青春のリグレット

夏香

青春のリグレット

 高校のグラウンドには、練習着を着たラガーマンたちが、楕円のラグビーボールを必死になって追いかけていた。

 私は、グラウンドの隅っこにある鉄棒に背中で寄りかかり、走りまわる学生たちを、ただボンヤリと眺め、昔のことを思い出していた。

 高校時代、私は一人の同級生の男子にあこがれ、その子がいるラグビー部のマネージャーをしていた。本当に信じられないくらい弱いラグビー部だった。


「元気出しなよ、次の試合は勝てるってッ」

 マネージャーをしている明日香あすかが、となりに座っている光一こういちの肩を、パンッと強く叩いた。めっためたに惨敗したラガーマンをどんなふうに励ましていいのかわからなかったが、とにかく何か言わなきゃと思った。

 試合は本当にひどかった。185対3。これじゃ励ましようがなかった。次の試合は勝てるなんて簡単に言ってしまったが、次の相手はもっと強い、県内一、二を争う名門のラグビー強豪校だった。

「ねえ、いいこと教えてあげるよ」

 明日香あすかが光一の耳元にそっと顔を近づけて言った。

「あのね、敦子あつこが光一のこと好きみたいだよ」

 木村敦子きむらあつこは明日香といっしょにラグビー部のマネージャーになったクラスメイトだった。

 それを聞いた光一が、サッと顔の向きを変え、明日香を真剣な表情で見た。明日香もあわてて光一から顔を離した。

「お前はどうなんだよ?」

光一が言った。

「えッ! 何が?」

「お前は……俺のこと、どうなんだよ」

 光一は顔を赤らめて言った。

「ア、アタシッ! アタシはそんな……」

 明日香は一瞬、言葉を失い、頭の中が白くなる。光一に、いきなりタックルされたような気がした。

「ア、アタシは……そんな、光一のことなんて、それほどじゃないけど……」

 明日香は、自分の心の中とは、全く違う気持ちを吐いた。

『ほんとはアタシも好きなんだ』それが明日香の胸の中の叫び声だった。

 光一は、ふ~んと力なくうなづいただけだった。光一の顔は、風船から空気が少しづつ抜けていくように、しぼんでいくのが明日香には分かった。

 しばらくして、光一と敦子が練習後や、休み時間で短い言葉を交わすのを、明日香は目にするようになった。そして、二人が話すその時間は、砂時計の砂がさらさらと落ちるように増えていくのが分かった。明日香は、それを見ているのが何となくつらかった。

 ラグビーの試合は相変わらず惨敗だったが、光一と敦子は、そんなことは全く気にならないようで、毎日がとても楽しそうだった。

 高校三年間が終わり卒業式の日、明日香は、卒業の記念にと思い、光一と敦子と三人で写真を撮ろうと言った。光一を真ん中にして彼を挟むように明日香と敦子が両端に並んだ。

 そして三人は「じゃあね」「またいつか会おうね」「私のこと忘れないでね」などと平凡なことをいい、分かれていった。

 いや、三人が分かれたわけじゃなかった。二人と一人だった。光一と敦子は二人並んで駅の方へ歩いて行った。明日香だけがポツンと一人取り残され、二人の後ろ姿をいつまでも見送っていた。

なんであんなこと言ったんだろう。明日香は、二人の後ろ姿を見送りながら、そう思った。

強がりなんか言わずに、自分も光一のことが好きだと言ってしまえばよかった。そうすれば全く違った卒業式になったろう。

 敦子への遠慮か、つまらないプライドかわからないが、素直な気持ちを言い出せない自分に無性に腹が立ち、悔しかった。

砂に指でなぞって書いた『後悔』の文字が、強い風にもいつまでも吹き消されず、明日香の心の中に、空しい傷痕きずあとを残しているようだった。

 



 私の足元に、ポロンポロンとスキップするようにラグビーボールが転がってきた。私はそれを拾い上げた。

あの高校の卒業式の日、私と光一は、駅までの道を一言も話さず、黙ったまま歩いた。

 私には分かっていた。光一が私と親しく話していたのは、明日香の気持ちを自分に引き寄せるためだったことを。私はそれに気づかないフリをしながら、光一に毎日寄り添っていた。

あの日、駅まで歩いている途中、光一が学校に忘れ物をしたと言い、歩いてきた道をまた戻っていった。私は光一のその後ろ姿をただ見送った。光一が戻らないことはわかっていたが、ただ彼を見送った。

あれから二十年の時が流れ、私は三十八歳になった。現在は夫も子供もいる平凡な主婦をしている。これはこれで毎日が楽しい。

私は、履いていたサンダルを脱ぎ、裸足になった。そしてスカートがめくれることも気にせず、足を高々と振り上げ、ラグビーボールを空めがけて蹴りあげた。

 後悔という名のボールは、空高く舞い上がり、私の心の中から飛び出していった。


THE END

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青春のリグレット 夏香 @toto7376

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