オリオールの帰郷
雨色銀水
1.空より降る災厄に地は焼かれ、亡者は深淵へと落ちる
古木の梢から葉が落ちて、風に揺られるまま宙をさまよう。
ゆらゆらと頼りなく漂うさまは、さながら大海を漂う小舟のようだった。木枯らしに吹かれれば、すぐに遠くへと追いやられる。そんな頼りない枯れ葉を何気なく眺め、私はゆっくりと荷台から上体を起こした。
「新聞記者の旦那! もうじき爆心地ですぜ!」
背後から掠れた男の声が聞こえてくる。ぐっと伸びをしつつ振り返れば、荷馬車の御者台に座る男の背中が見えた。御者はよろよろと進む年老いた馬の手綱を引きながら、道の先を指さして見せる。
「前、見えますかい? 道の向こうは崖になってるんですが、そこからは歩いてもらわにゃならんのです。戦前は川があって橋も架かってたんですけどねぇ。今は行き来する人間もほとんどいないもんで、この先の手入れは何もしてないんですわ」
「なるほど。大戦の傷跡がここにも、ってわけか。五年前……戦争終結前は、この先が前線基地だったんだろう? この道も結構にぎわってたんじゃないのかい?」
「ええ、えぇまあ。そうですねぇ……。兵隊さんも食ってかにゃならんので、近くの街からいろいろ物を運んだりしてましたしね。それに、『雷霆(らいてい)』なんてもんが空から降ってくる前は、この辺はきれいな森だったんで。……まぁ、今はそんな気配もありゃしませんけどね。こんなとこに取材だなんて、旦那も物好きですねぇ」
御者は歯切れ悪く言葉を濁し、帽子のつばを下げた。どうやらこの男にとっても、大戦の記憶は思い出したくないものらしい。それはそうだろう。私だって記憶にある光景が見る影もなく破壊尽くされてしまったら、虚しさや怒りを感じてもおかしくはない。
「ま、取材と言っても半分は自分がやりたいだけなんだが。記者としては、広域破壊魔法兵器がもたらした悲劇……それを実際に一度見ておきたかったのさ」
「はあ、そうですか。都会の人が考えることはよくわからんですが」
不規則な音を立てながら、荷馬車は荒れた道を進む。少し前まで道の両脇を覆うほどだった木々はまばらになり、むき出しの地面が目立つようになる。
私は黙って、進む先に目を凝らした。崖がある、とのことだったが、土色の地面が途切れたところのことだろうか。そこまで行くと木はおろか草一本生えておらず、ただただ荒涼とした風が吹き抜けていくだけだった。
「……ここが、『雷霆(らいてい)』の爆心地?」
馬が脚を止める。荷馬車もその場に停止し、私は御者台の後ろから身を乗り出した。途端、土埃と鉄錆のような独特なにおいが顔に襲い掛かってくる。思わず顔をそむけたものの、視界の端に映り込んだ光景が再び前を向かせる。
大地に、巨大な穴が開いていた。真円に切り取られた地面は激しく隆起し、すり鉢のような形を形成している。明らかに何かによって削り取られたと思しき様相に、私は驚きながらも荷台から飛び降りた。
近づけば近づくほど、その異様さははっきりとしてくる。穴の真ん中に行くに従い、ざらざらとした土色の地面は灰色に変わり、ところどころで透明な結晶体がきらきらと輝いているのが見えた。かなりの熱量がここに存在していたのだろうか。よくよく観察すれば、周囲の土も奇妙に黒く変色していた。
破壊の痕は、未だにこの地に刻まれたままだ。えぐり取られた地面に緑は芽吹かず、雨が降ろうとも表層を流れ落ちていくだけ。そして何より、『爆心地』の名にふさわしき、中心に穿たれた巨大な空洞が、ここで起こったことを忘れてくれるなと告げているようだった。
「戦争を終わらすにしても、こんなにぶっ壊しちまうことはなかったと思うんですがねぇ。広域破壊魔法兵器……『雷霆』なんてとんでもないもん、まさか自分らのそばで使われるとは考えもしなかったんで。いまだにここ見ると、膝が震えてきちまいます」
御者の声は、そうとわかるほど震えている。当時を知らない私ですらうすら寒いものを感じるくらいだ。かつての光景を知っている男の恐怖は想像するに余りあった。
「ウルフガンド魔法大戦の勝敗が決した地……想像はしていたが、これほどとは」
――ウルフガンド魔法大戦とは。
『ヴァルザイン帝国』と『ミストリア王国』の小競り合いを発端に、ウルフガンド大陸全土を巻き込む戦争へと発展した、歴史上最大最悪の大戦のことである。
『魔法大戦』とも呼ばれるこの争いは、月龍暦483年10月29日に始まった。最初はミストリア北方の魔晶鉱山一帯を奪い合う争いであったが、徐々に戦端が拡大。翌年8月3日には、ミストリア王国を中心とした対ヴァルザイン三国同盟が発足し、9月14日にはヴァルザイン帝国が打倒ミストリアを掲げ、周辺小国の併呑を開始した。ここより戦火は大陸全土へと急速に広がり、十五年にも及ぶ泥沼の戦いへと発展していく。
大戦末期、各国の疲弊は明らかであった。大陸に厭戦ムードが広がる中、ヴァルザイン帝国が戦争終結に向けて、最強の魔法兵器を発明した。
それこそ、『雷霆』――。広域破壊魔法兵器とも称されるそれは、当時の最前線であったミストリア王国ディープヘイデンに配備され、月龍暦498年10月9日に実戦投入された。
結果、ディープヘイデン一帯は焦土と化し、前線に配備されていたミストリア王国兵およそ3万6千が犠牲となった。これにより、主力部隊を失ったミストリア王国軍はディープヘイデン以南に撤退。同月12日には、ヴァルザイン帝国に向けて停戦の使者を送った。
そして月龍暦498年11月14日、両国の間で停戦協定が締結され、敗戦国となったミストリア王国はヴァルザイン帝国の統治下に入り、長きにわたったウルフガンド魔法大戦は終結したのだった。
そして、五年の月日が流れる。
「ウルフガンド魔法大戦のあと、『雷霆』が投下されたディープヘイデン地域は空白地帯となっているんだったか。なあ、このあたりに住んでいる人はいたりするのかい」
歴史を軽く回想しながら、私は改めて周囲を見渡した。さすがにこれだけ荒れ果ててしまっていては、人も住めないのではないか。そう思いつつも、御者を振り返ると、彼は赤茶けた瞳に困惑の色を浮かべていた。
「そりゃ、こうなっちまったら、人っ子ひとりも……あぁいや、一人いたかな」
「ほう、誰かいるのかい」
「えぇまあ、一人って言うかなんてぇか。この爆心地のあたりをうろついているやつがいるんでさ。わしらは『墓守』って勝手に呼んでるんですけどね」
「へえ、『墓守』ね」
何ともこの場に似つかわしい呼び名ではあった。どんな人物なのだろう。興味をそそられて、私はさらに質問を重ねようと口を開いた。しかし、びくりと体を震わせた御者は、落ち着かなげに視線を周囲にさまよわせ始める。
「あ、も、目的地に着いたんで、わしはこれで失礼しても構わんですか」
「え。突然どうして。取材が終わるまで待っていてくれるんじゃなかったのかい」
「そうしたいのは山々なんですけどね……あ、あんた。まさか何も聞こえんのか」
「何もって何だい」
「何って……わ、わからんならいいです。と、とりあえずわしは帰りますんで」
「え、な。待ってくれよ!」
何やら泡を食ったような様子で、御者は馬に鞭をくれるとその場から去っていってしまった。残された私は呆然と遠ざかっていく荷馬車を眺めることしかできない。急にどうしたというのか。まるで亡霊にでも遭遇したような慌てようだったが。
「……ま、いいか。歩いて戻れない距離でもないし」
日暮れまでに戻れば問題ないだろう。そう独り呟き、改めて『雷霆』の投下された爆心地を見下ろしてみる。
見れば見るほど恐ろしい光景だが、言葉だけでは伝えきれそうもない。首から提げていた写真機を手に取り、思うままに何度かシャッターを切る。専門家ではないから、写真機の操作も手馴れているとはいかない。
それでもファインダー越しに適切なアングルを探していると、何やら黒いものが漂っているのが見えた。最初、それは単に光の加減だと思った。けれど何度移動しようと、黒いものは消えず、いい加減私も事の異常さに気づき始めていた。
「……何だ、一体」
ためらいながらもシャッターボタンを押す。しかし、写真機は反応せず、奇妙な動作音を繰り返すだけ。まさか壊れたのか? ぎょっとしてファインダーから目を離すと、真っ赤な『それ』と目が合った。
「……え」
我ながら間の抜けた声だった。目と鼻の先に浮かんでいた『モノ』は、ぐるりと回転してこちらを向いた。明確な意思を感じさせる動きに、私は口を半開きにする。
黒い霧の中を漂う『ソレ』は、真っ赤な瞳を持ったむき出し眼球だった。人間のものの十数倍もあろうかという単眼は、きょろきょろと周囲を見渡した後、再び私へと視線を戻してくる。
私はといえば、写真機を握りしめたままぼうっとしていた。状況が理解できなかったのもあるし、『モノ』に対する危機感が薄かったこともある。
だが、暢気にしていられたのもそれまでだった。眼球は激しく震えたあと、目の前にいる人間が誰か確認するかのように、勢い良く近づいてきた。
「う、わ……!」
眼球の威圧感に、たまらず腰を抜かした。人体の一部分だけが顔の前にあるというだけで十分気持ち悪いのに、それがどんどん近づいてくるのだ。こうなってはもう、地面を這うように逃げ惑うしかない。
「やめろ、来るな!」
混乱と恐怖と、そして生理的嫌悪感。それらがごっちゃになった悲鳴を上げ続け、私が最終的に追い詰められたのは、爆心地を見下ろす崖の際だった。
下から吹き上げてくる風に背筋が凍る。どう考えても、この眼球もどきに謀られたとしか思えなかった。見下ろしても暗い穴に果ては見えず、落ちれば怪我だけでは済まないだろう。あと一歩の距離にしがみついていると、そんな私をあざ笑うかのように眼球もどきが迫ってきた。
「ひっ……!」
情けない悲鳴。けれどもうどうしようもない。退路は断たれ、眼球もどきはすぐそばだ。目に浮かぶ血管さえ視認できるほどの距離に、私は震えながら両手で顔を覆った。
『にィ・サ……』
そんな時だった。身を固くした私の傍らで、小さな音が聞こえた。金属が擦れ合うような、あるいは小さな子供の拙い声のような――か細くて頼りない、ただの音とも声ともつかない何か。
『ニィ・さ……にィ……にい……』
「な、なんだ? 何言って……」
戸惑い、わずかだけ身を動かしたその瞬間だった。
『――兄さん』
確かに、一言。
そう、聞こえた。
「――え――」
伸ばしかけた手は、空を切る。刹那、音を立てて足場が崩れ、私の身体はそのまま宙へと投げ出される。見開いた目が映しだした空は清々しいほどに青く、何も掴めなかった手の先でどんどん遠ざかっていく。
落ちる。この高さでは助かるまい。わかりきった答えに自分でも嫌気がさした。何もかもが中途半端なまま、私は人生に幕を下ろすのだろう。理解が追い付いた時、忘れようとして結局ここまで連れてきてしまった記憶のふたが開いた。
「さようなら、兄さん。もう二度と、おれのために振り返らなくていいよ」
――すまない、『オーリ』。
私は結局、最後までお前の想いに報いることができなかった。
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