第2話 魚が喜ぶと書いて
○○○
過去の恋愛の思い出について、男女によってそれぞれ扱いが違うと聞いたことはないだろうか?
女性は新しい恋愛ごとに上書き保存し、男性は恋愛ごとに名前を付けて新しいフォルダに保存するという、よく聞くアレだ。
ちょっと待てよと、そんな擦られ過ぎた格言なんてアテになんねーし、口にすんのも恥ずかしいぜなどと思ったそこのお前達、待つのはお前達の方だ。
こいつ決して単なる酒の席や放課後のファミレスでの話題提供のためだけの格言じゃない。少なくとも、男はフォルダ保存するってのは全くそこ通りだったりする。
「ならソースだよ、ソースを出せよ」って?
ソースならある。ソースは俺。
○○○
目が覚めたと同時に何かが近づいてきた。
それが人なんだと気付くのに多少時間を要したのは、起き抜けであったことも手伝ってか、通常時と比べて視界が十全ではなかったからだろう。
やがて、視界どころか自分の身体の自由がきかないことに気が付いた。
パニックになりつつある俺の側に、そいつは腰を下ろして、俺を抱き起こした。
驚きの声は出なかった。出そうにも口がカラカラに乾いていたからだ。
そうこうする間に、そいつの顔が俺の顔に近付いてきて、俺の唇に、そいつの唇が合わさった。
むんにょりというそいつの唇の質感を感じるや否や、口内に何かの液体を流し込まれた。
液体は非常に苦く、人間のごく普通の反射反応から思わず吐き出しそうになった。けれど彼女はそれを許すまいと、俺に唇を重ねたまま、俺の口腔に再度それを流し込んだのだった。
唐突に始まった『飲まなきゃ終わらないゾ(強制)』という、パワハラされてる営業職のような状況に俺は苦悶するとともに、俺の感情はメチャクチャにされてしまった。
これってキスなの!?
マジ!? ってことはこれ俺のファーストキスやん!?
いやいや、ちょっと待てって、こんな苦い汁飲ませるキスなんかありえねーべ!?
唇と唇が合体したらキスだってそれ一番言われてるから!
確かに! 唇柔らかかったわ!
じゃあ、人工呼吸はキスになっちゃうの?!
などと脳内で今のはキスなのかどうなのか談義をこれでもかと繰り広げていると、ようやくクリアになってきた視界に、唇を離して俺をじっと見ている彼女が見えた。
意識を失う前に、微かに見えた白い少女だった。
○○○
「あなた死ぬところだったわ」
白い少女は表情一つ変えずに俺に言った。
「わたしが見つけなければ、あなたそのまま死んでたわ」
どこか感情の薄さを感じさせる彼女は、婉曲することなくありのままの事実を告げたのだった。
まじまじと目を凝らし、彼女から俺が感じ取ったものは、彼女の存在そのものの希薄さであった。
けどそれは彼女に存在感がない、と言っているのではない。一見矛盾しているようで言葉にしにくいけれど、人間が共通して持つ固有の気配みたいなものを彼女からは感じられなかった。
確かに人の形をしているのに、彼女から感じられるものは、人とは明らかに異なる存在である独特の気配であった。
「喋れないでしょう。それはそうよ、あなた一週間も意識がないままだったんだから」
彼女の気配は『神聖さ』や『神々しさ』と言い換えてもいいかもしれなかった。
そしてそれはもちろん彼女の容姿や佇まいに依るところも大きかった。
彼女の長く白い髪は、一本一本が最上級の絹のように艶を放ち、その毛先はふよふよと重力に逆らい浮かんでいた。
何と言っても、どこか神がかったオーラを醸し出している白色の布───たった一枚のそれが、彼女の身体を護るように、慈しむように、決して彼女の品位を落とすことなく、彼女の身体に巻き付き、どこか神秘的な、名匠の
「あ、あうあ」
『助けてくれてありがとう』と伝えたかった。上手く言葉が発せなかった。
「大丈夫。わかってる」
俺の心が読めるのか彼女はそう答えた。
「余計なことは考えずに休みなさい」
表情を変えずに、彼女は言葉を重ねた。
「大丈夫だから」
俺は彼女の言葉に安心したのか、そのまま再び眠りについた。
○○○
これが白い少女との出会いだった。
彼女との口づけは俺にトンでもない衝撃を与えた。
お前達も知っての通り、彼女には
それも当然。彼女は意識を失い自分では嚥下出来ない俺に、単に煎じた薬を与えていただけだからだ。
その手段が口移しだっただけで、何もやましいことはない。
けれどそれは彼女にとっては、であった。
残念ながら俺にはやましいことはあった、というかあり過ぎた。何と言っても口移しだ。
そもそも、少し考えてみて欲しい。
俺は一週間意識を失っていたのだ。つまり、一週間俺の意識がない間、彼女は毎回俺に口移しで薬を飲ませてたんじゃないか?
えっ! ってことはファーストキスは意識が回復したときには既に済んでたってこと?
けどよ、ファーストキスはやっぱりお互いが、愛し合ってするもんだからさ、今回のはノーカンだよな。
そもそも恩人に対して変な気持ちを抱くなんてさ、俺って最低かやつだよな。
いや、けどよ! 彼女の唇の感触やわらかかった!
めっちゃプルンとしてた!
こんな感触もう忘れられないわ!───などと彼女との出会いを思い返すと、いつだって脳内ファーストキス談義が繰り広げられるのだった。
けれどこれは本当に仕方のないことだ。
やっぱり男は単純でバカな生き物だから、俺は、彼女との思い出を大事にフォルダに仕舞っているのだ。
彼女のことを忘れられるわけない。
○○○
一度目の意識の覚醒後も、やっぱり俺の身体の自由はきかず、彼女の献身に身を任せることとなった。
それから、二週間が経とうとした頃、ようやく立って歩くことが出来るようになった。
そしてそれは、俺の話が再び動き出した頃でもあった。
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