のキャラが言ってたわ」と締め
セナに少女漫画が似合わずに「くく、」っと思わずに笑いがこぼれた。
「何?」と尋ねた彼女の表情が暗闇の中でも想像が付いた。
そして俺も覚悟を決めて───
「イチロー、大丈夫。焦らなくてもいい」
健気にも俺を気遣い、セナは俺をやんわりと制止した。
「いや、俺はもう一つセナに言わないといけないことがあるんだ」
「わかってるわ」
「明日、その話をする」
聞いてくれるか? とはもう聞かなかった。
俺は、これからの彼女との生活を続けていくためにも、ポケットの中の
彼女はもう、何も聞いてこなかった。
代わりに彼女の小さな手が俺の手に触れた。すると彼女はしっかりと俺の手と繋いだ。
彼女の手の温もりに、恥ずかしさよりも安心感を覚え、俺はそのまま眠りに就いた。
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